東京オリンピックを考える(4) オリンピックとレガシー

(写真:アフロ)

 2015年10月、長野県御代田町の「カーリングホールみよた」で開催された「カーリング祭り」には100人を超す親子が参加し、カーリング体験を行っていた。また夜には、これまでにホールの歴史を紡いできた多くの旧知の顔が集まっていた。1998年の長野オリンピック開催に際して、この大会から正式種目となることが決まったカーリング競技に、地元出身の選手を出場させようという気運が高まったのが1995年。軽井沢町と御代田町出身(東信地区)の人びとが集まり、段ボール工場として利用されていた建物に、手作りのカーリングホールを誕生させてから20年が経過した記念行事の一幕である。オリンピックには長野の選手を送り出すことはかなわなかったが、カーリングのメッカ北海道、ソルトレークシティでのオリンピック以来、女子のカーリング競技を牽引してきた青森と並んで、チーム長野の拠点としての軽井沢・御代田の歩みがそこにはあった。

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オリンピックのレガシー

 近年、オリンピックレガシーという言葉が語られるようになってきた。この言葉の誕生については、次コラムに譲るとして、レガシーとはオリンピックが生み出す遺産(=Heritage)について、どちらかと言えばポジティブな意味合いで用いられるようになった言葉である。以来、オリンピックの開催にはいかなるレガシーを創造するのかが開催都市に命題として課されるようになった。

 長野大会がどのようなレガシーを生み出したのかについても改めて論じることにするが、競技施設やインフラ建設にともなう大きな借金と、施設の維持費に目が向きがちで、今でもネガティブに語られることが多い。一方で、御代田町に作られた手作りのカーリングホールをはじめとして、カーリングにまつわる施設(軽井沢町には現在アイスパークと呼ばれる立派な施設が作られ、カーリング競技の中心地の一つとなっている)や人的ネットワークは(社会関係資本)はユニークで、独特な展開をみせてきた。この地域はもともとスピードスケートの盛んな地域で、長年カーリングに取り組んできた歴史をもつわけではないのが驚きである(詳細は石坂友司・松林秀樹編、2013年、『<オリンピックの遺産>の社会学』青弓社、第9章参照)。

地域のレガシー

 大会後、オリンピックを契機に軽井沢に誕生した機能的なスカップ(冬期のカーリング専用施設、現在は水泳施設)と役割を分担しながら、御代田町のホールは独自の展開を模索してきた。その方向性の一端は地域に根ざすクラブになることだった。その流れを先導してきた小林貞雄氏(2015年11月逝去)は長野大会を成功に導いた立役者の一人だ。筆者が氏に出会ったのは10年を経過した2008年のことだが、スポーツとはあくまでも人間形成が主目的にならなければならない、文化として地域に継承されなければならないということを熱く語ってくれた。スポーツ文化論を体現しているような氏ですら、メダル第一主義から離れて、この境地にたどり着くには10年という歳月が必要であったようだが、これこそオリンピックのレガシーを語るにふさわしい地域の様相である。冒頭に紹介したように、このホールは子どもたちや地域に開かれている。オリンピックのレガシーは一流競技者が独占するものではない。オリンピックのためのものから、地域(ここでは御代田)のレガシーとして発展・継承されてはじめて、レガシーは意味をもつのではないだろうか。そのことを御代田の事例は物語っている。

スポーツという文化

 小林氏が生前にまとめた『みすゞかる・信濃の国 カーリング文化史』(非売品)には、信州でのカーリングの歴史と長野大会の歩みが記されている。その末尾にはこうある。

メダル至上主義はそろそろ考える時期にきているような気がするのは、私だけなのか。カーリングホール「みよた」を建設したのは、「長野オリンピック」で日の丸を上げることが最大の目的であった。今この文化史を整理して、心の変化が明らかに顕在化してきた。メダル以外に、人間にとって価値のあるものは、他にありそうだということである。

出典:『みすゞかる・信濃の国 カーリング文化史』(NPO法人あさまハイランドスポーツクラブ・小林貞雄編、2015年)

 

 東京大会のさまざまな混乱を目にするにつけ、オリンピックが生み出すレガシーとは何かを改めて考えさせられる。東信地区のカーリングの取り組みが本格化したのは大会開催の3年前である。東京大会でも何らかのレガシーが生み出されるとするならば、その芽吹きはどこかで始まっているかもしれない。2016年は混乱ではなく、そのような可能性を見いだす一年でありたい。