最前線の医療関係者に「命の選択」という辛い決断をさせないために、我々ができること:今こそ考える死生観

最前線で活躍する医療関係者(写真:ロイター/アフロ)

はじめに

 循環器医師として命の選択に関わった専門家としてコメントさせていただきます。このコメントの内容は若干辛いものですので、気が重い方はお読みにならない方が良いかもしれません。

緊急事態宣言で引き締まってほしい日本

 都心部では新型コロナウィルスの感染者が急激に増加し始め、爆発的な感染者の増加が医療崩壊を招くのではないかとの危惧から7日にようやく政府も緊急事態宣言を発令しました。

 この判断に遅すぎると意見もあるでしょうが、医療や経済など総合的な難しい判断が迫られる現政権を批判するのも酷な話だと思います。各国とも色々な施策を打ち出していますが、どれが正解か?誰もわかりません。

 現在のところ、日本の死亡者が極端に少ないことは賞賛すべきことだと私は思います。今後は国民一人一人の責任ある行動が大切でしょう。

医療崩壊は集中治療室から

 医療崩壊といえば多くの病院に患者さんが殺到しているイメージがあると思いますが、新型コロナウィルスの患者さんを収容している病院(正確には病床)以外は空床が目立つようになってきました。外来患者さんも院内感染を恐れてかなり減ってきています。詳しくは先日投稿した記事「医療崩壊の陰で起こっている別の医療問題とは?」を参照ください。

 日本の病床数は人口千人当たり13.7床で世界では格段に多い方です。ドイツはEUでは多い方で約8床、フランスは約6床で、現在死亡者が多い、イタリア、スペイン、イギリス、アメリカは3~4床とかなり少ないのです。

 一方、日本の集中治療室は10万人当たり、約5床と少なく、イタリアの半分以下、ドイツの20%くらいですので、新型コロナウイルス感染が広がり、重症が増えた場合の日本の医療崩壊はいわゆる集中治療室の崩壊を意味します。

 現在はPCR検査で陽性とされた方は症状に関係なく入院となっていましたが、厚労省の方針で医療崩壊が危惧される自治体では無症状や軽症者はホテルなどで隔離、中症者は専門施設以外の病院で、重症者は専門施設のある病院に収容するような流れになるようです。

 問題は集中治療室の崩壊の予防です。かなり大きな病院でも集中治療室は1つか2つしかありません。そしてかなり専門的な施設でない限り集中治療室の中に感染症患者さんを区別して収容できません。重症になった新型コロナウィルス患者さんを集中治療室に収容すると、他の重症の患者さんを収容するのが困難になります。このため多くの病院では緊急以外の予定手術を延期しているようです。

専門病院以外での受け入れに注意

 無症状や軽症者といっても油断できませんので医療関係者の管理は必要です。予定手術を先延ばしにし、外来患者も減っている比較的余裕がある病院と医療崩壊を起こしそうな専門病院とがうまく役割分担をして治療すれば医療崩壊は防げるのではないでしょうか?

 新型コロナウィルス感染症に関しては現在のところ有効な治療法はありません。無症状や症状の軽い方は隔離して経過観察をするだけです。自覚症状に頼ると、いきなり肺の機能が落ちて一気に重症化する可能性があります。肺の換気が徐々に悪くなることが問題ですので、動脈血の酸素飽和度を測定するパルスオキシメーターで経過観察することが必要でしょう。

 酸素投与や栄養補給が必要な中等度の症状の患者さんも多くの病院で治療可能です。中等度の症状の患者さんを受け入れる病院にとって必要な事は感染の拡大を防ぐことです。そのためには感染症の専門家にアドバイスを受けて、収容する病棟の管理や動線をしっかりすることだと思います。そんな管理をせずに安易に患者さんを受け入れると医療関係者が感染し、その病院がクラスター化してしまいます。

人工呼吸器や人工肺(ECMO)の管理とその後

 ある程度の病院なら人工呼吸器までの管理は可能でしょう。人工呼吸器を装着するとなれば集中治療室が望ましいですが、無理な場合でもある程度厳格な管理ができる病室が必要です。集中治療室に感染者が収容された場合は他の重症患者さんの受け入れが困難になり、救急患者や緊急手術後にどこに収容するかが大きな問題になるでしょう。

 専門病院以外の病院がある程度機能すれば、専門病院の医療崩壊も防げると思います。ただ最後の砦と言われるECMOを使う場合は集中治療室が必要です。ECMOは集中治療室で専門家が常時勤務できる場合でないと使用は難しいでしょう。この装置に1番慣れているのは救急や循環器などの救急処置に慣れている医師です。これらの専門医がいる病院ならECMOを使う事は可能ですが、管理する臨床工学士が不足しています。政府はECMOを増やすことを考えていますが、装着し、管理する医療関係者が限られているので増産しても機能するかは疑問です。

 ECMOは体内の酸素濃度を維持する装置で、基本的な治療機器ではありません。装着している間に自身の免疫力で回復するのを期待するのです。また装着が長くなると、感染症や出血など様々なトラブルが発生します。ECMOの使用には慎重な適用が必要だと思われます。

 志村けんさんの訃報で知った方も多いと思いますが、人工呼吸器を装着すると苦しいので、一般的には麻酔で眠ってもらいます。状態がさらに悪化してECMOを装着しても、麻酔状態は概ね同じでしょう。免疫力でウイルスに打ち勝ち、回復すればよいのですが、ダメな時は意識のないまま亡くなられることになります。感染の心配から家族の面会も制限され、御骨になるまで会えないこともあるでしょう。

いつの時代にも命の選択を迫られる医療関係者

 患者さんが急激に増えるとイタリアのように回復見込みの少ない高齢者の人工呼吸器を取り外して若い人に使用すると言う「命の選択」に迫られる事態にもなりかねません。ただでさえ忙しい医療関係者に「命の選択」まで迫るのは酷な話です。

 医療関係者が「命の選択」を考えなければならない出来事は過去にもありました。私は若い時に国立循環器病センターで心臓移植に関わっていました。当時はまだ心臓移植が認められておらず、若い心不全の患者さんが心臓移植を心待ちにしながら亡くなっていくのを悔しい思いで見送っていました。心臓移植の技術はあるのに、脳死をめぐる「医の倫理」に関して、国民の同意を得にくく、議論が進みませんでした。

 患者さんの中には街頭で資金集めをして米国などで心臓移植を受ける患者さんもおられました。海外では自分の国でも臓器が足らないのに、異国からの患者に移植をするのはいかがなものかとの論議もありました。紆余曲折を経てやっと2009年にいわゆる臓器移植法が成立し、日本の心臓移植も軌道に乗ってきています。

 ガンの末期に対する「安楽死」や寝たきりの高齢者の胃ろうをめぐる「平穏死」など医療関係者だけでは決められない問題が次々とおきていますが、現在進行形の医療現場ではその場で医療関係者に苦渋の判断を迫ることになります。

 新型コロナウイルスの「命の選択」に関して、色々な方が記事を書いておられます。高橋浩祐氏の「新型コロナ緊急事態宣言、日本に本当に足りないのはマスクより国民のコンセンサスだ」や新潮社 フォーサイトでの熊谷徹氏の「コロナ禍で迫られる「命の選別」ドイツ医学界の提言「厳密ルール」の中身」は一読に値するのではないでしょうか?

今我々ができること:自分の死生観を見直してみませんか?

 医療関係者がそのような苦渋の判断をする苦労を少なくするにはどうすれば良いのでしょうか?

 それは我々高齢者が「高度医療を万が一の時に若者に譲ると言う意思」を示せば良いのではないでしょうか?

 臓器移植法が成立するまでには、やはり今回のように「命の選択」と言う倫理的な問題が立ちはだかりました。現場でがんばっている若い先生方に同じような苦労はかけたくないと思い、今回は高度な医療機器が逼迫したときに、自分に使われている機器を若い人に譲るという意思を伝えるために私は「譲(ゆずる)カード」を作成し、署名しました。私が万が一のときには若い人に高度な医療機器を使っていただきたいと思います。「譲(ゆずる)カード」は社団法人 日本原始力発電所協会のHPからダウンロードできます。

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 私たち高齢者は普段から若者に席を譲ってもらうなど親切にしてもらっていますので、今回は自ら高度な医療機器を譲る意思を示すことができれば、現場でぎりぎり頑張っている医師の精神的負担は少し軽くなるかもしれません。「譲(ゆずる)カード」は最後まで治療を受けたいという方には失礼な話ですが、私のように余命も短く、感染リスクの高い高齢者の方は意思を示す機会なるかもしれません。

 家族や友人が新型コロナウイルスに感染し、入院した場合、回復しない時にはもう会えない可能もあります。その為には毎日毎日を大切に生きることが必要でしょう。こんな大きな災いの機会に自分の死生観を見直してみるのも良いのかもしれません。