点滴死亡事件と長谷川発言の接点

(写真:アフロ)

横浜市の大口病院で点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した連続殺人事件では、犯人捜しに焦点が向けられているが、多くの人が気付いていない問題がある。その問題は暴飲暴食で糖尿病を発症し、その後も医師の指導も守らずに自堕落な生活を送った挙句、腎不全で透析治療を受けている患者さんを自己責任と糾弾した結果、番組を降板した長谷川発言と関連している。長谷川発言に関しては先日コメントしたので、それを参照してほしい。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/ishikurafuminobu/20161002-00062776/

再発防止は困難

点滴の管理体制に不備があったのでないか?とか病院内部の犯行かもしれないと多くのマスコミが報道している。確かにその管理は少し慎重さを欠いていたかもしれないが、誰かが界面活性剤を混入したことは間違いなさそうである。一般に使い方を間違えると命にかかわるような薬品はカギのかかる保管庫に入れ、その使用にあたっては記録をつけるなど厳重に管理されている。しかし今回使われたのは誰でも、何処でも手に入る界面活性剤、つまり洗剤である。もし内部の者が何らかの意図をもって凶行に及んだのであれば、防止はほぼ不可能である。

医療関係者ならずさんな犯行

今回の場合、犯人は医療知識のあるものと思われているが、いくら終末期医療の病院と言え、35人の定員の4階で7月1日以降、9月20日までに48人が死亡するのは異常事態である。それが”少し多いな“と感じて原因を究明しなかった管理者もどうかと思う。現に警察の捜査が入った9月20日以降の約2週間で4階では誰も亡くなっていないという。

もし犯人が隠ぺいを考えるなら、こんな無差別・大量に界面活性剤を混入するのは合点がいかない。さらにTVで点滴のゴム栓のシールの穴を見たが、どうも太い針を使って混入したようだ。我々の業界では注射針の太さをゲージで表し、数字が大きいほど細い。おそらく使われたのは18ゲージのピンク針という太い針のようで、針が太いと注入が楽であるが、跡形が残りやすい。23ゲージを使うと混入しにくいが跡形は残りにくい。そんな観点から、周到な準備をしているとは到底考えられない。

点滴死亡事件のもう一つの問題点

話はそれたが、被害にあった患者さんに果たして点滴が必要だったのかという論議があまりされていない。35人の患者さんが入院していたとしても、多くの点滴が準備されていたことからほとんどの患者さんが毎日のように点滴を受けていた可能性がある。

感染症の治療などもあったかもしれないが、単に食事が不十分などの理由が多かったのではないだろうか?今回の事件の被害者の男性は二人とも88歳である。詳細はわからないが、大口病院は、終末期医療の高齢者を多く受け入れているらしい。病名はともかく安らかに見送るのであれば、点滴やチューブ栄養は本当に必要だったのか?そもそも病院に入院して治療をすれば回復可能であったのか?病院より施設などの方が適切でなかったか?などの疑問が残る。

平穏死を妨げる胃ろう問題

嚥下性肺炎をくり返す超高齢者に対して、安全・簡便の見地から胃に穴をあけて直接流動食を注入する“胃ろう“が平穏な死を妨げるのではないかと芦花ホームの石飛幸三先生が数年前に問題提起した。それ以後、口から食べられなくなった時に平穏死を選ぶ家族も増えたようだ。2011年の胃ろう造設者は約26万人だったようだ。詳しいデータを見つけることができなかったのでそれがどれくらい減ったのかはわからないが、仲間の医療関係者に聞くとかなり減っているらしい。食べられなくなったら胃ろうという選択から平穏死を選ぶ人が増えてきたのかもしれない。

その点滴必要ですか?

血管内に何かを注入することは大変危険なことであり、一昔前までは医師しか施行できなった。私も若いころの当直中に”先生、静脈注射お願いします“と起こされたものだ。それでは大変ということで平成14年厚生労働省が『看護師等が行う静脈注射は診療の補助行為の範疇として取り扱う』という通知を出してからは看護師も注射が可能になった。下手をすると静脈注射でも生命に危険が及ぶことがあるので慎重にするのが鉄則である。最近ではちょっと疲れたら点滴、元気がないから注射という風に安易に静脈注射が施行されている。今回の事件でもわかるように、口から入れてもそれ程毒性のないものでも、血管に入ると命の危険があるものは多い。長谷川氏が医療費の無駄遣いを指摘するなら、超高齢者の終末期医療や安易な点滴をどのようにするかの論議の方がよかったのでないだろうか?

*ご指摘いただいたように表紙の画像は配慮が足りなかったと思います。変更させていただきました。長谷川氏の指摘に関係して医療費の問題を考えるうえで重要な事件だと考えコメントさせていただきました。2025年には多死時代を迎え、死に場所すら確保するのが難しくなります。終末期医療の現実を事件を通して理解していただければ今後の論議に役立つかと思います。