Yahoo!ニュース

【卓球】奇跡の復活を遂げた金メダリスト 吉村真晴に何があったのか

伊藤条太卓球コラムニスト
2022年1月の全日本選手権で奇跡の復活を遂げた吉村真晴(愛知ダイハツ)(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

「吉村真晴(愛知ダイハツ)が番組収録中に骨折、全治8週間」というニュースが飛び込んで来たのは昨年11月のことだった。

吉村と言えば、2016年リオ五輪の男子団体で銀メダルを獲り、世界卓球では石川佳純(全農)と組んだ混合ダブルスで銀(2015年)、金(2017年)、銀(2019年)メダルという輝かしい経歴の持ち主である。しかし、ここ2年ほどの戦績は思わしくなかった。東京五輪2020の出場は叶わず、全日本卓球(以下、全日本)の男子シングルスでも、2020年はベスト8、2021年はベスト16に留まった。2021年世界卓球ヒューストン大会は、代表選考会にエントリーするも、新型コロナ感染のため欠場。Tリーグこそ2020-2021シーズンで『琉球アスティーダ』をキャプテンとして優勝に導き、自らはMVPを獲得したが、日本代表からは遠ざかる日々が続いていた。そうこうしているうちに、すでに28歳と卓球界ではベテランと言われる年齢になっていた。

一方で吉村は、天性の人当たりの良さと機転の利く対応で、テレビのバラエティー番組に引っ張りだこの存在。現役を退いたとしても十分に需要がありそうだ。

そうした状況の中、全日本直前に丸々2ヶ月間のブランクとなる事故の報せに「このまま引退してしまうのでは」と思ったファンも多かったはずだ。

しかし吉村は2022年1月、全日本の舞台に立った。引退するどころか、鈴木李茄(昭和電工マテリアルズ)と組んだ混合ダブルスで決勝まで進み、男子シングルスでは6回戦で優勝候補の張本智和(木下グループ)を破り、準決勝で松平健太(ファースト)をフルゲームまで苦しめた。2016年以来、実に6年ぶりのベスト4だった。

さらに今月行われたアジア競技大会代表選考会ではまさかの優勝。

誰も予想していなかった大復活劇だ。一体、吉村真晴に何が起こったのか。その舞台裏に迫った。

吉村真晴
吉村真晴写真:森田直樹/アフロスポーツ

■昨年の怪我からの大復活劇に本当に驚きました。順番にお伺いしたいのですが、怪我はどういう状況で起こったのでしょうか?

「あるスポーツバラエティー番組で、台本に載ってないことを急にやらされて、翌日検査で肋骨が折れてることがわかりました」

■全治8週間の診断を受けたと伺いました。全日本まで3ヶ月もない時期にそれだと、もう無理だとは考えなかったんでしょうか?

「それはまったくなかったです。もともと東京五輪が終わったタイミングで本気でパリに向けてやろうという感じになってたんです。ところが2021年世界卓球の選考会はコロナで出られなくて。そうなると、全日本で勝たないと3月のパリ五輪選考会にも出られない。これは自分がどうやって再出発できるか、そのための休養というか、自分にとって本当に必要なことを冷静に考えさせてくれる時間なんだろうなと思いました。その結果、自分が優先すべきなのは卓球だということがはっきりわかりました。それからはテレビ等、メディアのオファーもこれまでのようになんでも受けるということはやめました。卓球にフォーカスしていく、そういう、卓球に対するモチベーションを引き上げてくれた経験だったと思います」

■その強いモチベーションはどこから出てくるのでしょうか。すでに世界卓球で金メダルを獲り、五輪でも銀メダルを獲ってる。何が吉村さんをそこまでストイックに駆り立てるのでしょう?

「自分、世界卓球も五輪もシングルスで出たことがないんです。団体戦やダブルスでは、出た種目の全部でメダルを獲ってますけど、シングルスは出てもいない。だからいくらメダルを獲っても、それはみんなのおかげで獲れたもので、自分の力じゃないっていう思いが強いんです。石川さんにミックスを組んでもらったときも「え?俺でいいの?」って気持ちがすごいあったし、自分個人としての能力メチャメチャ低いじゃんって感じで、自分で満足できるところが何もない。自分が強いと思ったことがないんです。五輪か世界卓球のシングルスに出てメダルを獲るなど、自分個人として何かを成し遂げたときに、初めて自分に対して満足できるのかもしれないと思ってます」

吉村真晴
吉村真晴写真:森田直樹/アフロスポーツ

■世界卓球のシングルスに出たことがないとは意外でした。そういう人知れない苦悩が吉村さんの謙虚さ、応援したくなる魅力を生んでいるんですね。

「そう思ってもらえるのは一番嬉しいですね。でも自分、別にいい人になろうと思ってるわけでもないですけど(笑)。ただ、一回全日本で優勝して(※高校3年の2012年1月の全日本)天狗になって失敗したっていうのがありますから、そういうことは少しはわかってるかもしれません。

それで本当に再出発しようとなって、何が必要なのかをマネージャーと話して、ひとりでやるよりチームとして本気でやった方がいいとなったんです。それで”チームマハル”作ろうぜってなった。マネージャー、コーチ、メンタルトレーナー、マッサーと、4人のチームを作った。強い気持ちを持った仲間で一緒に支え合ってパリに行こうって。もし行けたら最高だし、行けなかったとしても悔いは残らない。悔いだけは残さないようにしようってあらためて話し合ったんです」

■チームを作ると言っても、費用がかかることですよね?

「新しくスポンサーになってくれているTRAIL(トレイル:東京に本社をおく物流・流通業者)さんが全面的にバックアップしてくれてます。自分の決意をお伝えさせて頂いたところ「よし、それだったら一緒にやってやろう」って言ってくださった。それはすごく大きいことです。TRAILさんからしたら10月に契約して、一回も試合に出てなくて骨折して2ヶ月練習できませんなんて「は?」っていう感じじゃないですか。それでも再出発の決意を話したら「やろう」って言ってくれた。社長の漢気じゃないですけど仲間思いなところをすごい感じてて。巡り合わせを感じますね。もちろん、昔から応援して頂いているスポンサーの皆様に対しても、本当に感謝しています」

■怪我をしたことで再出発の決意をしてそういうチームができたとすると、もしかすると怪我をしてなかったら全日本であれほどは活躍できなかったかもしれない?

「かもというか、間違いなくできてないです。怪我をしてなかったら、普通に町(飛鳥)にも勝てたかわからないし、(張本)智和にも勝てなかったと思います。怪我が自分をもう一度奮い立たせてくれたというか、こうなったからにはもう一度やってやろうという気持ちにさせてくれました。本当にスポーツっていうのはメンタルが大切なんだと学ぶことができた、プラスの多い2ヶ月間でした」

筆者撮影
筆者撮影

■深いお話ですね。そうした経緯で迎えた全日本は、これまでの全日本とは違う気持ちで臨んだのでしょうか?

「気持ち的に、今まで全日本を最重要視してなかったところがありました。全日本の後に海外の試合があったりとか、いろいろ考えたりとかすると、自分もそんな器用じゃないんで全部が全部ベストパフォーマンスではできなかった。今回は”ここからパリが始まる”と思って的を絞って、できる限りのパフォーマンスを見せて行かないといけないと思いました。田勢(邦史、男子ナショナルチーム監督)さんとか、首脳陣に「あいつはもう終わった」と思われるようじゃその先がないですから、そういう人たちの目は意識してました。本当にここが自分にとってアピールする場所だと思って戦いました。

今まではどこかにネガティブな気持ちがあったんですけど、今回は本当の挑戦者として全日本の舞台に立つことができて、それが結果に繋がった感じですね」

■張本戦のアグレッシブな攻撃には驚きました。モチベーションの違いが、技術的にはどんな変化となって現れたのでしょうか?

「最近は昔と比べて安定志向になっていた分、バックハンドで強いボールをあんまり打ってなかったんです。それでバック対バックで優位に立てなくて足を止められちゃったり、無理やりフォアで回り込んで持ち上げて、フォアに振られて負ける展開が多くなってました。それでいつも智和にはほとんど0-4で負けてて一回も勝ったことがなかった。

再出発するってなったときに、回り込みを減らしてバックハンドで強く打つというように、自分の卓球のバランスをもう一回考え直した。それがたまたま智和にハマった感じですね。安定志向を経た分だけ、ボールの選球眼とかは前より磨かれていると思います」

■全日本の後、3月にパリ五輪選考会第1回を兼ねて行われた「2022 LIONカップトップ32」では、及川瑞基選手(木下グループ)に敗れてベスト16でしたね。5ポイントの獲得で、優勝した張本選手とは45ポイントの差があります。

「はい。まだまだ選考会はありますし、来年はポイントが倍になりますので、チャンスはあると思ってます」

■頑張ってください。

「ありがとうございます」

取材の後、4月9日から行われたアジア競技大会代表選考会で吉村は、松下大星(クローバー歯科カスピッズ)、2022年世界卓球(団体戦)の代表を決めている横谷晟(愛知工業大)、そして全日本チャンピオンの戸上といった年下の選手たちを破って優勝し、念願のシングルス代表枠を獲得した。「2022 LIONカップトップ32」の優勝で、すでに代表を決めていた張本の他に、わずか一枠だけの狭き門だった。

「こんなことってあるんですね。信じてやってきて良かったです」

私からの祝福メールに吉村はそう返事をくれた。どこまでも謙虚な男だ。

アジア競技大会のシングルスの成績は、パリ五輪代表選考のポイントの対象となるから、張本とともに他の選手をわずかにリードした形だ。代表選考レースは再来年2024年1月の全日本まで続く。

2022年1月の全日本選手権で張本智和を破った直後の吉村
2022年1月の全日本選手権で張本智和を破った直後の吉村写真:森田直樹/アフロスポーツ

18歳で全日本の決勝で水谷隼を破り、史上二人目の高校生のチャンピオン(一人目は水谷)となった吉村真晴。その後、シングルスで不本意な成績が続いたのは、何でもこなせてしまうがために、どこか本気になれない故だったのかもしれない。それは少し長い回り道だった。怪我によってそれに気がついたとき、吉村はすでに28歳になっていた。もはやベテランと言われる年齢だ。並の選手なら、モチベーションが戻ったところでそう長くは続かない。しかし今から卓球に全身全霊を傾けて若手の前に立ちはだかるこの男は吉村真晴なのだ。誰からも好かれる人柄とは裏腹に、これほどやっかいな、これほど恐ろしいベテランもいないだろう。

とはいえ、次から次へと新しい才能、新しい技術が登場する日本卓球界で、ベテランがそれらを跳ね返し続けるのは並大抵のことではない。今回は一歩リードしたものの、客観的に見ればパリ五輪代表選考レースは依然として厳しい戦いになるだろう。

それでも吉村真晴は挑戦を続ける。自分に満足するために、悔いを残さないように、そして、信じて支えてくれる仲間たちのために。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、ソニー株式会社にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、地域の小中学生の卓球指導をしながら執筆活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。「ロックカフェ新宿ロフト」でのトークライブ配信中。チケットは下記「関連サイト」より。

伊藤条太の最近の記事