「日本酒ローカリズム」が切り拓く地方の未来  ~秋田「NEXT5」の試みがもたらすもの~

秋田市内にある「新政酒造」の前に立つ佐藤祐輔社長

底力ある純米酒ブーム

「人気の銘柄だと、ネットに出してわずか数時間で売り切れてしまう。前回の地酒ブームとはまた違う力強いムーブメントを感じています」と酒販店主が言うように、日本酒人気が続いている。ここのところ立て続けに秋田、新潟、福岡など各地の蔵元と話す機会があったのだが、彼ら自身もまたそんな勢いを肌で感じていた。

もっとも、数字だけを見れば、日本酒そのものの生産量、生産者の数は落ち続けている。平成元年度の全酒類に占める清酒の構成比率が15.7パーセントだったのに対して、平成24年度は、実に6.9パーセントにまで落ち込んでいて(国税庁調べ)減少傾向は続いている。

なのに、なぜ、日本酒ブームなのか。実は、全清酒の生産量は大きく減っているものの、特定名称酒(純米酒、純米吟醸酒、吟醸酒、本醸造酒)は横ばいで、結果、清酒に占める特定名称酒の割合は増えているのだ。

さらには、海外輸出の量がここ10年の間に倍増していることも見逃せない。

原料米(食用米)の使用量においても減少傾向が見られるが、酒造好適米(酒米)は横ばいもしくは増加傾向にある。

これらのデータは、嗜好品としての日本酒とりわけ純米酒系の人気が高まり、紙パックなどの廉価な大衆酒が避けられ始めているということを示している。

東日本大震災のあと、日本酒に手を伸ばす人が増加した

いまや、ちょっと洒落た居酒屋には、地方の小さな蔵元の純米酒が置かれているし、純米酒を扱う日本酒のスタンドバーも街のそこここにでき始めている。美味しい日本酒の存在に多くの人が気づき、手を伸ばし始めているのだ。

その背景を東北のある蔵元がこんなふうに説明してくれた。

「直接のきっかけは東日本大震災だと思うんです。あのあと、復興支援として宮城、福島の酒を飲もう、という動きがありましたよね。実は、宮城と福島の酒はもともとクォリティーが高かったんだけど、若い人たちがそれを東京の居酒屋とかで飲んで、旨い、と気づいた。それまでの日本酒は変な混ぜものがあるし、酒臭いし、悪酔いするしといいイメージはゼロだったんですよ。震災をきっかけに急速に日本酒が見直されていったんじゃないか、と言われているんです」

「消滅県」秋田からの逆襲

八峰町の「山本」前に立つ山本友文氏。一昨年からはシンガポールなどへも輸出を始めた
八峰町の「山本」前に立つ山本友文氏。一昨年からはシンガポールなどへも輸出を始めた

酒蔵間の交流も活発になっている。

秋田では、2010年、30代から50代の醸造家5人からなる「NEXT5」が結成された。秋田県北部にある「山本」「福禄寿」、秋田市内にある「ゆきの美人」、「新政」、南部にある「春霞」の5蔵は、この5年間、酒造りでは互いに刺激し合って技術を磨き、同時に積極的に試飲会などの共同イベントを開催して世の耳目を引いてきた。5つの蔵の主たちは、いずれも東京や海外の大学を出たあと、故郷の秋田に戻り、酒造りに挑み始めたという点で共通している。秋田を活性化したい、という思いを全員が持ちながら、酒造りを始めたのだ。

秋田はいま、「30年後に消滅する県」の1位に挙げられるほど疲弊している。人口流出率も全国で最も高く、数年後には人口が100万人を切ることが予想されている県なのだ。5人は故郷の危機を痛感していたのである。毎年、「NEXT5」では共同で1本の酒を造り、販売しているのだが、この酒は発売と同時に売り切れてしまう大人気酒となっている。味はもちろん、ボトルデザインへのこだわりなど、都会に向けてポテンシャルの高さを誇っているかのようでもある。少なくとも都会への架け橋となって「NEXT5」の名を広め、ひいては秋田の酒の底力を知らしめていることは間違いない。

秋田市内のマンション1階にあるユニークな酒蔵「ゆきの美人」。内部は超近代的
秋田市内のマンション1階にあるユニークな酒蔵「ゆきの美人」。内部は超近代的

六郷町にある「栗林酒造店」検査室前の栗林直章氏。昭和初期に建てられた酒蔵だ
六郷町にある「栗林酒造店」検査室前の栗林直章氏。昭和初期に建てられた酒蔵だ
五城目町にある「福禄寿酒造」。「一白水成」ブランドで知られる
五城目町にある「福禄寿酒造」。「一白水成」ブランドで知られる

共同醸造した「ENTER.SAKE」。生もと造り、杉樽仕込み。発売と同時に完売した
共同醸造した「ENTER.SAKE」。生もと造り、杉樽仕込み。発売と同時に完売した
「新政」の酒蔵内。ステンレスの樽からあえて木樽に戻し、酒造りに挑む佐藤氏
「新政」の酒蔵内。ステンレスの樽からあえて木樽に戻し、酒造りに挑む佐藤氏

「新政」の異常人気が導火線に

「NEXT5」人気を牽引しているひとりが、「新政」の佐藤祐輔だ。佐藤は、「日本酒界のスティーブ・ジョブズ」とも称される。古来の酒造りを踏襲しつつ、斬新な発想でまったく新たな酒をつぎつぎと生み出していくというあたりが、ジョブズと重なるのだ。東京大学英文科を卒業後、ジャーナリストを経て8代目に就いた佐藤は、それまで普通酒を軸においていた蔵の路線を一転させ、純米酒路線に切り替えた。

佐藤が掲げるのは、「ローカリズムと日本酒文化の復権」だ。自らには、秋田産米を使い、曾祖父が発見した蔵付きの6号酵母だけを用いることを課している。江戸時代に当たり前のように行われていた「生もと造り」を現代科学の力を借りつつ蘇らせ、秋田発の美酒を出していきたいと思っているのだ。

佐藤が言う。

「ワインの世界では、テロワール、自然環境との共存なんて謳われて、ありがたく拝聴してきた。けれども、江戸時代の日本酒には、そんなものはとっくに備わっていたし、むしろ進んでいたんです」

佐藤が秋田に戻ってきて9年目。いまや「新政」は、最も入手しにくい日本酒となっている。

農家の減少が酒造りのネック

一方で、5つの蔵は、米作りに対しても積極的に取り組んでいる。実は、米農家の減少で、酒造りは危機にさらされてもいるのだ。日本酒の原料はいうまでもなく食用米か酒米であるわけだが、米農家と水耕面積は減少の一途をたどっている。1965年に約488万軒あった米農家は45年を経た2010年には115万にまで減り、作付面積も激減しているのである。

いくらいい酒づくりをしても、米がなければ始まらない。

そんな状況に危機を覚えた心ある酒蔵は、自ら米づくりに乗り出している。「福禄寿」の渡邉康衛が言う。

「いま、酒米をお願いしている農家さんの平均年齢は60歳近い。5年もすれば65歳です。いい米を安定的に入手することをちゃんと考えていかないと、酒造りどころではなくなってしまう。私は、『五城目町酒米研究会』というグループをつくって、農家を募り、作付け面積を増やしています」

渡邉は、「NEXT5」の5蔵で農業法人を立ち上げて、酒米を確保していく方法も模索している。

「山本」の山本友文は、酒蔵のすぐ近くに自ら田んぼを確保した。有機栽培も試みている。

「やはり酒の原料から知らないと、と始めたんですが、農作業と酒造りの時期が重なってくると、ものすごく忙しくなってしまいそれが悩み。でもいま、地元の若いスタッフを積極的に採用して、少しずつ作付けを増やしています」

酒蔵を核とした「新しい村」づくり

佐藤氏が「酒蔵の村」を目論む秋田県内の土地。村の至るところに清流が走る
佐藤氏が「酒蔵の村」を目論む秋田県内の土地。村の至るところに清流が走る

「新政」の佐藤にはさらに大きな構想がある。県内の限界集落に近い村の中心に酒蔵を置き、周辺の田んぼで酒米をつくり、地元の若者たちを雇用して、いずれは村ごとデザインしてしまおうというのだ。

「小さい蔵をつくって、夏場に田んぼをして、冬場に酒造りするというように、村ですべてを完結する。いまは2パーセントしか使ってない亀の尾を増やしていって、そこでいずれ100パーセント無農薬化する。でも、そうすると米の値段は4倍ぐらいに跳ね上がるので、いきなりは無理なんですけどね。でも、そういう特別な蔵をつくって、若者たちが移住してくるような場所にしたいんです」

「NEXT5」のリーダー格「ゆきの美人」の小林忠彦は、日本酒の可能性をこう見ている。

「6年前に『NEXT5』を始めたときは、まだみんな酒造りも発展途上で、少しでもクォリティを上げて、話題をつくって、もっと売っていこうよ、という感じだった。最近、思うのは、思った以上に我々のことを知ってくれているな、ということです。県内だけでなく、東京の人たちにも。

最近、私たちだけでなく、いろんな地域で、故郷に帰ってきた団塊ジュニアたちが『このままじゃダメだ』といろんな酒蔵のグループをつくって発信していますよね。その結果、日本酒が親しみやすくなっている。味的にも、常識や前例にとらわれないバラエティに富んだお酒がいろんな地域から出てきている。その結果、いままで日本酒を飲まなかった人達が手を伸ばし始めている。日本酒を取り囲む世界が大きく変わっていることは間違いないんです」

日本酒の隆盛は、農業を活性化させ、地域を潤すと同時に、雇用も生む。さらには、文化の中心となって、街すらも動かす可能性も秘めている。酒蔵を核にした地方の変革に期待が集まっている。

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