「¥マネーの虎」から就活を考える・1~飛躍企業編

放送時は人気でパロディも多数(『編集会議』2002年6月号より)

「¥マネーの虎」、札束を積み上げる

企画を審査する社長(マネーの虎)5人が机の前に札束を積み上げていく。

志願者が投資希望金額と企画内容を伝えたうえで詳細をプレゼンテーション。

虎たちから厳しい質問にめげず、投資する気にさせ希望金額に到達すると「マネー成立」。

数百万円から2000万円以上もの巨額を一気に融資される。

そんな、バラエティ番組が2001年10月から2004年3月まで日本テレビで放送されていました。

もし、これが単なるクイズ番組などであれば、賞金ないし景品は最高でも1000万円までとなります。

『編集会議』2002年6月号に掲載された「マネーの虎」誕生秘話の記事
『編集会議』2002年6月号に掲載された「マネーの虎」誕生秘話の記事

「でも、この企画なら、挑戦者が交渉次第で1億円手に入れられるかもしれない。そこがまず面白いと思いました」(「編集会議」2002年6月号「『¥マネーの虎』誕生秘話」栗原甚ディレクターのコメント)

実際に視聴者は、挑戦者が巨額の投資を受けられるかどうか(あるいは、負けていくのか)ドキドキしながら見ていました。

ギャラなしだからこそ出る厳しい言葉、それから愛情

「マネーの虎」として出演する社長は、

「ギャラは出ません。交通費も宿泊費も出ません。でもカネは出して欲しいんです」(「編集会議」2002年6月号、栗原ディレクターコメント)

よくまあ、そんな条件で出演を許諾したと思います。

まあ、社長自ら広告塔となっての宣伝、と割り切る発想はあるかもしれませんが。

そのため、志願者に対しては企画の甘さなどがあれば、すぐ厳しい言葉をぶつけるところに面白さがありました。

厳しいどころか、罵声と言ってもいいでしょう。

「そこに一切の打算がないから、虎は剥き出しの言葉を志願者にぶつけてくれる。(中略)どんなに罵声を浴びせてもそこには愛情があります。それがこの番組の誇りです」(「編集会議」記事、構成作家・堀江利幸のコメント)

それから、社長VS志願者だけでなく、社長VS社長のバトルも番組の見どころでありました。

他局でもパロディ企画が登場

冒頭の写真は、「編集会議」2002年6月号の一部です。

出版・編集の専門誌である同誌はこの号で「企画虎の巻」という特集を展開。

その中で「『¥マネーの虎』誕生秘話」と出版社営業会議のシミュレーションとしてのパロディ「企画の虎」を掲載しています。

写真で使ったのは後者「企画の虎」。

雑誌以外にも他のバラエティ番組では他局でも、この「¥マネーの虎」のパロディ企画を放送するなど、大変な人気でした。

番組は2004年3月で放送終了となっています。

それから13年が経過しています。

にもかかわらず、リアルタイムで見ていないはずの10・20代からも支持されている、伝説のバラエティ番組となりました。

今回から4回、この「¥マネーの虎」を題材として、就活を考察していきます。

第一回は「飛躍した企業」編。

「マネーの虎」として出演していた社長の企業のうち、番組終了後から13年経った現在、業績を伸ばした企業を中心に紹介していきます。

※以下、企業を紹介するときは冒頭に出演していた社長と当時の肩書、投資対象などをまとめています。

東証1部上場まで成長した「大阪王将」

文野直樹

・イートアンド株式会社代表取締役

・大阪王将など

・年商71億

[投資の対象]パッション、情熱のある人

番組放送時から2017年現在までに、もっとも大きくなった会社と言えば文野直樹社長のイートアンドです。

放送時点では、未上場でしたが2011年にジャスダック上場。

2012年に東証2部、そして2013年には東証1部に昇格します。

番組では、厳しいコメントが多く、結局、出資することはありませんでした。

バングラディシュカレー(希望額2800万円)の回では、

「味が美味しいのは当たり前。売り方とか特長とか、カレーショップって何万軒もあるじゃないですか、そことの圧倒的な差別化は?」

と、厳しい質問をぶつけます。

「後発・小資本でやっていく場合は研ぎ澄まされたアイデアがないと。おっしゃっていることは大手さん、先発企業と同じなので、とてもじゃないけど勝てないですね」

と、コメント。

それでも、味にこだわる志願者に、

「まずいカレーなんて無いわ」

と、一刀両断でした。

さて、文野社長は、1985年、25歳の時に創業者の父親が引退宣言(「絵を描きたい」が理由)、それを受けて、社長に就任。

『大阪王将』チェーンは当時関西で100店舗ぐらいになっていました。従業員も30名ぐらいいて、年商15億円、利益は3200万円ほど出ていました。

逆風下で社長を継ぐ

ところが。

当時は、「大阪王将」にとって逆境でもありました。

文野社長の自著『大阪王将、上陸』(2006年、文芸社)には、1985年(昭和60年)当時の話がこう書かれています。

大阪王将が右肩上がりの成長をしていた頃、客層の中心は若い男性だった。

一度に幾皿も焼餃子を平らげて満足げにしている、あまりお金には縁のなさそうなバンカラ学生をイメージしていただければいいだろう。

(中略)

昭和60年という年はバブル経済の入り口にあたる。

今から思えば、時代は地殻変動ともいえる、大きなターニングポイントを迎えていたのだ。

ライフスタイルも価値観も、それまでとはがらっと変わってしまった。

もうその頃には、昔風のバンカラ学生はほとんど姿を消していた。

代わって街中には、お洒落で小ぎれいな若い男性を多く見かけるようになった。

バンカラ学生がいなくなったのとともに、大阪王将もピークを過ぎてぱっとしなくなった。

FCに次々加入でノウハウ吸収

結果、業績不振が数年、続くことになります。

ここで、文野社長は多角化戦略に出ます。

多角化戦略と言えば、簡単そうなアイデアですが、そのための手法が文野社長は違いました。

さまざまなFC本部に加盟してそのノウハウを習得して事業分野を広げていくことだった。

(中略)

モスバーガーを皮切りに、ポム・ド・テール、サンマルク、中古車買取専門店のガリバー、中古ゴルフ用品買取専門店のゴルフパートナー、寿司店の函館市場など数多くのFCに加盟していった。

なかには失敗したケースもあるが、さまざまな事業・業態のFCに参加して、多くのノウハウを手に入れることができた。

100店舗を擁するところまで行った企業がここまで他のFCに積極的に参加する話、私は初めて聞きました。

このFC参加から、ラーメン事業部の立ち上げ(1997年/「よってこや」ブランド)、「大阪王将」ブランドの再生(2002年交野駅前店の成功)などにつながっていきます。

東証1部で「食品」コードの理由

2001年には量販店向けの冷凍餃子を販売開始。

2002年には、社名を当時の大阪王将からイートアンドに社名変更します。

そして、2011年、ジャスダック上場。

2012年、東証2部、2013年東証1部と昇格していきます。

さて、東証1部で飲食チェーンと言えば、吉野家ホールディングス、松屋フーズ、リンガーハットなどいずれも「商業」コードに分類されています。

なお、このコードに分類されているのは、三菱商事・豊田通商などの商社、良品計画などの小売り、高島屋・イオンなどの流通も同じです。

ところが、イートアンドは他の飲食チェーンと同じ「商業」コードではなく、「食品」コードに分類されています。

確かに冷凍餃子はスーパーでよく見かけますが、「大阪王将」「よってこや」「太陽のトマト麺」など飲食チェーンブランドを多数持っている同社がなぜ「食品」コードなのでしょうか。

その理由を『FRANJA』2014年1月号のインタビューで文野社長はこう答えています。

当社の冷凍餃子のシェアは現在市場全体の約25%で第二位。そして、12年度の当社の売上高約198億円のうち食品メーカーとしての売上高で93億円、外食事業が105億円と、ほぼ半々という企業です。

外食産業が高品質の餃子や麺などを大量に適正価格で提供するためには、店舗数をがむしゃらに増やさなければなりません。

しかし、好物件に出店できる店数は限られている。ならば店舗を無理に拡大するより、冷凍食品メーカーとしてのスケールメリットを追求する方を選んだわけです。

現在の冷凍食品の出荷数を店舗数に置き換えると、当社は約1000店舗分くらいの規模になるはずです。

つまり、約420店の外食企業でありながら、FC店に卸す商品に換算すると約1000店以上の店舗を持つ企業メリットが出せています。

なるほど、大手であっても「研ぎ澄まされたアイデア」とはこのことですね。

並みの飲食チェーン経営者であれば、ともかく出店を増やすことでスケールメリットを出そうとします。

しかし、出店が増えればコストはかかります。

しかも、立地が悪ければ利益よりコストが上回ることもあるでしょう。

と言って、スケールメリットがなければ、他のチェーンに価格競争で負けてしまいます。

その点、冷凍餃子の製造・販売をチェーン向けだけでなく、一般消費者向けにも振り分ければ、無理な出店をしなくても、スケールメリットが出せる、という次第。

なるほどなあ。

そう簡単に、出資をしなかった理由がこの「食品」コード分類一つとってもわかるような気がします。

イケメン貞廣、冷静と情熱のあいだ

貞廣一鑑

・株式会社ラヴ代表取締役CEO

・人気ダイニングバーを全国に展開

・年商25億

[投資の対象]今この瞬間に命を懸けて生きている人

番組には中期から入り、南原竜樹社長とともに番組を盛り上げました。

視聴者からの人気を集めたのは、単にイケメン、というだけではありません。

冷徹というか、冷静さをもった情熱家、とでも言いましょうか。

甘いプレゼンの志願者に対しては、理詰めの質問で冷や汗をかかせます。

と言って、厳しいだけでなく、ノーマネーに終わる志願者にも優しい言葉をかけるあたりは、理詰め一辺倒の堀之内社長と明らかに違っていました。

高級ハンドメイド家具の回では、堀之内社長と投資を争い、投資先に決定。

志願者が収録中にウソをついていた(借金があるが返済義務はない、とコメント)ので投資を辞退してくる一幕もありました。

番組のルールから言えば、これは違反になります。

ところが、貞廣社長は違いました。

「僕の目的は(借金なんて)どうでもいいんですよ。銀行屋じゃないんだから。あなたが成功してくれることが、僕にとっての成功でもあるし…、やろうよ」

なかなか言えることではありません。

この家具屋はその後、成功。現在も続いています。

さて、貞廣社長の株式会社ラヴは2012年に商業藝術と社名を変更。

和食、カフェ、スタンディングバー、ヘアサロン、ブライダル事業などを展開。

2016年9月期の年商が76億円(同社サイトより)、放送時が25億円なので、3倍近く伸びています。

同社サイトには、貞廣社長のあいさつが掲載されています。

コーポレートアイデンティティは「with」。

縦のつながりの多い現代社会において、

私たちは誰もが横に手をたずさえるような仲間であり続けたいと思っています。

いろいろな人が集まって、そのバランスでなりたっていくのが会社です。

一人一人が自分の持つ個性や強みを活かしながら、弱みをみんなで補っていく。

その結果が、会社の成長や個人の成長につながっていくことが理想です。

会社のために、利益のためではなく、"with"の精神で仕事に取り組み、

ともに働き、ともに成長していきましょう。

失敗させるために投資していた高橋がなり社長

高橋がなり

・ソフト・オン・デマンド株式会社代表取締役

・AVなど映像制作

・年商78億

[投資の対象]不器用に真面目に生きている奴

放送当時、すでにアダルトビデオメーカーとして有名だったソフト・オン・デマンド。

同社を1995年に創業したのが、高橋がなり社長です。

2001年にはAV業界の企業として初めて『会社四季報』(東洋経済新報社/下期)に掲載されました。

2002年上期版には、こう記載されています。

資本金 3千万円

従業員数 単独60人(30歳)

1997年11月 8億5100万円

1998年11月 15億7500万円

1999年11月 27億6400万円

2000年11月 41億5100万円

社長 1958年12月生まれ 横浜アカデミー専80年卒

株 高橋雅也(注:高橋がなり社長の本名)36.7%(総発行株数600株)

特色・近況 ビデオ・DVDソフト等の映像制作・販売会社。アダルト向けDVDでヒット作を生み、CS放送部門も好調。総販売代理の商品取扱いの増加で2001・11期売上高55億円予想。

その後、2006年版まで掲載が続きます。

高橋社長は、志願者に対して、

「出てくる時点で50%は認めている」

「人を買いに来ているもので」

「失敗してもいい」

という他の社長とは変わった方針で投資をしていました。

番組には初期から中期にかけて出演。

企画が甘い志願者には、

「あなた資格ない。俺、説教する気にもなれない。気が付きな、自分の能力ってものを。人からお金をもらうってことは、そんな能力じゃ泥棒になっちゃうんだよ。それで悪意のない泥棒は一番タチが悪いの」(うどん屋志願者)

と、バッサリ。

「がなり説法」が人気に

高橋社長のインタビュー記事が掲載された「週刊文春臨時増刊」2002年3月31日号には、こうあります。

SOD最初の大ヒット作となったのは、高橋が企画・プロデュースしたAV「50人全裸オーディション」だ。この作品はシリーズ化され、五千万円の利益を上げる。

「全他の女性こそ登場しますが、セックスシーンはありません。僕はAVにこだわりがないんで、セックス以外のところで勝負しようと思ったんです」

(中略)

SODは百億円の売上げを見通せる時点まできた。

「証券会社の人がやって来ては株式の公開や上場を勧めてくださる。でも彼らは、AVの比率を三割以下にしてくれと言うんです」

SODはAVで大きくなってきた、会社の屋台を支えているのはAVだ、と高橋は強調する。

「誰も三割の根拠を説明できない。彼らは意味も分からないルールを、何の疑いもなしに遂行しているだけなんです」

当時、高橋社長はブログや雑誌連載でも10代から30代にかけて人気でした。その独特のスタイルは「がなり説法」とよばれていたものです。

農業に転身も、身を引く

高橋社長は2005年にSODを退任。

2007年に農業法人「有限会社 国立ファーム」を立ち上げます。

『農業経営者』という専門雑誌では「アグリの猫」という連載も掲載。

ところが、2012年1月号で、連載の休止と国立ファームから身を引くことを宣告します。

同記事では、

「これまでに15億円以上投資をしましたが、使ってしまったお金は所詮成り金の泡銭ですから未練はありません」

と、あります。

何というか、スケールが違いすぎます。

ただ、現在もSODの株主であり、影響力もあるようです。

2016年には、SODの社長が交代。野本義明氏が就任します。この記事(新社長「AV監督初作品で大コケ」おかげで社長に!?  R25 2016年8月26日)によると、

「高橋がなり氏からSODの代表取締役社長に抜擢された」

とありますので、何らかの形ではSODにもかかわっている、ということでしょう。

2次選考はAV撮影現場を見学

SOD自体はどう変わったでしょうか。

SODは番組出演時に売り上げ60億円が、番組終了(2004年3月)あとの2005年に代表取締役を退任するときは90億円。2014年現在は143億円にまで伸びています。

従業員数124人(2014年現在)ながら、新卒採用は定期的に実施。2017年卒採用も1月に説明会を実施しています。

2次試験では「実際のAV撮影現場で2次選考」とのこと。

高橋社長自身は、テレビ出演などはもちろんのこと、Twitterの更新も止まったままです。

それは、高橋社長なりの計算があるのでしょう。

ですが、いつの日かまた、高橋社長の「がなり説法」に触れられれば、と、かつてのファンの1人としては思う次第です。