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日本一のどぶろくと発酵料理を!39歳の醸し人がめざすのは、「日本全国の田んぼの無農薬無肥料化」。

一志治夫ノンフィクション作家
多様な生物が生息する田んぼに立つ佐々木要太郎さん(撮影/Haruo Isshi)

 岩手県遠野市にある「とおの屋 要」は、いま日本で最も注目を集めているオーベルジュだ。宿泊できるのは、最大でも1組6名。人々は、宿の主である佐々木要太郎さん(39)のつくる「どぶろく」と「発酵料理」をめざしてやってくる。魅せられる玄人も少なくなく、あまたの日本酒の蔵元たちが来訪し、ひっきりなしに内外の料理人も見学や研修にやって来る。

「とおの屋 要」の入口 (撮影/Haruo Isshi)
「とおの屋 要」の入口 (撮影/Haruo Isshi)

 100年続く「民宿とおの」の4代目である佐々木要太郎さんが「とおの屋 要」を開店したのは、2011年のこと。以来、佐々木さんは、農業人、醸造家、料理人と三役をこなしてきた。

「とおの屋 要」の食堂。インテリア好きである佐々木さんのセンスがそこここに (撮影:Haruo Isshi)
「とおの屋 要」の食堂。インテリア好きである佐々木さんのセンスがそこここに (撮影:Haruo Isshi)

世界と渡り合える発酵文化

 佐々木さんがどぶろく造りにめざめたのは、21歳のとき。当時、遠野市では「どぶろく特区」を申請していて、佐々木さんの父・優さんは、その発起人のひとりだった。申請にあたっては、岩手県工業技術センターに行くことが義務づけられており、要太郎さんが醸造の講義を受けることになった。

「講義の中で〝並行複発酵〟という言葉が出てきて、『このプロセスは、世界に数多くあるアルコール発酵文化の中で日本だけ』と聞いた瞬間に、あ、これだ、って思ったんです。世界と渡り合えるな、と」

 佐々木さんは、この日を境に一気にどぶろく造りにのめり込んでいく。

「どぶろく造りでは、蒸した米と水、麹をタンクに入れる。すると、いったん水気がなくなる。でも、時間が経つにつれ、それが液体に変わっていくんです。初めてその溶ける様を見たときに鳥肌が立ったんです。その感動が忘れられなくて」

 2004年にファースヴィンテージを完成させた佐々木さんは、その後も悪戦苦闘を重ねながら、着実にどぶろくを進化させていく。

 佐々木さんのどぶろくが劇的に変わったのは、奈良県にある「久保本家酒造」で2週間の研修を受けてからだ。杜氏の加藤克則さんの酒造りへの姿勢が若者を感化した。

「加藤さんの蔵人や酒に向かう姿勢をはじめ何もかもが衝撃でした。地道な作業の先に酒造りがあることを体感しました。そして、僕のどぶろく造りで地道にやるべきことと言えば、間違いなく米づくりだということも確信できたんです」

昭和の地元品種で造るどぶろく

 佐々木さんは、すでに無農薬無肥料の完全自然栽培による米づくりに取り組んでいたが、このときから田んぼに対して、より真摯に向き合うようになっていく。

 佐々木さんが育てるのは、地元の食米として昭和初期から伝わる「遠野一号」。他の品種にとってかわり、使われなくなっていた在来種を自ら復活させ、自家採種を毎年繰り返してきた。これを無農薬無肥料で野草と共存させながら育てるのだ。「遠野一号」は、いまもてはやされるふっくらとした甘い品種とは真逆の米だ。新米がよしとされる現代の流行りの米に対して、「遠野一号」はもち米系ではないので、滋味深く時間を経て旨くなるのが特徴。「業界ではよく古米と表現されますが、古米ではなく熟成米と僕は呼んでいる。1年、2年と時間を経ることで旨くなる米なんです。もちろん、自然栽培であることが大切なんですが」と佐々木さんは胸を張る。

熟れずしの飯のような腐れ米と野菜、麹、塩などを混ぜて、1年間置いておく。これをベースとして使う発酵料理も多い。祖母から伝承された発酵の技も少なくない (撮影:Haruo Isshi)
熟れずしの飯のような腐れ米と野菜、麹、塩などを混ぜて、1年間置いておく。これをベースとして使う発酵料理も多い。祖母から伝承された発酵の技も少なくない (撮影:Haruo Isshi)

スペインのレストランに置かれたどぶろく

 佐々木さんのどぶろくは、洗練された酸と上品な甘味に満ち、ぴちぴちとフレッシュで、杯を重ねても飽きがこない。これまでのどぶろくのイメージを覆す酒だ。

 どぶろくは、決してポピュラーな酒とは言えないが、ヘルシーなアルコールで、コロナの時代にも合っている。

「日本酒と違って濾してないので、アミノ酸系やビタミン系の量が豊富なんです。アルコール飲料ではあるけれど、抵抗力をあげるにはすごくいい」

 佐々木さんのどぶろくは、その後、スペインのいくつかの超一流レストランにも輸出されるようになる。一時期は、造ったすべてのどぶろくがスペインへと渡っていた。

「『飲むチーズ』と評価され、チーズやオイルとの相性も抜群と言われ求められた。ワインしか扱っていなかったレストランでも、うちのどぶろくが置かれました。どぶろくが海を渡り、ヨーロッパの人の口に入ったのはこれが初めてだと思います」

 まさに、佐々木さんが「並行複発酵」と出会ったときに直感した「世界と渡り合える」が実現したわけだ。

ボトルのラベルは佐々木さんの娘さんがデザインしている。生産量が限られているため、すぐに売り切れてしまうが、酒販店などで入手は可能 (撮影/Haruo Isshi)
ボトルのラベルは佐々木さんの娘さんがデザインしている。生産量が限られているため、すぐに売り切れてしまうが、酒販店などで入手は可能 (撮影/Haruo Isshi)

発酵の粋を集めた料理

 宿では、このエレガントなどぶろくと共に、佐々木さんがつくる発酵料理が供される。

 たとえば、「自家製生麩のムニエルとイトウと暮坪蕪の熟れずし」は、八幡平のイトウを2ヶ月発酵させた逸品。塩味はなく、熟れずしの酸味や旨みのみがどぶろくと口の中で合体してふくよかに広がる。酸味、苦味、甘味、アルコール感、醪の溶け具合の絶妙なバランスが、魚、肉、野菜などどんな料理とも抜群の相乗効果を生み出すのだ。

カツオの内臓を発酵させた液に1ヶ月浸したボタンエビ。ぷりぷり感も残っていて、口の中にはえもいわれぬ香りが漂う (撮影/Haruo Isshi)
カツオの内臓を発酵させた液に1ヶ月浸したボタンエビ。ぷりぷり感も残っていて、口の中にはえもいわれぬ香りが漂う (撮影/Haruo Isshi)

どぶろくは、米のつぶつぶ感がほどよくあって、「米を飲む」という感覚にも近い (撮影/Haruo Isshi)
どぶろくは、米のつぶつぶ感がほどよくあって、「米を飲む」という感覚にも近い (撮影/Haruo Isshi)

日本中の田んぼを無農薬無肥料化する

 こうしたどぶろくと発酵料理の大元にあるのは、やはり米づくりだ。いや、佐々木さんの中では、一番に米づくりがあり、どぶろくと発酵料理は米の可能性を広げる媒体として存在しているという気もする。

 佐々木さんは、毎朝5時、田んぼに出て、季節ごとの作業に打ち込む。20年近い経験でも、いまだ大地から学ぶことは多い。農薬も除草剤も使わないから、より、大地の声が耳に入ってくる。「とにかく、土が健全であること、土の成分が一番大事」と佐々木さんは訴える。

「発酵の原点は、大地そのもの。大地の中で行われるものすごい数の微生物たちによる営みがスターター。それがどぶろくの並行複発酵、お酢の酢酸発酵、さらには味噌、納豆などの発酵へとつながり、目に見える形となって、終わっていくものなんです」

 佐々木さんには、野望がある。無農薬無肥料の米づくりが一段落したあかつきには、全国で米づくりをする農家に馳せ参じ、完全自然栽培を伝授して歩きたいと考えている。日本中の田んぼを無農薬無肥料化するのが究極の目標なのだ。

 佐々木さんの田んぼには、さまざまな虫たちがやってくる。雑草の中をイナゴが跳ね、稲の間からはクモが顔をのぞかせ、初秋には上空を無数のトンボが飛び交う。畦には、セリやヤマミツバがなる。農薬が撒かれた田んぼでは考えられないような光景がそこには広がる。

「無農薬無肥料でやると、草たちに栄養を持っていかれるので、もちろん米の収量は下がります。でも、僕は気にしない。自然のサイクルのほうが大事だと思うから。健全な大地こそか発酵の源だと思うから」

田んぼのひとつは「タネ採り田」。大きいタネを選び育苗する。農薬が出現する前の農業に戻し、大地の健全化をはかっている。最上の発酵のためには、最良の自然栽培の米を、が信条 (撮影/Haruo Isshi)
田んぼのひとつは「タネ採り田」。大きいタネを選び育苗する。農薬が出現する前の農業に戻し、大地の健全化をはかっている。最上の発酵のためには、最良の自然栽培の米を、が信条 (撮影/Haruo Isshi)

ノンフィクション作家

1994年『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。環境保全と地域活性、食文化に関する取材ルポを中心に執筆。植物学者の半生を描いた『魂の森を行け』、京都の豆腐屋「森嘉」の聞き書き『豆腐道』、山形・庄内地方のレストランを核に動いていく地域社会を書いた『庄内パラディーゾ』、鮨をテーマにした『失われゆく鮨をもとめて』、『旅する江戸前鮨』など環境・食関連の書籍多数。最新刊は『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦 』。他ジャンルの著書として、、1992年より取材を続けているカズのドキュメンタリー『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の戦い』がある。

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