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猫の寿命が30歳へ【猫の腎不全の薬】を開発した東大大学院の教授に獣医師が質問しました

石井万寿美まねき猫ホスピタル院長 獣医師
写真は時事通信社から提供

猫の飼い主なら「腎不全さえなければ、うちのミーちゃん(仮の猫の名前)は、もっと長生きできたのに」と嘆きます。

猫(ネコ科の動物であるトラやライオンなども)がかかる「腎不全」という病気があります。このことは、猫を飼っている人ならよく知っていますね。症状は、水飲み場に行き、飲みたそうにしているのに飲まない、胃液や食べたものを吐く、といったものです。食欲もなくなり、多くの子がやがて亡くなってしまいます。

この腎不全の治療薬(AIM)が東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センターの宮崎徹教授によって開発されました。うまくいけば、猫が腎不全にならず30歳まで生きてくれるかもしれない、ということなのです。

それを知った飼い主たちは浮足立ちました。

このAIMは、薬品にする製造のための開発をほぼ終了するところまできました。しかし、新型コロナウイルスの影響で研究費不足に陥り、開発は中断を余儀なくされてしまったということが、7月11日の時事ドットコムニュースに流れました。

それを読んだ人たちは、研究を支援しようと東京大学への寄付が急増。東京大学によりますと、8月3日の午前8時現在で1万2600件の寄付があり、総額は1億5500万円に達したと、FNNプライムオンラインが伝えています。

毎日のように、猫の腎不全の治療をしている筆者は、愛猫家と臨床獣医師の気持ちを代表して、宮崎教授にインタビューしました。

写真は時事通信社から提供
写真は時事通信社から提供

猫の腎不全の薬(AIM)ってなに?

宮崎教授の話を読む前に、ざっくりとAIMの説明をしておきます。

AIMとは、Apoptosis Inhibitor of Macrophageの略です。言葉の意味は宮崎教授のご著書の『猫が30歳まで生きる日』に書いてありますが、以下の通りです。

Apoptosis 細胞死

Inhibitor of 抑制する

Macrophage マクロファージ

つまり「マクロファージの細胞死を抑制する分子」という意味です。もともとはマクロファージを長生きさせる分子のようだ、として発見されたのでそのような名前を付けたそうです。でも、研究を重なるうちに、もっと大切な働きがわかったのです。

腎不全の子は、尿が流れているところにたくさんのゴミ(老廃物)がたまります。それが詰まって、腎臓が機能しにくくなるのです。

マクロファージは、そのゴミを食べる役目を持った細胞です。でも、猫の場合はなかなかゴミのあるところがわからず、マクロファージが本来の働きをしにくいのです。

しかし、猫にAIMを投与すると、事情が変わります。AIMは動物の血液中にあるタンパク質で、その役割は「ゴミのありかを伝える札」のようなものです。AIMがゴミに貼り付いて、「ここにゴミがあるよ」と知らせてくれるので、マクロファージは効率よくゴミを食べて掃除できるようになります。その結果、猫が腎不全にはなりにくくなる、という仕組みです。

それでは、このAIMの働きを知った上で、宮崎教授がどんな話をされたのか見ていきましょう。

まずは、AIMのサプリから

AIMのサプリは、今年中か来年には一般の人に手に入るようになるということなので、宮崎教授に詳しく質問しました。

宮崎教授:サプリは、猫が本来持っているAIMを活性化させてあげられるような成分を配合したものになると思います。実はネコ科の動物は、人間と同じようにAIMを血液中にたくさん持っています。ところが、ネコ科の動物のAIMは血液中で不活性状態になっていて、「体の中のゴミの場所を知らせる」という働きができません。そのため、年を取るに従って腎臓にゴミがたまり、腎不全を起こしやすいのです。猫の腎臓病には、IRIS(*)の定めた症状のステージで1から4までありますが、ステージ3とか4といった重症になってしまったときに、サプリを摂取しても回復は難しいでしょう。重篤な症状が出ている場合は、AIMを体外から注射するのがいいと思います。サプリは、腎臓病の初期段階であるステージ1とか、あるいは生まれてすぐくらいから使うといいですね。

IRIS(the International Renal Interest Society)は、小動物の腎臓病に対する科学的理解を深めることを目的に設立された。

筆者:その辺が人間や犬と違うところなんですね。『猫が30歳まで生きる日』にネコ科の動物もって書かれていますね。

宮崎教授:私たち人間の場合も、猫と同じように腎臓にゴミはたまりますが、その都度自分のAIMを使って掃除しているわけです。でも、AIMが働かない猫はゴミを掃除できないので、どんどんそれがたまっていきます。ですから、なるべく猫が幼いうちにAIMをちょっとでも活性化させてあげると、ゴミを十分掃除できるようになるのではないかと思います。

筆者:おっしゃっているサプリは、結構早い時期にできるんでしょうか。

宮崎教授:そうですね。サプリは、ある会社とかなり前から開発を進めてきました。ただ、AIMを活性化する成分を粉にしても、猫は絶対食べてくれないと思うので、キャットフードやおやつの中に混ぜて食べてもらえるような配合を考えてもらっています。多分今年末から今年度中には出せるよう頑張っています。

治療薬であるAIMの注射はいつ使えるの?

いまも多くの猫は腎不全で苦しんでいるので、その飼い主は「いつうちの子にその薬が使えるのか。早く早く」と関心のあるところです。いつになれば、使えるのかを質問しました。

宮崎教授:猫のAIMが不活性状態で働かないために腎臓が悪くなるということが分かって論文にしたのが2016年ですから、もう5年前です。その時点で、AIMを猫に直接投与すると、腎臓病に効くだろうということを確信しておりました。

本来でしたらちょうど今頃、治療薬が完成しているはずでした。でも、コロナの影響で、かなり遅れが出ています。

筆者:2023年ぐらいにはできる予定っていう感じなのでしょうか。

宮崎教授:残念ながら、まだ開発作業を再開できる状況にはありません。ただ、例えば今年の終わりぐらいに再開できたと仮定しますと、2022、2023、2年間あれば、多分2024年の最初、もしくはうまくいけば2023年の終わりぐらいには完成できるのではないかなと推定しております。

AIMの注射の価格は?

人の医療と違って、猫の獣医療は民間の保険もありますが、ほとんどが実費なので、猫の飼い主としてはAIMの注射の価格は知りたいところですので、質問しました。

宮崎教授:現時点で具体的な価格までは想定できていませんが、AIMは人間のがん治療薬「オプジーボ」のような抗体医薬と同じタンパク質製剤なので、化学合成でできる普通の薬剤と違って、製造するのに手間がかかります。ですから、注射1回当たり100円とか200円という価格にはならないと思います。

しかし、できる限り価格は抑えて、たくさんの猫に使っていただけるようにしたいと思っております。

AIMは腎不全だけではなく「がん治療」にも効果があるの?

ご著書の中に、AIMは腎臓病以外の病気にも効くと書いてあったので、がん治療にも効果があるのかを質問しました。

宮崎教授:がんに関して論文にしているものは肝臓がん(*)だけですが、AIMはかなり効果がありました。その後、マウスを使った実験で、いろいろながんに対するAIMの効果を試しているところです。

先生もご存じのように、動物薬の場合は腎臓薬としてAIMが世に出たとしても、獣医師の先生方のご判断で、別の病気に処方することもできますので、是非、がんのほうにも使っていただけると、そこで臨床データが積み上がっていくのではないかなと思います。

Circulating AIM Prevents Hepatocellular Carcinoma through Complement Activation

写真は時事通信社から提供
写真は時事通信社から提供

研究を進めていく上でのモチベーションとは?

宮崎教授は、人のお医者さんですが、猫の腎不全の薬を発見しました。いまの獣医療は、腎不全には皮下点滴とか内服などの対症療法しかできません。残念なことに、治療をしたからといって、腎不全は治るわけでないです。

しかし、宮崎教授は、コロンブスの卵のような発想の転換で、猫のAIMが働いていないことを発見されました(これは、ネコ科の動物が持っている先天的なものです)。そのような基礎医学をずっと研究されているモチベーションを質問しました。

宮崎教授:実は臨床(医療)が好きで、今の研究に出合わなければ普通に内科医か救命救急医になっていたと思います。でも、医者になって最初の研修医の頃に、治らない病気があまりにもたくさんある現実を知って、若い内科医としてはすごくショックを受けました。

例えば自己免疫疾患、先生もご存じのように、人間の場合は特にそうなんですが、自己免疫疾患の患者さんには、ものすごくたくさんの検査をします。長い時間をかけてたくさん検査をして、患者さんには病名を告げるわけなのですが、じゃあその病気に対する治療法は何かと言えば、結局のところ免疫抑制剤かステロイドしかありません。言い方はあまりよくありませんが、これは痛いところに痛み止めを塗るようなものです。

筆者:いわゆる対症療法ですね。

宮崎教授:そうなんですよね。だからこれはちょっと何とかしないといけないんじゃないかなと思って、基礎的な研究のほうにすすみました。

今回の多額の寄付について

多額の寄付についてもネットでは話題になっているので質問しました。

宮崎教授:本当に驚いて、寄付してくださった方々に感謝している次第です。

筆者:その辺ネットの社会っていいところですね。

宮崎教授:そうですね。これは20年前では起こり得ないことですよね。

筆者:寄付されてる方は、猫の飼い主さんが多いのでしょうか。

宮崎教授:寄付してくださった方のコメントを拝見しておりますと、初めのうちはほとんどが猫を飼っていらっしゃる方とか、あるいは猫がお好きな方のようです。

後半の方になると、AIMの研究そのものに非常に共感していただいた方とか、あとは犬の医療にも何とかつなげてほしいというような、そういう希望で寄付していただいてる方も増えていたようでした。

ネット社会は、いろいろな問題もあります。しかし、今回はいい方向に風が吹きました。

猫の飼い主の熱意が宮崎教授のAIMの研究の背中を押しました。2030年ぐらいの近未来になれば、猫はAIMのサプリメントを飲むのが常識になり、そのうち30歳の猫が日本に多くいるようになる、そんな時代がすぐそこまで来ています。

その頃になれば、いまの犬のフィラリア症のように「昔、猫に腎不全という病気があったのよ」と年老いた獣医師が昔を思い出して説明している日が来るかもしれませんね。宮崎教授のような基礎医学を研究される人がいると「治らない病気が治る」ことが増えていくのでしょう。

■宮崎 徹(みやざき・とおる)氏

東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センター分子病態医科学教授

長崎県生まれ。1986年東京大学医学部卒。同大病院第三内科に入局。熊本大大学院を経て、92年より仏ルイ・パスツール大学で研究員、95年よりスイス・バーゼル免疫学研究所で研究室を持ち、2000年より米テキサス大学免疫学准教授。06年より現職。タンパク質「AIM」の研究を通じてさまざまな現代病を統一的に理解し、新しい診断・治療法を開発することをめざしている。

まねき猫ホスピタル院長 獣医師

大阪市生まれ。まねき猫ホスピタル院長、獣医師・作家。酪農学園大学大学院獣医研究科修了。大阪府守口市で開業。専門は食事療法をしながらがんの治療。その一方、新聞、雑誌で作家として活動。「動物のお医者さんになりたい(コスモヒルズ)」シリーズ「ますみ先生のにゃるほどジャーナル 動物のお医者さんの365日(青土社)」など著書多数。シニア犬と暮らしていた。

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