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「学校へ行ってない子はラーメンなんて食べちゃダメだと思っていた」不登校当事者の罪悪感と対処法

石井志昂『不登校新聞』代表
ラーメン(ペイレスイメージズ/アフロ)

 「学校へ行ってない子はラーメンなんて食べちゃダメだと思っていた」、そう話してくれたのは北海道在住の山口真央さん(30歳)。なぜ山口さんは自分に「ラーメン禁止」を科していたのでしょうか。2017年9月30日から10月1日にかけて、北海道札幌市で行なわれた「全道のつどい」の講演録と、これまでの取材から、その理由と対処法について考えていきます。

山口真央さん(全国不登校新聞社:撮影)
山口真央さん(全国不登校新聞社:撮影)

不登校経験者・山口真央さんの話

 私が不登校したのは中学1年生のときでした。

 小学生までは活発なほうだったと思います。先生に「帰れ」と言われるまで帰らないぐらい学校が好きだったからです。

 それは中学校入学当初、文化祭を迎えるまでは同じでした。文化祭の準備に入る前、私は仲がよかった友だちと「いっしょの係りをやろう」と約束したんです。でもジャンケンで負けてしまい、私だけその係りができなくなってしまいました。

 そんなことがきっかけで友だちとの関係がぎくしゃくし始め、しだいに遠くのほうから悪口が聞こえるようになってきました。それを察したほかのクラスメートが気をつかってくれましたが、そういう「気をつかわれる自分」というのも嫌だったんです。

 もちろん、それでも「学校へ行かない」なんていう選択肢は頭にはなかったです。でも、だんだんと朝、起きると気持ちが悪くなって吐き気もするようになりました。そんなことが重なって少しずつ休む日が増えるようになってきました。

つらかったのは「どうする」の一言

 休み始めたころ、いちばんイヤだったのは、母からの「今日はどうする?」という一言です。毎朝、その言葉を聞くたびに「どうするって、そりゃ行かなきゃいけないってわかっているよ!」と感情的になることもありました。でも、そのイライラを母にぶつける勇気はなかったので、なるべく母とは顔を合わせないように生活しました。

夕方起きて朝寝る生活に

 当時の生活は、基本的に夕方に起きて、朝方に寝るという生活です。

 起きているあいだは再放送のドラマを見て、アニメを見て、夜中12時からはパソコンでチャット。出歩くのも夜だけにし、日中は部屋にひきこもっていました。

 まわりから見れば心配な状況かもしれませんが、当時の私はそうするしか自分の気持ちが整理できなかったんです。いまふり返っても「必要なこと」だったと思います。

 父は「そんなに行きたくなかったら、行かなくていいんじゃない」とおおらかに構えてくれました。それが私の気持ちに余裕をつくってくれた面もありましたが、それだけでは「学校へ行かないことは悪なんだ」という自分の感覚まではぬぐえなかったです。

不登校ゆえの罪悪感で

 学校へ行ってないという罪悪感から「みんなが学校へ行っている時間は楽しいことをしてはいけない」、そう心に決めていました。

 そんななか、友だちのお母さんが家に来て「今からラーメン食べに行くよ」って誘われました。でも私は「学校へ行っていない子はラーメンなんか食べちゃダメでしょ」と必死に断ったんですが、「何でダメなのよ、ラーメン食べたぐらいで死にはしないから」って押し切られたんです。

 以前からよく遊びに来ていたお母さんなんですが、私のことを思ってくれての行動だったのか、ただラーメンが食べたかったのかは正直わかりません(笑)。

 でも、子どもながらにすごくうれしいことでした。不登校をしてから、病院以外で母と連れだって外出するのは初めてのことだったんです。

 とはいえ「不登校の子はラーメンに連れて行けばいい」という話ではありません。あくまでそのお母さんと私とのあいだに信頼関係があったからのことだと思います。

気持ちを切り替えられた一言

 その後、私はかかりつけの児童精神科医から言われた「たぶん学校と相性が悪いんじゃない?」という一言で、ガラッと考え方が変わりました。その言葉は私に対してではなく「なぜ娘は学校へ行けないのか」と聞いた父に対する言葉でしたが、相性がどうこうなんて私は考えたこともなかったので衝撃的でした。

 その一言で、私の胸につかえていたものがストンッと落ちました。それ以来、学校でイヤなことがあっても「相性が悪いから」と気持ちを切り替えられるようになり、少しずつ行けるようになりました。

自由学舎クラムボンの利用者と調理をする山口さん(撮影:クラムボン)
自由学舎クラムボンの利用者と調理をする山口さん(撮影:クラムボン)

 私は今、帯広市の「自由学舎クラムボン」というフリースクールのスタッフをしています。クラムボンで勉強をしたり、料理したりしてすごしている子どもたちを見ていると「本当に楽しんでいるんだな」というのが伝わってきます。

 彼らを見ていると、楽しいと思えることを私ももっと楽しめばよかったなって思います。だって「楽しいことをしたい」という思いが湧いてくるというのは、とても健康的で大事なことだと思うんです。

 学校に行かない自分に罪悪感を持たないためにも、子どもの「やりたい」を大事にし、できれば親の方もいっしょに楽しんでもらえるような関わりがあるといいのかなって思います。(抄録/2017年9月30日「全道のつどい」にて)

イメージカット(イラストAC)
イメージカット(イラストAC)

なぜラーメンを自粛した?

 なぜ13歳当時の山口さんが、自分に「ラーメン禁止」を科していたのか、おわかりいただけたでしょうか。

 その理由は、親や周囲、そして自分自身も「期待する自分の姿」と「現在の自分の姿」がズレていたからだと私は思っています。

 「期待」と書くと、まるで「理想」や「高い目標」かのように思われてしまいますが、ここで言う「期待」とは「絶対にクリアしなければいけないノルマ」と言うほうが近いかもしれません。山口さんの当時のノルマは「みんなと同じように学校へ行く」ことです。

 ノルマが達成できないと「学校さえ行けない自分が悪い」という思いが強くなり「加害者意識」を抱えることになります。山口さんのように、いじめがあっても、腹痛などの身体症状があっても「悪いのは自分」だと考えるからです。

 「悪いのは自分」だと考えるから「楽しみ」や娯楽に手を伸ばすことに強いためらいを持ちます。それが「ラーメン禁止」の理由です。同じように「不登校だから私は楽しんじゃいけない」という話は、山口さん以外からもたくさん聞いてきました。

 なかには強い加害者意識から健康を維持すること、つまり、バランスのとれた食事やぐっすり眠ることすらも抵抗感を持っていた人もいました。

不登校だけではない加害者意識

 当事者だけでなく親も「子どもが苦しんでいるのに私だけ楽しめない」と思い、親自身の楽しみを自粛し、結果的には親子で煮詰まっていくというのもよくある話です。

 また、不登校だけでなく、身体の障害を持つ当事者とその親、失業者とその家族などからも、事柄はちがえど同じような心境の話を聞いてきました。不登校の親子が感じる「罪悪感」は、マイノリティになった人全般にも言えることかもしれません。

罪悪感はどうすれば?

 では、そんな罪悪感が芽生えた当事者やその家族はどうしたらいいのでしょうか。長いひきこもりのすえに亡くなった兄を持つ作家・田口ランディさんは罪悪感と自己否定感に苦しむ当事者に向けて、こんなアドバイスをしていました。

田口ランディ(撮影:田口事務所)
田口ランディ(撮影:田口事務所)

作家・田口ランディさんの話

 あなたは毎日、おもしろいことをしなさい。

 おもしろいことをするのは意外と難しいことなんです。なかなかうまく楽しめる人がいません。おもしろいことを感じるためには、日々の小さな積み重ねが重要です。

 同じ話をつい先日、娘にも言いました。

 娘は大学へ行って、つまらないことばっかりさせられていたので、頭の中がつまらないものだらけになっちゃったんです。だから「なにがおもしろいかわからない」「おもしろいものが見つからない」と娘は言っていました。

 でも、これは娘だけじゃなく、多くの若い人が言うことなんです。だから、私は「いいかい、ドデカイおもしろいものは、急に降ってくるわけじゃあないんだよ」と。

 毎日毎日、なんだっていいから、「おもしろいなあ」「楽しいなあ」と思ったことを選んでいく。その日々の積み重ねが、自分の感性を育てていくのです。

 「人生のためになることを」なんて思わなくていいんです。「私の好き」を選びつづけると、そのうち「楽しめる感性」が育ち、気がついたら夢中になれるものや使命を感じるものに出会えます。

 それによって誰かと争うこともありません。おもしろいと思うものはみんなそれぞれにちがうからです。

 だから「がまんしろ」とか「まともになれ」とか、そういうつまらないことを言う人には言いたいだけ言わせといて、あなたは人生を楽しんで、おもしろいことだけをしていれば大丈夫です。(『不登校新聞』2016年1月1日号)

イメージカット(イラストAC)
イメージカット(イラストAC)

楽しむ方法のシェアを

 田口ランディさんの話は、私にとってもすごく説得力がありました。

 いま社会にはたくさんの社会課題があります。本当は感じなくてもいい罪悪感を致し方なく抱え込まされる当事者もたくさんいます。では、いまから何を変えていくべきなのでしょうか。

 当然、社会制度は再考すべきですが、自分だけでもできることを考えると「毎日を楽しむこと」も社会に変化をもたらす、大切な「社会運動」なのかもしれません。毎日を楽しみ、みんなで楽しむ方法をシェアしていく、そんな社会課題の解決方法もあると私は思っています。

『不登校新聞』代表

1982年東京都生まれ。中学校受験を機に学校生活が徐々にあわなくなり、教員、校則、いじめなどにより、中学2年生から不登校。同年、フリースクールへ入会。19歳からは創刊号から関わってきた『不登校新聞』のスタッフ。2020年から『不登校新聞』代表。これまで、不登校の子どもや若者、親など400名以上に取材を行なってきた。また、女優・樹木希林氏や社会学者・小熊英二氏など幅広いジャンルの識者に不登校をテーマに取材を重ねてきた。著書に『「学校に行きたくない」と子どもが言ったとき親ができること』(ポプラ社)『フリースクールを考えたら最初に読む本』(主婦の友社)。

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