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タバコ「パッケージ戦争」はまだ続く

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 先日、WTO(世界貿易機関)が、いわゆる「プレイン・パッケージ(PP)」訴訟について訴えを最終的に却下すると発表した。これにより、2012年から続いてきたタバコの「パッケージ戦争」に一定の終止符が打たれたことになる。この「パッケージ戦争」とは何なのだろうか。

プレイン・パッケージとは何か

 タバコというのは実に「摩訶不思議」な商品だ。なにしろ、パッケージに「使用すると健康に悪影響がある」と大きく「警告文」が表示されている。

 健康に悪影響がある商品を堂々と売っていいのか疑問が残るが、日本も批准する「たばこ規制枠組条約(たばこの規制に関する世界保健機関枠組条約、WHO Framework Convention on Tobacco Control、以下、WHO FCTC)」(2005年に公布)にはタバコ・パッケージの警告表示やタバコ会社の広告規制に関する項目(第11条、第13条)があり、条約締結各国がWHO FCTCの規定に沿ってタバコ規制をしている。

 こうしたタバコのパッケージ規制では、オーストラリアが最も厳しい国の一つだ。例えば、2012年から実施された「タバコ・プレイン・パッケージ(Tobacco plain packaging、PP)」規制があり、これはタバコのパッケージに有害警告の文字や写真だけを表示させ、全体を地味な茶色にし、ロゴを使った商品名は表示できない内容となる。

 タバコ・プレイン・パッケージの「Plain」とは「無地」とか「明白明瞭な」といった意味だが、タバコ会社はタバコのパッケージを自由にデザインすることは許されない。オーストラリアの場合、パッケージの75%には健康被害を唱った警告文やタバコが原因の疾病画像などを掲載しなければならないということになる。

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オーストラリアのプレイン・パッケージの採用前(左)後(右)。採用後のパッケージでは、商品名が下のほうに目立たない書体で表示されているだけだ。Via:Suzanne Zhou, Melanie Wakefield, "A Global Public Health Victory for Tobacco Plain-Packaging Laws in Australia." JAMA Internal Medicine, 2019

 では、プレイン・パッケージには効果があるのだろうか。オーストラリアでこの規制の採用前後を比べた調査があるが、プレイン・パッケージの採用後にはタバコを止める喫煙者の割合が増えたという(※1)。

 この研究は、2012年4月から2014年3月まで電話による聞き取り調査で、対象者は18歳から69歳の喫煙者、最近(1年以内)まで喫煙していた非喫煙者5441人だった。調査の結果、プレイン・パッケージの採用前よりも後で禁煙を始める喫煙者が約1.5(オッズ比)に増えたことがわかったという。

 オーストラリアのプレイン・パッケージには、禁煙サポートのための無料の電話相談窓口(クイット・ライン)の電話番号が記載され、より禁煙しやすい取り組みがなされているが、プレイン・パッケージの採用後に電話相談が78%増加したという研究もある(※2)。また、タバコ関連疾患の画像表示が始まった2006年にも同じような変化があったようだ。

タバコ会社との攻防

 タバコ会社にとってパッケージに表示されたロゴ、デザイン、色は商品の魅力をかき立て、喫煙者に商品を売り込むための重要な要素だ。1973〜2002年のタバコのパッケージのデザインや形状を喫煙者の印象から調べた研究(※3)によれば、こうした意匠効果は喫煙者へブランドを訴求し、喫煙の害の知覚へ影響を与え、売上げを伸ばす効果があったという。

 しかし、タバコを規制する側の目的は、喫煙者を減らし、受動喫煙の害をなくすことだから、タバコという商品の訴求力とは真逆で相反する。味気ないデザインで恐ろしげなタバコ関連疾患の画像を表示させることで、その訴求力を削ぐ必要がある。

 タバコを規制する側である行政や公衆衛生当局は、こうしたプレイン・パッケージにより喫煙者が少しでも増えないよう、また喫煙者が禁煙するようにしたいというわけだ。そのため、WHO FCTCの締結国には、オーストラリアに続き、カナダ、フランス、ハンガリー、アイルランドなどプレイン・パッケージを採用する動きが出てきて、現在(2020年7月)は世界で15カ国がこのタバコ規制政策を採っている(※4)。

 一方、タバコ規制を実施する行政や公衆衛生当局に対し、タバコ会社は盛んに訴訟を起こすようになる(※5)。

 だが、タバコ会社の訴えはことごとく退けられてきた。

 例えば、JTI(日本たばこ産業インターナショナル)はオーストラリアのプレイン・パッケージ規制に対し、知的財産権の侵害を理由に異議申し立てをしたが、2012年にオーストラリアの高等法院によって訴えが却下されている。

 2016年にはイングランドとウェールズの高等裁判所と控訴審がブリティッシュ・アメリカンタバコによる同様の訴えを却下し、フランスの国務院も同様の訴えを棄却している。スウェーデンのタバコ会社から無煙タバコのパッケージについて、ノルウェー政府に対し、似たような異議申し立てがあったが、2017年にオスロの地方裁判所と控訴審が申し立てを拒否した(※6)。

 このようにタバコ規制が進む先進諸国では劣勢のタバコ会社は、今度は途上国で積極的に動いてプレイン・パッケージ規制を骨抜きにしようとする。

 例えば、タバコ会社の活動は、ナイジェリアやナミビアなどのアフリカ諸国で散見され(※7)、アフリカのケニアではタバコ産業の圧力の結果、タバコのパッケージの警告表示をステッカー式にし、小売り段階で剥がせるようにされてしまったという(※8)。

 また、フィリップ・モリスは南米のウルグアイのプレイン・パッケージ規制に対して訴訟を起こした。葉タバコの栽培は現在ほとんど途上国で行われているが、タバコ会社は仲介業者を合従連衡させて寡占状態にし、換金可能な代替作物への切り替えを妨害し、これらの国や地域の農業を葉タバコ栽培に依存せざるを得ないように仕向けてきた(※9)。

パッケージ戦争が続く日本

 オーストラリアがプレイン・パッケージ規制を施行した後、葉タバコ産業が盛んなキューバ、ドミニカ、ホンジュラス、インドネシアがWTOに対し、規制が貿易障壁になり、商標の侵害にあたるとして相次いで提訴したが、こうした国々もタバコ会社から支援を受けている(※10)。また、国内にタバコ農業やタバコ工場などがあるため、経済的にタバコ会社に依存せざるを得ないのも共通している。

 だが、WTOは2018年6月に、キューバ、ドミニカ、ホンジュラス、インドネシアの訴えを却下し、その後もドミニカとホンジュラスが継続して訴えを続けた。今回、WTOの上級審が最終的にプレイン・パッケージ規制に関する両国の訴えを退け、2012年から続いてきた「パッケージ戦争」に終止符が打たれたというわけだ。

 WTOは、オーストラリアのプレイン・パッケージ規制は、タバコの消費量と受動喫煙の害を減らすことによって公衆衛生の目的を達するためにふさわしいものであることを確認し、その目的のためには貿易の制限や商標の侵害についても問題はないとした。

 タバコのパッケージについて世界の趨勢はこのようなものだ。

 日本の動きはどうだろう。2018年12月28日になって規制強化に動いたが、この年末ギリギリになって開かれた財政制度等審議会たばこ事業等分科会では、警告表示面積を主要面の50%以上、受動喫煙と未成年者の喫煙防止の表示、警告表示を1mm以上の枠線で囲むなどが決められた。

 だが、効果的とされている画像表示(※11)は消費者に過度に不快感を与えないようにすることが必要ということで見送られ、「マイルド(Mild)」「ライト(Light)」といった表現はディスクレーマー表示を付ければ可能としている。

 このディスクレーマー表示というのは「マイルドの表現は、本製品の健康に及ぼす悪影響が他製品と比べて小さいことを意味するものではありません」といった文言のことだ。これは一種の免責であり、タバコ会社が喫煙で病気になったと裁判で訴えられた際の対策とされている。

 国際条約は憲法を除く国内法より上位になる。WHO FCTCも国際条約だが締約各国の国内法に基づいて適用されるという条件が挿入されているので、日本でこうした生ぬるい規制が横行する理由にもなっている。

 日本の「パッケージ戦争」は、まだ終わってはいないのだ。

※1:Sarah Durkin, et al., "Short-term changes in quitting-related cognitions and behaviours after the implementation of plain packaging with larger health warnings: findings from a national cohort study with Australian adult smokers." Tobacco Control, Vol.24, 2014

※2:Jane M. Young, et al., "Association between tobacco plain packaging and Quitline calls: a population‐based, interrupted time‐series analysis." The Medical Journal of Australia, Vol.200, Issue1, 29-32, 2014

※3:Kathy Kotnowski, et al., "The impact of cigarette pack shape, size and opening: evidence from tobacco company documents." ADDICTION, Vol.108, Issue9, 1658-1668, 2013

※4:John Zarocostas, "Plain packaging ruling hailed as a victory for tobacco control." THE LANCET, Vol.395, Issue10241, P1895, June, 20, 2020

※5:Eric Crosbie, et al., "Containing diffusion: the tobacco industry's multipronged trade strategy to block tobacco standardised packaging." Tobacco Control, Vol.28, 195-205, 2019

※6:Suzanne Zhou, Melanie Wakefield, "A Global Public Health Victory for Tobacco Plain-Packaging Laws in Australia." JAMA Internal Medicine, Vol.179, No.2, 2019

※7:Jamie Tam, et al., "Tobacco control in Namibia: the importance of government capacity, media coverage and industry interference." Tobacco Control, Vol.23, Issue6, 2014

※8:"Tobacco Industry Interference in Kenya: Exposing the Tactics." International Institute for Legislative Affairs, 2018

※9:Anna B. Gilmore, et al., "Exposing and addressing tobacco industry conduct in low and middle income countries." LANCET, Vol.385(9972), 1029-1043, 2015

※10:Louise Curran, et al., "Smoke screen? The globalization of production, transnational lobbying and the international political economy of plain tobacco packaging." Review of International Political Economy, Vol.24(1), 87-118, 2017

※11-1:David Hammond, "Health warning messages on tobacco products: a review." Tobacco Control, Vol.20, Issue5, 2015

※11-2:Seth M. Noar, et al., "Pictorial cigarette pack warnings: a meta-analysis of experimental studies." Tobacco Control, Vol.25, Issue3, 2016

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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