織田信成の訴訟の背景は~前代未聞の指導者同士によるモラハラ騒動(加筆修正あり)

フィギュアスケート(イメージ)。織田信成が記者会見で涙を見せた、その背景を解説。(写真:アフロ)

モラハラを理由にコーチを提訴

プロスケーターの織田信成さんは2019年11月18日、関西大学アイススケート部の監督だった2017年2月~2019年9月に同部の浜田美恵コーチからモラルハラスメントを受けたとして1100万円の損害賠償を求めて提訴しました。

昨年、2018年には至学館大学レスリング部、日本大学アメフト部などでパワハラ騒動が起きました。

ただ、至学館大学、日本大学ともに、構造としては加害者側が監督・コーチ(または学長)、被害者側が選手と上下関係がはっきりしていました。

それ以前に起きたパワハラ騒動でも、例えば国士舘大学剣道部事件(1999年)は加害者が上級生、被害者が下級生(死亡)と大半が上下関係によるものです。

そもそも、パワハラ(パワーハラスメント)は厚生労働省の定義(職場内でのもの)だと、

「同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」

となっています。体育会系部活におけるパワハラでも上下関係が出るのは当然と言えば当然です。

その点、織田さんと浜田さんは肩書から言えば、監督とコーチ。単純に上下関係で言えば織田さんの方が上です。しかも、同じ指導者であるわけでパワハラとは言えません。

そのため、織田さんの訴状でもマスコミ側も「モラルハラスメント」(モラハラ)を理由としています。

モラハラは、

「言葉や態度、身振りや文書などによって、働く人間の人格や尊厳を傷つけたり、肉体的、精神的に傷を負わせて、その人間が職場を辞めざるを得ない状況に追い込んだり、職場の雰囲気を悪くさせる行為」(社会保険労務士法人 川口人事労務総研サイト)

とあります。

実際に、織田さん側の主張によれば、浜田コーチの言動、態度などによって精神的苦痛を受けた、としています。

確かに、モラハラに該当する事件ではあります。

「この程度?」からか、報道は抑えめ

織田さんは浜田コーチから暴力を振るわれた、というわけではありません。

後述しますが、織田さん側によれば、無視をされた、陰口を言われた、高圧的な態度を取られた、などです。

記者会見では織田さんは涙を見せる一方、メディア側からは「え?この程度で1100万円もの損害賠償?」という疑問からか、そうしたニュアンスの質問も出ました。

そして、翌日(2019年11月19日)の朝刊では、全国紙(朝日、読売、毎日、産経)はいずれも社会面で少し報じる程度。スポーツ紙はスポーツニッポンと日刊スポーツは1面で大きく報じていますが、他は社会面で出していました。

過去はスポーツ優先でも現在は学業優先

メディア側が大きく報じられないのは、あくまでも織田さん側が提訴してその主張しか明らかになっていないこと、根底には「無視程度で訴訟?」という疑問の他に、学業への無理解があります。

そのため、19日のスポーツ紙では、

「一番の被害者は選手たち」(日刊スポーツ)

「一方的な主張はかつての教え子への影響も懸念される」(スポニチ)

など、現役選手への影響について触れています。

裁判についてはスポニチが若狭勝弁護士の、

「ビジュアルではない(目に見えない)。だから、提訴しても有利ではない」

とのコメントを掲載しています。

選手への影響やモラハラ裁判の事例はその通りかもしれません。が、メディア各社がなぜか軽視しているのが、学業についてです。

「関係が悪化したのは、今年1月。学業優先の練習時間に変更するように提案した後からモラハラがエスカレート。高圧的な態度などに恐怖感を覚え、目まいや震え、発汗が増えるなどの体調が悪化し、3月末に8日間、高熱で入院した」

「退院後、学業成績不審者を減らすために不足を変更したところ、嫌がらせを受け」

※いずれも、スポニチ記事

とあります。

他紙も、この部分をさらっと書いている程度ですが、実はこの部分が織田さん側に相当有利な部分です。

一般社会、特に40代以上の社会人で文系学部出身者からすれば、

「大学ではろくに授業に出ず、遊んでいた」

「大学はレジャーランドだった」

との思いが強くあります。そうした経験からか、「学業優先の練習時間に変更」で嫌がらせを受けた、とあっても、

「だって、体育会系なんでしょ?練習が優先じゃないの」

と考えることでしょう。

実際に、過去において、体育会系と言えば、大学に入学しても練習に試合が最優先。講義はろくに出席せず、テストは名前さえ書ければいい、という体たらくでした。

体育会系は練習に試合。一般学生はサークルにアルバイト、ちょっと古い世代だと麻雀。

理工系などはともかく、文系学部だと、体育会系にしろ、一般学生にしろ、ろくに勉強しなくても卒業できていたのです。

が、この状況は2007年の大学設置基準の改正によって一変します。

意外と知られていませんが、この2007年を境として、単位認定は厳格化。出席基準も厳しくなりました。

もちろん、2007年以降の学生ないし卒業生も、文系学部だと「大学では遊んでいる(いた)」「勉強はあまりしない(しなかった)」と話します。

ですが、同じ「遊んでいた」「勉強しなかった」でも2007年の前と後とでは、相当な差があります。

織田さん、部員の学業不振で学部長に謝罪

織田さんが関西大学文学部総合人文学科に入学したのは2005年。卒業は2011年で7年かかっています。その間、フィギュアスケート選手として活躍し、2010年のバンクーバーオリンピックでは7位に入賞しています。

2007年の大学設置基準改正を途中に挟んでいますが、それほど影響を受けず、学業は二の次だった可能性があります。

ただ、それはあくまでも現役時代の話であって、今回の提訴とは関係ありません。

織田さん側によると、アイススケート部員の学業成績について、他の部活に比べても悪いこと、大学側から対処を求められたこと、織田さんが監督として学部長に謝罪した、ともあります。

織田さん自身もブログ(氷上のお殿様織田信成オフィシャルブログ)2019年11月18日公開記事でこう書かれています。

今年の1月末、昨今の大学スポーツにおける学業重視の流れのもと、副顧問、本田コーチ、そして濱田コーチ同席のもと、私と顧問から私が作成した資料を配布し、文武両道を目指す練習時間と部則の変更についてご説明させて頂きました。その際、その場にいた全ての方からこの方針についてご了承頂きました。内容は話し合いで変更が加えられ、有意義なものになったと感じております。

私の監督としての初仕事が、濱田コーチが指導する学生の学業成績不良による学部長への謝罪の同行でしたので、その時も「申し訳ない」「ありがとう」と話して頂きました。

そして、記事の最後で織田さんはこう書かれています。

これは私の考えですが、勉強は一先ず置いてスケート一筋で熱心に頑張る事は、悪い事ではないと思います。今しか出来ない事に全力を注ぎ、素晴らしい才能や実績があれば、自ずと未来も開けてきます。ただ大学や高校に入学した、あるいは入学の意志がある者に関しては、最低限卒業出来るだけの学力と卒業する意志を持っていてほしいと思います。

この部分、2007年の大学設置基準改正を知らなければ、単なるきれいごと、ともとれる部分です。

が、単位認定が厳格化された現在においては「最低限卒業出来るだけの学力と卒業する意思を持っていてほしい」はきれいごとでも何でもなく、単なる現実を指摘しているにすぎません。

その現実に沿った対応をしようとした織田さんの練習時間・部則の変更は、なんら瑕疵のあるものではありません。

学業重視の流れを浜田コーチは理解してなかった?

浜田コーチからすれば、アイススケート部を維持発展させるためには練習しかなく、そのためには講義の出席や中高生の給食時間などは削って当たり前、との思いがあったことは容易に想像がつきます。

一方、織田さん側からすれば、大学から対処を求められた以上、練習時間を変更して勉強の時間を確保することこそ当たり前との思いがあったと推定できます。

まだ、浜田コーチ側の主張などが明らかではないので断定はできません。

が、裁判の過程で、学業が不振だったアイススケート部部員、対処を求めた大学当局(幹部職員か経営陣?)、学業不振から謝罪を受けた学部長などが証言していけば、どうでしょうか。モラハラへの証言ではないにしても、織田さん側の練習時間変更や学業不振者を減らすための部則変更に、なんら問題ないことが明らかになります。これで嫌がらせ等をする浜田コーチ側の行動・言動にこそ問題があった、と認定される可能性は高いでしょう。

それから、学業不振への対処を織田さん側に求めながら、浜田コーチとの対立を収めなかった関西大学についても、一定の批判から逃れられるものではありません。

複雑な権力構造の大学スポーツ

今回のモラハラ騒動は権力構造が複雑、という点も注目できます。

一般的な企業だと、社長・会長がトップで以下、役員、部長、課長…と権力のピラミッド構造は、はっきりしています。

大学だと、職員・経営側(トップは理事長)と教員側(トップは学長)、並立しています。大学によっては理事長と学長を兼務していたり、どちらかの権限が大きかったり、ということも。

では、大学スポーツはどうでしょうか。

一般的には、まず、顧問がいます。大学教員が就任していますが、こちらは名誉職という位置づけ。その次が部長。この部長も大学教員が多いですね。

その次が監督、コーチ…となるわけですが、一般企業ほど単純ではありません。

特に役職は無くても、OB会が指導等に大きな権限を持っている大学・部もあります。あるいは、寄付金額が大きい、現役時代の成績が優秀だった、各界との人脈がある、などの理由で発言権を有することもあります。

関西大学アイススケート部の場合、織田さんの監督就任は2017年。

一方、浜田コーチは2007年就任です。関西大学の中だけでも指導歴は10年もの差があります。しかも、織田さんと浜田コーチの年齢差は30歳以上。

浜田コーチを含めて取り決めた練習方法を浜田コーチ側が破ったことについて織田さんが提言したところ、無視が始まった、とあります。

このあたりからも、浜田コーチが、当初から織田さんについて、「名声があるから監督にするが、しょせんはお飾り」と軽く見ていた可能性も否定できません。

学長「喧嘩両成敗」は残念

織田さんは記者会見で、芝井敬司学長にハラスメント調査と処分を依頼しましたが「喧嘩両成敗」と言われた、としています。

11月18日の織田さんの提訴・記者会見を受けて関西大学は、次のようなコメントを出しました。

「提訴の内容については承知しておりませんので、コメントは差し控えます。現在、アイススケート競技がシーズンに入り、多くの選手が、練習とその成果の披露に懸命に取り組んでいるこの時期に、今般の提訴がかされたことは大変残念です」

前監督と現役のコーチの訴訟、という点で微妙な立場にある関西大学からすれば「コメントは差し控えます」は、まあ、自然なところ。

選手への影響を懸念するのもわかります。

が、学業への影響については、今後、裁判でも注目されていくことになるでしょう。そして織田さん側に理がある、と判断された場合、関西大学はさらに難しい立場に追い込まれます。

少なくとも、織田さんが芝井学長と面談した際、打てる手はいくつかあったはず。浜田コーチにも練習時間・部則変更への理解を促す、などは高等教育機関である(しかも、文武両道を標榜する)関西大学として促すことはするべきでした。

そうした話ができないくらい、浜田コーチの権限が強かったことすら推定できますが、それにしても「喧嘩両成敗」は事態を理解していない、残念な言動でした。

広告塔が一変、リスク要因に

大学スポーツはこれまで広告塔となる、と見られていました。

実際、野球に駅伝、ラグビーなど所属選手が活躍すれば、それだけ大学も注目されます。受験生が大幅に増えるまでには至らなくても宣伝効果があることは間違いありません。

しかし、2018年の至学館大学、日本大学はレスリング部、アメフト部でパワハラ騒動が起きました。

その結果、至学館大学は受験者数が微減。旺文社『蛍雪時代臨時増刊 全国大学案内内容号』(2019年8月)によると受験者数860人。受験倍率は前年の3.6倍から2.7倍に低下。

さらに深刻なのが大規模大学の日本大学で受験者数は前年比1.4万人減の95364人。

至学館大学にしろ、日本大学にしろ、パワハラ騒動や受験者数減ですぐつぶれる、ということはありません。

しかし、大学のイメージを悪化させたことは確かです。本来なら宣伝効果を期待していたはずの大学スポーツがネガティブな要素と化してしまいました。

そして、大学スポーツは一種のムラ社会です。原晋・青山学院大学陸上部監督のようなタイプなら、パワハラ・モラハラはそう起きないでしょう。が、こうした例はむしろ少数派です。大半は一種のムラ社会であり、どうしても、パワハラ、モラハラなどが起きやすい素地がある、と言えます。

それから、パワハラ、モラハラ(あるいはセクハラなども同様)は、過去よりも近年の方が、はるかに訴えやすくなっています。

まとめますと、大学スポーツは広告塔として期待できる反面、パワハラ、モラハラなどによってイメージを悪くすることも十分あり得ます。学業との両立ができていなくても同様です。

織田さんの提訴は、織田さんの意図はともかく、結果的には、大学スポーツのリスク要素を明らかにしたことになります。

今後ですが、関西大学に限らず、大学スポーツに期待する大学経営幹部・当局は、こうしたリスク要素にも取り組むことが求められます。

単に、いい選手をスカウトする、あるいは、活躍したことを喜べばいい、という時代ではありません。

追記(2019年11月21日23時加筆)

織田信成さんのブログ(2019年11月18日公開分)について一部引用したうえで加筆・修正しました。

追記(2019年11月21日23時/言葉の用法誤認の指摘を受けて)

当記事のタイトルならびに本文中における「モラハラ」について「この石渡さんって人、パワハラの定義わからずに書いてる。地位は下でも優越的立場だから、事実ならパワハラでありモラハラ」とのご指摘をいただきました。

改めて精査・検討しましたが、この点は特に修正しません。

理由は3点あります。

1点目は浜田コーチ側ないし関係者に取材しておらず、浜田コーチ側のパワハラが認められるだけの材料がありません。浜田コーチはコーチ就任が2007年と織田さんの監督就任よりも10年早く、年齢も倍近い差があります。この点から「地位は下でも優越的立場」にあることの推定はできます。記事でもこの点は書いていますが、この推定を持って、記事タイトルならびに本文において、パワハラと断じるには不十分です。

2点目は織田信成さんのブログです。2019年11月18日公開記事で織田さん自らが「モラハラ」と出している以上、それに合わせる方が適当、と考えました。

3点目は他のマスコミ記事です。いずれも「モラハラ」としており、当記事もそれに合わせる方が適当、と考えました。

ご指摘いただいた点について、結果的にご意向には添えませんでしたが、ただ、パワハラなのかモラハラなのか、記事執筆者としても悩んだ部分でしたので、ここに付記します。

ご指摘いただいた方、ありがとうございました。

なお、今後、関連記事を書く際に、訴訟を含め進展次第では、モラハラをパワハラと変える可能性はあります。

追記(2019年12月10日19時30分)

記事トップ写真について、Yahoo!ニュース個人編集部からの指摘を受け差し替えました。