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現在の「日本人」のルーツは「3つ」ある?

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 日本人のルーツは長い間、論争が続いてきた。主に社会学・文化論からのアプローチと考古学・遺伝学からのアプローチがあるが、DNAなどを用いた分子考古学からの分析も進められてきた。今回、ゲノム解析によって新たな日本人のルーツ仮説が提唱された。

 論文(※1)を発表したのはアイルランドのダブリン大学トリニティ・カレッジなどの研究グループで、鳥取大学や金沢大学、日本各地の博物館や考古学センター、教育委員会などの研究者が参加している。同研究グループによれば、日本人は従来のルーツ仮説に加え、もう一つ重要な人口流入があったのだという。

ルーツに関する「二重構造モデル」とは

 最近、沖縄で発見された旧石器時代(紀元前1万4000年頃まで)の港川人の人骨から得たミトコンドリアDNAを分析したところ、港川人は縄文人や現在の日本人とは遺伝的に異なり、直接のつながりはなさそうだという論文(※2)が発表された。この論文を発表した研究グループによれば、港川人は縄文人と同じルーツを共有するものの、その遺伝子(母系)は後に伝えられずに途絶えたことが推察されるという。

 日本人が日本列島にどこからやってきて、その後、どんな混血を経て現在の日本人になったのか。この議論については長く論争が続いているが、天皇史観に強く影響を受けた戦前はともかく、戦後になって土器や遺物、遺跡などの研究が進み、主に東南アジアからやってきた縄文人に、弥生時代(前10世紀〜3世紀中頃)以降に北東アジアから渡来した集団が混血することで現在の日本人が形成されたという説が有力だ。

 この仮説は埴原和郎(東京大学名誉教授)が1991年に提唱したもので「二重構造モデル(Dual Structure Model)」と呼ばれている(※3)。このモデルは、従来の論文や学説などをもとに多変量解析(Multivariate statistical methods)によって日本各地の集団の分岐などを解析したものだが、縄文人がいつどこからやってきたのか(東南アジア以外からではないか)、二重構造以外の人口流入があったのではないかなど、依然として議論が続いている。

 冒頭で紹介した論文は、この議論に新たに加えられた仮説だ。論文によれば、従来の二重構造モデルをより洗練させ、現在の日本人には3つの祖先集団があり、弥生時代以後、古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)に大量の人口流入があったとする「三重構造モデル」になっている。

古墳時代の祖先が3つ目のルーツ

 埴原和郎の二重構造モデルとはどう違うのか、同研究グループの中込滋樹氏(トリニティ・カレッジ医学部、金沢大学古代文明・文化資源学研究センター)にメールでコメントをいただいた。

──今回のご研究で埴原和郎の二重構造モデルが修正されたということでしょうか。

中込「はい。現在の日本人のルーツは、ある程度は二重構造モデルを維持しつつ、古墳時代の東アジア系を入れた『三重構造モデル』ということになります。また、この古墳時代の日本人は、縄文系・北東アジア系・東アジア系の3系統の祖先によって構成され、三重構造の構成としては、縄文系・北東アジア系(弥生時代に移入)・東アジア系(古墳時代に移入)の祖先であり、この多重構造が古墳時代に成立し、現代においても同様の構造が見えているというのが我々の発見したことです」

──三重構造モデルということは、縄文人+弥生人+古墳人が現在の日本人になったということでしょうか。

中込「それは違います。我々の論文では、現在の日本人は、縄文人の祖先に加え、弥生時代と古墳時代それぞれに大陸からやってきた集団がもっていた祖先が合わさって三重構造を構成していることを議論しております。これは、現代日本人が縄文人+弥生人+古墳人という表現とは異なります。なぜなら、少なくとも今回分析対象とした個体に関しては、弥生人および古墳人がそれぞれ独自の祖先をもっているわけではなく、縄文人の祖先と大陸の祖先が混血した状態であったからです」

──それぞれの祖先集団がそもそも大陸で混血していたということでしょうか。

中込「表現として、二重構造モデルあるいは三重構造といったことを示す際には、縄文系と北東アジア系の祖先、縄文系・北東アジア系・東アジア系の祖先という表現にしていただけますと、論文の内容をより正確に反映したものになるということです」

──ご研究では、縄文人が長く大陸から隔絶した期間が続き、孤立化と遺伝的なボトルネックが生じたとありますが、弥生系、古墳系との混血になんらかの影響を与えたのでしょうか。

中込「これについては現在のところ、正確に答えられる科学的根拠を持ち合わせておりません。縄文人が長い期間日本列島に隔離され(少なくとも遺伝的には)、集団サイズが小さかったことで独自の進化を遂げてきたことは十分に考えられます。それは必ずしも適応進化とは限らず、むしろ遺伝的浮動の効果(筆者注:自然選択や性選択などではなく偶然による無作為な遺伝子の多様性)によって縄文人の系統としての独自性が維持・蓄積されてきたと考えられます。そして、その独自性が、混血において何か影響を及ぼしたかどうかは我々の研究テーマとなっておりますので、次の我々の論文でそうした内容の成果をお届けすることができたらと思っています」

今後は古墳時代のエリート層を調べる

──古墳時代はヤマト朝廷の成立まで含むわけですが、古代国家の成立時に東アジア系からの大量流入があったとしたら、その時どんな「イベント」が起きたと「想像」できるでしょうか。

中込「大陸からの移入が、どの程度国家の成立に影響を与えたのかは今後の課題です。我々がゲノムデータを生成した古墳時代の個体は前方後円墳ではなく、横穴墓に埋葬されておりましたので、我々の研究では、おそらくエリート層ではない個体の遺伝学的背景をみていたことになります。今後、エリート層のゲノムを調べていくことで、階層社会において大陸からの影響がどこまであったかを議論することができると考えております」

 日本の考古学では、縄文時代、弥生時代の時代区分についても依然として議論が続いている。縄文土器や弥生土器、あるいは稲作の遺構などの遺物や遺跡の調査による区分があったが、おおまかな時系列はわかっても、それらを使用する文化の強弱や地域ごとのズレなどの整理が必要で区分ははっきりとできない。実際、稲作は縄文時代の終わり頃にはすでに始まっていた。

 先日、宮内庁と大阪府堺市は、世界文化遺産である「百舌鳥・古市古墳群」の「大山古墳(仁徳天皇の陵墓とされる古墳)」の発掘調査の開始を発表した。堺市によれば、保全や修復のための調査だが、以前発見された円筒埴輪の状態など考古学的な調査も行うという。

 今回、発表されたゲノムによる研究により、日本人のルーツも次第に全体像が俯瞰できるようになってきた。いわゆる邪馬台国論争などもそうだが、弥生時代後期から古墳時代の調査は陵墓での考古学的な研究がなかなか進まないこともあって議論がつきない。今後は分子考古学と発掘調査による実証を組み合わせ、過去がはっきり見えてくるようになっていくだろう。

※1:Niall P. Cooke, et al., "Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations" ScienceAdvances, Vol.7, No.38, September, 17, 2021

※2:Fuzuki Mizuno, et al., "Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences" Scientific Reports, Vol.11, 12018, June, 13, 2021

※3:Kazuro Hanihara, "Dual Structure Model for the Population History of the Japanese" Japan Review, Vol.2, 1-33, 1991

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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