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「できる治療は全部してください」と言った男性の決意 保護猫が癌だったらどうする?

石井万寿美まねき猫ホスピタル院長 獣医師
NPO法人「動物愛護・福祉協会60家」を設立した木村ご夫妻 HPから

兵庫県の宝塚市に住む木村ご夫婦は、6年前に外出中、茶トラの赤ちゃん猫を拾ったことが保護猫活動の始まりだったそうです。いまでは、NPO法人 動物愛護・福祉協会「60家(ろわや)」を設立(60家という名前は、初めて拾った猫「ロワ」の当て字で、60の0は輪をイメージして手を取り合おうというメッセージを込めたとのこと)。

今年の夏、あるお寺の境内で、白い猫が顔にけがをしていると「60家」に運び込まれました。しかし、保護されたその猫を病院に連れていくと、ケガではなく癌だということがわかったのです。その子は、いまは筆者の動物病院で癌の治療中です。

20年ぐらい前なら、人が世話しない野良猫の寿命は、3年ぐらいと言われていました。

ところが、「地域猫」という飼い方や理解が生まれ、広がってきました。特定の飼い主はいないものの、地域住民の認知と合意のもとで、共同管理されている猫です。その「地域猫」 は長寿になり癌(癌は基本的にシニアになってから発症することが多いです)になる時代になったのです。今回は、この子を通して「地域猫」が「癌」になったときに治療をどうするか?を一緒に考えてみましょう。

■猫が負傷していると運び込まれた

「お寺の境内にいる猫が顔に大きなケガをしています」

そういう連絡が60家に入ったそうです。

「別の動物保護団体が白い猫を設置した捕獲機で捕まえて、うちのところに連れて来られました。そのときは、まだ、人には慣れていなくて、触ることはできなかったんです。」と、木村氏は当時を振り返って教えてくれました。

「白い猫の左目を上から覆いかぶさるように、大きな赤い血がにじみ出ているようなものがついていました。それに加えて、両耳ともちぎれていて、できものがある方の耳の根元も腫れて血がじわりと出ているのです。これは、けがでなく腫瘍だなと思いました。

目の上の腫瘍の大きさが、500円玉の2倍ぐらいありました。大きな眼帯をかけたようになっているので、猫は左から見ることができません」

そんな姿を見て木村氏は「助けることができず、もうダメかも」と辛い気持ちだったそうです。でも、最初に助けたロワ ちゃんのことを思い出し、「なんとかする。とにかくこのままではいけない。」と考えて近くの動物病院に連れていきました。

しかし、「うちではこんな大きな癌の治療はできないので、腫瘍専門の病院に連れていってほしい」と言われました。木村氏は、その獣医師から血液検査の結果などを聞いて、外の子なので栄養状態もよくないことを知り、家に連れて帰りました。

でも、木村氏は諦めませんでした。「この子を見捨てるわけにはいきません。なんとしても癌の治療を受けさせてあげたかったのです」

■「白(はく)ちゃん」と名付けられて、治療をすることを決意

撮影筆者 白ちゃんと木村ご夫婦 当院にて
撮影筆者 白ちゃんと木村ご夫婦 当院にて

木村氏は、保護猫活動をしているネットワークで、癌の猫の治療をしてくれるところはないかと探して筆者の動物病院に連れて来られました。その白い猫は、腫瘍のところを前足で掻くので、手には血の跡がついて汚れ、耳の辺りにも血がにじんでいましたが、『千と千尋の神隠し』に出てくる龍の姿になる「ハクちゃん」のように、強く優しい子になってほしいという思いで「白ちゃん」と名付けました。

■白ちゃん、当動物病院に

「顔に腫瘍ができている猫を保護したので、一度、見てほしい」

と木村氏から事前に相談されていました。白ちゃんの前に、内臓に癌ができている子の治療をしていました。筆者が、初めて白ちゃんを見たときは、大きな捕獲機に入っていました。おどおどして触れない状態でした。筆者が近づくと、捕獲機の中で大きな音を立てて逃げまどいました。

こんな大きな腫瘍を取り切ることは、そう簡単なことでない、宝塚の動物病院が治療を断った意味がよくわかりました。その上、白ちゃんを触るたびに暴れるため麻酔や鎮静剤をかけないと治療ができません。でも、麻酔や鎮静剤をかけると弱るため治療をどのようにしようか、と悩んでいました。

■白ちゃん、治療を開始する

「だいぶ懐いてきたので、治療をしてほしい」

と木村氏に言われました。木村氏に保定をしてもらいネットに入れて、麻酔をかけました。初めて白ちゃんを抱っこしたときは、骨に当たるぐらい痩せていて血なまぐさく、その上、化膿のツーンとしたニオイもありました。

血液検査、そして、癌のある比較的切除しやすい右を取り、他の癌の部分も侵襲性の少ないように手術しました。あまり多量に取ると出血やショックを起こすためです。

病理の結果は「扁平上皮癌(へんぺいじょうひがん)」でした。この癌は、猫の場合は顔、耳、鼻腔内、口腔内にできることが多く、びらんや潰瘍ができます。

地域猫なので、こんなに大きくなるまで放置されてしまい、結果的に、治療にお金と時間がかかります。飼い猫でも、経済的な理由で諦める人もいます。白ちゃんは、地域猫ですし、そして、木村氏のところは、白ちゃん以外にも数十匹の猫がいます。筆者は、白ちゃんの治療をどうするのか、きちんと話さないといけないと思いました。

■白ちゃんの癌治療はできることは、全部してください

「保護猫なので、どこまで治療をしましょうか?」

と筆者は、恐る恐る尋ねました。獣医師としては、飼い猫と飼い主のいない猫の治療を区別したくありません。現実問題、それは難しい問題です。多くの保護猫は、癌になっても抗生剤やステロイド剤の投与だけに終わることが多いのです。しかし、木村氏は何の迷いもなく「できる治療は全部してください」ときっぱりと言われました。

癌治療は、ひと月の間、懸命に治療をしたら治るものではなく、寛解に持っていくには、猫でも月単位、年単位がかかります。そこで、家でできることは、なるべく木村氏に治療をしてもらうことにしました。手術をした月は、十万円ぐらいの治療がかかりました。

そんなに木村ご夫妻に愛情を一杯に世話してもらった白ちゃんは、よく食べるようになり、獣医師の筆者でも鎮静剤などがなくても触ることができるようになりました。

捕獲機に入っておどおどしていた白ちゃんとは、まるで違うおっとりした猫になっていました。

週に1回ぐらい当院に連れて来られていますが、一般的な飼い猫よりおとなしく注射やレーザー蒸散などもさせてくれています。

保護猫だからと言って「看取る」治療を選ばず、積極的な癌治療を選んだ木村ご夫妻の気持ちと行動力に、筆者は感謝の気持ちでいっぱいです。

治療をしている白ちゃんは、どこか誇らしげで「私には、愛してくれる人、守ってくれる人がいるのよ」と言っているように見えます。抱っこすると、嫌なニオイも少なくなりだいぶんずっしりとした重さになってきました。

■「地域猫」が癌になったら、どうする?

筆者は、長い間、臨床獣医師をしています。

20年前なら、野良猫は、いわゆる猫エイズや白血病などの感染症で運び込まれて、口内炎や削痩(著しく痩せ細った状態)していることが多かったです。野良猫は、満足に餌ももらえず、暑さ寒さに耐えることが難しいので、約3年で亡くなっていたのです。

いまは、「さくら猫」「地域猫」が増えて、飼い主のいない猫が以下の理由で長生きになっています。

(さくら猫とは、耳の先がさくらの花びらのようにV字カットされた猫で、不妊手術や去勢手術が行われた野良猫の目印のためにカットされています。)

・TNRで不妊去勢手術をしてもらっている

TNRの「T」はTrap(トラップ) 捕獲すること、「N」はNeuter(ニューター)不妊手術のこと、「R」はReturn(リターン):猫を元の場所に戻すことです。つまり捕まえて不妊去勢手術をすることです。

・地域猫に規則的に餌をあげる人がいる

規則的に餌をあげることによって、飼い主のいない猫は食べ物を探す必要がなくなり、ストレスがないのです。

・地域によっては、地域猫に理解がある

不妊去勢手術をして、餌をあげて、きちんと後片付けする人を見て、地域猫に住民の人が理解をしてくれます。そうすると猫に虐待などもする人が減り長生きになります。

白ちゃんの歯を見ると犬歯ぐらいしかなく、扁平上皮癌になっていることを考え合わせると、10年以上生きていることになります。癌は、3年ぐらいの寿命ではあまりかからない病気です。筆者の病院では白ちゃん以外にも保護猫の癌治療をしています。

地域猫という仕組みができて、猫たちは、喧嘩のリスク、交配で猫エイズや白血病になるリスクが減りました。野良猫は、以前より住みやすくなり、長生きします。そのため、癌などになることも多くなってきています。

もちろん、治療には経済的なことも発生します。「保護猫だから、治療をしなくて餌をあげているだけでもいい」という意見もあると思います。その辺りは、これからより議論が大きくなっていくのではないでしょうか。

白ちゃんのように、愛情をもらって癌治療をしてもらえる子は、ごくまれでしょう。以下が白ちゃんの保護先です。ブログに白ちゃんの様子も載せられています。

NPO法人 動物愛護・福祉協会60家(ろわや)

まねき猫ホスピタル院長 獣医師

大阪市生まれ。まねき猫ホスピタル院長、獣医師・作家。酪農学園大学大学院獣医研究科修了。大阪府守口市で開業。専門は食事療法をしながらがんの治療。その一方、新聞、雑誌で作家として活動。「動物のお医者さんになりたい(コスモヒルズ)」シリーズ「ますみ先生のにゃるほどジャーナル 動物のお医者さんの365日(青土社)」など著書多数。シニア犬と暮らしていた。

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