Yahoo!ニュース

キング・カズの一発が、ふさぐ人々に勇気をくれた。時代の空気を伝える10年前の「希望のゴール」。

一志治夫ノンフィクション作家
2011.3.29 長居スタジアムでの希望のゴール(写真:ロイター/アフロ)

 それは、単なる記憶に残るゴールというだけでなく、日本中の人々の気持ちを揺り動かし、生きていく希望をも与えてくれるカズのゴールだった。あたかも大震災からの復活の狼煙であるかのような。

大震災から18日後のチャリティーマッチ

 瓦礫に埋め尽くされた被災地、先行きの見えない原発事故など、日本中を重たい空気が支配していた。電力不足が喧伝され、人々は明かりを落とし、日本中のスポーツやエンターテインメントがほぼ中止や延期となった。この先、東北は、日本は、いったいどうなってしまうのか。未来の見えぬ不安な日々が続いていた。

 そんな中、大震災からわずか18日後の2011年3月29日、大阪の長居スタジアムで行われたのがJリーグ選抜と日本代表の「東日本大震災チャリティーマッチ」(『東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!』)だった。

 この日、ニュージーランドと日本代表のテストマッチが組まれていたが、原発事故を前に、ニュージーランドが来日をとりやめたため、急遽組まれたゲームだった。日本代表に本田圭佑、長友佑都、長谷部誠らヨーロッパ組、Jリーグからは闘莉王、川口能活、中村俊輔ら元日本代表が集結した。

 開催決定直後、連絡を受けたカズは、まず「本当にこんな状況の中でチャリティーゲームはできるのか。自粛ムードの中で、世の中の意見もめまぐるしく変わっているのに」と思ったという。

 4万枚のチケットは、即日完売していた。

最高潮に達したカズコールの中で

 Jリーグ選抜チーム(JリーグTEAM AS ONE)のドラガン・ストイコビッチ監督は、カズに対して、「後半15分から出す」と伝えていた。

「試合前、ピクシーからの(戦術の)指示はゼロだった。ただ、最初、『残り15分で出す』と言われて、俺は15分しかもたないと思われているのかって、ちょっと気分を悪くした(笑)。同じ時代にサッカーをやってきてそれはないだろう、試合前日に練習やっているのだって見ているだろうって。英語だったから、聞き間違えていたんだけどね」

 実際にカズがピッチに送り込まれたのは、後半17分。幾度となく沸き起こっていたカズコールは最高潮に達する。

 そして、そのゴールは生まれる。後半37分。ゴールキーパーの川口能活が前線へと蹴り上げたボールは、闘莉王のヘッドを経由して、カズの前へと流れる。カズは、すがるディフェンスの森脇良太をかわしながら、ペナルティエリアに向かって走り込む。そして右足から放たれたボールは、飛び出してきた東口順昭の頭上を越え、ゴールネットへと吸い込まれていったのだ。

 その瞬間、4万人の叫びにも似た声が長居に響き渡った。テレビの前で、スタジアムで、人々は涙し、打ち震え、歓喜の声を上げた。おそらく、震災後に初めて人々が連帯感を持って発した歓声だったのではないか。18日間にわたって、東北の人々と共有してきた鬱屈を晴らすかのようなゴールだった。

 カズは、ゴール裏スタンドに向かってカズダンスを披露した。「あの場でやることは賛否両論あるのはわかっていたけど、サッカーに人生をかけてやってきた僕の一部」という思いを込めたカズダンスだった。

日本代表のGK東口の頭上をこえてのゴール。(写真:アフロ)
日本代表のGK東口の頭上をこえてのゴール。(写真:アフロ)

「コツコツとやっていればいいこともある」

 1ヶ月が過ぎた頃、カズはこのゴールをこう振り返った。

「僕自身は、あの1点がこんなに影響力があるとは思っていなかった。ただ、あとから、毎日同じことを続けること、コツコツとやっていればいいこともあるということが、多くの人々の気持ちとつながったのかな、と思った。あきらめないとか、勇気を持ってとか、そういうキーワードと、そんな僕の姿勢がリンクしたのかな、と。

 でも、僕が98年のワールドカップに行けなかったことが、被災者の心理に重なるとかそういうことじゃないよ。被災者はもっと大きなものを失ったんだと思う。でも、僕にとって、ワールドカップというのは、言葉では言い表せないぐらいに重みのあるものだし、人生をかけてやっているものだから。そんなことをどこかで感じてくれて、感動してくれた人も、もしかしたらいたのかもしれない。

 ただ、あのゴールはもうあれでいいんですよ。時間とともに古くなっていくんです。思い出には残っても、新しい人も出てくるし、新しいゴールも生まれるし」

 時代を背負い、時代とともに生きてきたカズの放ったゴールは、しかし、10年経ったいまでも、人々の気持ちを奮い立たせている。魂のゴールは、やはり、紆余曲折の人生を歩んできた、喜怒哀楽を誰よりも抱えてきたカズが放ったからこそ価値があったのだ。皆がそこに希望の光を見たのである。

薄れていく人間の記憶の中で

 コロナ禍が始まった昨年春、最初の緊急事態宣言が発出される直前、インタビューのためカズのもとを訪ねたとき、こう語っていた。

「人間の記憶って薄れていくでしょ。震災後の痛み、どんな思いで不自由な生活をしていたかという記憶も少しずつ薄れていっている。でも、いまでもたまにこの試合がテレビでとりあげられているのをちらっと見たりすると、あのときの空気を思い出す。自粛ムードの中で、サッカーが先陣を切ってチャリティーをやり、みんなが期待している中でのゴールだった。勇気づけられたとよく言われたけど、そういう意味では他のゴールとはまた違う重みもあったんだといまは思います」

 希望のゴールは、人々の記憶から消えることなく、やはり、これからも語り伝えられていくのだろう。そしてそれは、あの時代の閉塞した空気を忘れないためにも、意義あることなのだ。

      (写真:Haruo Isshi)
      (写真:Haruo Isshi)

ノンフィクション作家

1994年『狂気の左サイドバック』で第1回小学館ノンフィクション大賞受賞。環境保全と地域活性、食文化に関する取材ルポを中心に執筆。植物学者の半生を描いた『魂の森を行け』、京都の豆腐屋「森嘉」の聞き書き『豆腐道』、山形・庄内地方のレストランを核に動いていく地域社会を書いた『庄内パラディーゾ』、鮨をテーマにした『失われゆく鮨をもとめて』、『旅する江戸前鮨』など環境・食関連の書籍多数。最新刊は『美酒復権 秋田の若手蔵元集団「NEXT5」の挑戦 』。他ジャンルの著書として、、1992年より取材を続けているカズのドキュメンタリー『たったひとりのワールドカップ 三浦知良 1700日の戦い』がある。

一志治夫の最近の記事