健康寿命よりも就労寿命

江戸切子職人(写真:アフロ)

医療費を使わない、年金をもらわないという幸福

病気でも健康でも社会保障費は必要

自堕落な生活で糖尿病になり、ついに透析が必要になった患者さんは自己責任だから医療費を自己負担せよという昨年の発言は乱暴で、患者さんを傷つけた一方で、増大する医療費を含めた社会保障費をどうすればよいのかという論議に火をつけたという点は認めざるを得ない。

前回のコラムで指摘したように病気であれ、健康であれ長生きすればするほど年金という負担がかかる。年金は自分が積み立てたものだから迷惑をかけていないと考えている人も多いようだが、実際自分のかけた年金は10年ほどで使い果たしてしまう。そもそもの年金問題は制度が始まったのは明治初期だが、本格的に始まったのは昭和30年代である。1960年の男性の平均寿命65歳(女性70歳)だったので、退職後10年保証すればよいという発想で制度設計がされた。予想以上に長寿国になってしまったので、破綻するのは当たり前である。大雑把に言えば年金受給10年以後は誰かの世話になっている。実際に1955年以前に生まれた世代は制度が大きく変わらなければ「納め得世代」と言われている。

失礼な言い方であるが病気で医療費を使っても寿命が短ければ年金受給は少なく、社会保障費全体で考えるとそれほど多いわけではなさそうだ。特に喫煙者は社会保障費を使う厄介者のように言われているが、実は喫煙者の生涯医療費は健常者と差は少ない。喫煙者の60歳前後の医療費は健常者より高いが、10年くらいで寿命となり、それ以降の医療費は必要ない。

一方で60歳の健常者がいつまでも健康であることはまれで80歳を超えてくるとやはり医療費は増えてくる。喫煙者の医療費はそれほど多いわけではないどころか、年金は少ない。さらにタバコ税まで支払っているので社会には大いに貢献している。このことは毎日医療プレミアムに詳しく紹介している。

小泉進次郎議員らの提言:健康ゴールド免許

さて自堕落な生活をして糖尿病から透析を受ける患者さんに対して自己責任だから公費負担を辞めて自己負担にせよという論議の裏には健康に留意している人に不公平であるとの意識があるのではないだろうか?この発想から小泉進次郎議員ら自民党若手がまとめた提言:健康ゴールド免許が話題になっている。健康に気を遣って医療費を使っていない人は病院にかかった時に自己負担を軽くしてあげようという制度だ。逆に言えば自堕落な生活をして病気になるのは自己責任だから負担は健康に気を遣っている人より多くしようという発想だ。この提言に関してネットでは賛否両論の意見があるようだ。ヤフーオーサーの中田大悟氏が指摘したように、この発想はマイルドな長谷川発言ではないかという反対意見がある一方、健康は自分の責任だから大いに賛成と意見もある。私は健康に留意して長生きすると年金という負担が増えるのでこの制度も意味がないように思っていた。自民党の若手も社会保障をあまり理解していないのではと思って、その他の提言を読んでみると、実はとても納得できる提言だったのである。

健康ゴールド免許以外に年金受給年齢の引き上げや再就職の支援なども提言されている。つまり健康な人にはトコトン働いてもらおうとの作戦のようだ。これで健康ゴールド免許の提案は理解できた。さすが小泉進次郎氏よく理解しておられる。

健康な人は「ずるい」という発想

さて暴飲暴食で病気になる人、何らかの理由で生活保護を受給する人は「ずるい人」なのだろうか?社会保障を受けないと損、受けているのが得との意見が多いようだが医者の立場からするとちょっと違うような気がする。

社会保障の根本的な考え方は病気や高齢になった時に最低限の生活を保障できるように設計されている。つまり、そのような制度をあまり使わない生活が幸福な人生であって、使わざるを得ない生活は辛いものである。誰も病気になりたくて暴飲暴食を続けているわけではない。私は大丈夫との油断なのだろう。

確かに病気になると医療や介護で他人に負担をかけるかもしれないが、病気なって一番つらいのは本人である。透析患者さんは毎週三回の透析を受けないと生命の危機に瀕する。生命を維持するための透析を含め毎日の生活はかなりつらい。そんなつらい生活に、金銭的な心配までかけるのは酷というものだ。

一方、健康オタクと呼ばれるくらいに自分の健康に気を遣っている人もいる。そんな人は医療費の削減を意識しているのだろうか?やりすぎとおもわれる健康法も病気になってつらい思いをしたくないという不安からだろう。残念ながら不老不死の方法はなく、老化は進み、人はいずれ死ぬ。死ぬ直前は何らかの病に襲われる。その時期が短いか長いかの違いである。

健康寿命よりも就労寿命

年を重ねると病気が増えるのは自然の理である。2000年に世界保健機関が平均寿命から日常的・継続的な医療・介護に依存して生きる期間を除いた期間を健康寿命として提唱した。寿命に対する健康寿命の割合が高いほど、医療費や介護費の削減に結び付くということで重要な政策目標にしている国も多い。結構なことだが、年金問題には全く触れていない。

世界保健機関は健康寿命を提唱する前年に「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことではない」との定義を提案しているが審議には至っていない。この定義に当てはまる高齢者はどれほどいるのだろうか?

私も含めて還暦を過ぎて全く健康な人はほとんどいないだろう。老後に働かずに健康寿命が延びると国民負担は増え、結局当てにしていた年金も減らされる可能性も高くなる。健康・病気にかかわらず何らかの形で働き続ける「就労寿命」を伸ばすことを考えたらどうだろうか?ITが発達した現在では車いすや寝たきりでも何らかの社会的貢献はできる。健康を気にせずに寿命近くまで働くことを目標にすると日本の高齢者問題の深刻度も少しは改善するだろう。

定年後男性のプライドが再雇用の障壁

定年後男性の診察をしている経験では、仕事がなくなってやれやれと思っているうちに、何もしない喪失感からうつ状態になる人が多い。いろいろと趣味を持っていても、1.2年で飽きて引きこもりがちになる。仕事を探してみるが、自分の経験を活かせないなどと言い訳をしているうちに体調が悪くなり病院通いが増える。一方、女性は家事という一生続く労働があるので元気であるが、自宅に引きこもる夫の世話でうつ状態になる人もいる。

男性が家事、特に料理ができると、妻も自由になり、夫も元気になるので定年後は昼ご飯を作ろうとの活動をしている。大阪(特に吹田市)で盛んに活動しているが、最近では男性の意識も変わり料理教室を開くと数倍の申し込みで抽選状態である。

また、何でもよいから仕事をしようと薦めているが、年金と貯えで何とか生活できるので、あえてつらい仕事には就きたがらない。元部長で今はスーパーマーケットの手押し車を集める仕事をしている人に再雇用のコツは何ですか?と聞くと「プライドを捨てること」と答える。定年後男性にはつらい選択かもしれないが、家事も簡単な仕事もプライドを捨てることがまず第一歩だろう。