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新型コロナ感染症:パンデミックは「性行動」をどう変えるか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:ペイレスイメージズ/アフロイメージマート)

 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)感染症(COVID-19、以下、新型コロナ感染症)は日本で収束の気配をみせてきた。自粛要請が緩和され始め、多くの県では少しずつ日常が戻りつつある。新型コロナ感染症は大きな影響を我々の社会や生活に及ぼしているが、自粛中の性行動に関してはどうだろう(この記事は2020/05/20の情報に基づいて書いています)。

スペイン風邪の時はどうだったのか

 ある特定の国や地域で、一時的に出生率が上がるベビーブームという現象がある。主に大きな戦争の後、平和の訪れや戦地から男性が帰還するなどした結果、特に戦勝国敗戦国を問わず、第二次世界大戦後の先進工業国のほとんどでこの現象がみられた(※1)。

 だが、ベビーブームはあくまで一時的なものに過ぎず、経済成長と比例して出生率の増加が続くとした予想に反し、多くの国で出生率の急減(Baby Bust)が起きた(※2)。これは戦後に出生率がそう伸びないだろうという観測と同様、出生率の増減の予想が難しいことを示している(※3)。

 現在、世界は新型コロナ感染症のパンデミックに襲われ、都市封鎖や外出自粛、ソーシャル・ディスタンシングといった状態に陥っている。この感染症は、遺伝子が似ているSARS(重症急性呼吸器症候群)ともMERS(中東呼吸器症候群)とも感染状態が異なる。

 こうしたことから、研究者は1918年から1920年に流行したスペイン風邪のデータを疫学や公衆衛生学で参考にすることも多い。

 スペイン風邪は、1918年の春から初夏に第1波が起きた。そして、同年の秋からより重篤な症状を引き起こす第2波が世界中を襲い、1919年の春から秋にかけて第3波が世界を襲った。

 スペイン風邪もインフルエンザウイルスによる感染症だが、他のインフルエンザウイルスとは違って、春や夏、秋といった季節に流行したこと、20代から40代の若年成人が重症化や死亡しやすかったのが特徴だった。

 スペイン風邪の時の出生率に関する調査研究も多い。特に、スペイン風邪の後に起きたノルウェーやスウェーデンなどのベビーブームについてのものが目立つ。

 スペイン風邪が流行した期間には、ちょうど第一次世界大戦(1914年7月から1918年11月)が起きていた。そのため、出生率の変化が戦争によるものかスペイン風邪によるものかわかりにくいが、ノルウェーやスウェーデンなどは第一次世界大戦では中立を保っていたので戦争の影響が限定的と考えられるからだ。

 ちなみに、中立国と交戦国のスペイン風邪による死者の違いは中立国(6カ国平均)約6.87人/1000人、交戦国(10カ国平均)約7.04人/1000人となる。また、中立国で特に死者の多かったスペインを除いた中立国の死者数の平均(5カ国)は約5.78人/1000人だ(※4)。

 ノルウェーやスウェーデン、オランダの中立3カ国では、1918年のスペイン風邪の第1波の後、1919年に出生率が落ち、収束後の1920年に強い出生率の上昇がみられた(※5)。例えば、ノルウェーの出生率(Birth Rate、/1000人)は、1918年24.6、1919年22.9、1920年26.3、1921年24.2となっている。

 スペイン風邪の流行により他者とのセックスを控えたことは、1918年の秋から1919年にかけて重症化しやすくなった時期に受精率が大きく下がっていることからもわかるが、感染が終息する前からセックスが行われ、その結果、ベビーブームが起きたことになる。

 スペイン風邪は流産・死産を増加させて出生率が減ったと考えられるが、これはスペイン風邪の場合、若年成人の罹患率や重症化・死亡率が高かったことも影響しているだろう(※6)。新型コロナ感染症は、妊娠中の母子感染のリスクは低いが(※7)、早産のリスクがみられるという(※8)。一般的に、感染症のパンデミックを含む大規模な事故や災害の心理的なインパクトで流産・死産が増える。

パンデミックで変わる女性の性行動

 新型コロナ感染症が、社会や我々の日常生活に与える状況と似ているのは2003年のSARSだろう。日本への影響はほとんどなかったが、香港では3月下旬から1ヶ月間、小中学校が休校し、公共の場所が閉鎖され、テレワークが推奨された。この影響は出生率を急落させたことがわかっている(※9)。

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2003年3月から5月にSARSが流行した香港の出生率(赤線)と死亡率(黒線)の変化。SARSのアウトブレイクは2003年の春先がピーク。死亡率の山は受精後のタイムラグによって出生率に反映する。このグラフでは、2003年の死亡率の山が翌年の出生率に影響を及ぼしたことがわかる。Via:Peter Richmond, Bertrand M. Roehner, "Coupling between death spikes and birth troughs. Part 1: Evidence." Physica A: Statistical Mechanics and its Applications, 2018

 感染症パンデミックの時は、自然災害や戦乱などと違い、安心できる居住空間は確保されやすく、外出制限などで自宅にとどまる時間が増える。スペイン風邪の場合、戦争に巻き込まれなかった国でまだ感染が終息する前に受精した子が生まれ、一時的なベビーブームが起きたが、SARSの場合は感染流行時にセックスがあまり行われなかったことがうかがえる。

 だが、パンデミックのようなストレスが大きくなる状況下の女性は、性行動に積極的になるのだろうか。これに関する研究には、活発になるという結果とそうでないという結果が混在する(※10)。これはストレスの種類や調査方法がバラバラだからだが、今回の新型コロナ感染症ではどうだろうか。

 性欲を覚えたか(desire)、性的興奮を自覚したか(subjective arousal)、膣が濡れたか(lubrication)、オーガズムに達したか(orgasm)、性的に満足したか(satisfaction)、痛みを感じたか(pain)という6項目で女性の性的な状態を評価するアンケート調査(The Female Sexual Function Index、FSFI、※11)があるが、トルコのイスタンブールにあるEsenler Maternity and Children's Hospitalなどの研究グループはこの調査法や避妊調査などを用いて2020年3月11日から4月12日までの1ヶ月間、18歳以上の既婚女性58人を対象にアンケートによる調査研究を実施した(※12)。

 その結果、パンデミックの前の半年間から1年間と比較し、1週間のセックスの回数は1.9回から2.4回(P=0.001)へ増えたものの、パンデミックの前に妊娠を希望していた女性は32.7%から5.1%に減った(P=0.001)。反面、避妊をする女性は24人から10人に減り(P=0.004)、月経異常(生理不順)は12.1%から27.6%に増えた(P=0.008)。FSFIアンケート調査のスコアはパンデミック前より上がり(17.56:20.52、P=0.001)、性欲を覚えたり性的興奮の自覚、オーガズム、性的満足度のスコアが上がったものの、膣の濡れと痛みに大きな変化はみられなかったという。

 トルコの既婚女性を対象に行われたこの研究結果によれば、パンデミックによってセックスの回数は増えて性的な興奮などは向上したが、妊娠を希望しないのに避妊もしないという矛盾して混乱した行動がわかる。

 パンデミックという非日常的な異常事態に陥ると、人間の性行動にも大きな変化が出てくるのだろう。感染症のリスクを考えれば、この時期に妊娠を望まないのは理解できる。一方で、パートナーと自宅で過ごす時間が増え、セックスする機会も増えるはずだ。

 自粛要請が少しずつ緩和されてきている日本だが、感染の第2波は必ず来るといわれている。この数ヶ月を振り返りつつ、精神的にもその時のためにしっかりと備えたい。

※1:Diane J. Macunovich, "The Baby Boomers." the Macmillan Encyclopedia of Aging, 2000

※2:Jeremy Greenwood, et al., "The Baby Boom and Baby Bust." American Economic Review, Vol.95, No.1, 2005

※3:Jan Van Bavel, David S. Reher, "The Baby Boom and Its Causes: What We Know and What We Need to Know." Population and Development Review, Vol.39(2), 257-288, 2013

※4:Niall P. A. S. Johnson, Juergen Mueller, "Updating the Accounts: Global Mortality of the 1918-1920 "Spanish" Influenza Pandemic." Bulletin of the History of Medicine, Vol.76, No.1, 105-115, 2002

※5:Svenn-Erik Mamelund, "Can the Spanish Influenza Pandemic of 1918 Explain the Baby Boom of 1920 in Neutral Norway?" Population, Vol.59, DOI : 10.3917/popu.402.0269, 2004

※6:Kimberly Bloom-Feshbach, et al., "Natality Decline and Miscarriages Associated with the 1918 Influenza Pandemic: The Scandinabvian and United States Experiences." The Journal of Infectious Diseases, Vol.204, Issue8, 1157-1164, 2011

※7:Cuifang Fan, et al., "Perinatal Transmission of COVID-19 Associated SARS-CoV-2: Should We Worry?" Clinical Infectious Diseases, doi.org/10.1093/cid/ciaa226, March, 17, 2020

※8:Daniele Di Mascio, et al., "Outcome of coronavirus spectrum infections (SARS, MERS, COVID-19) during pregnancy: a systematic review and meta-analysis." American Journal of Obstetrics & Gynecology MFM, doi.org/10.1016/j.ajogmf.2020.100107, March, 25, 2020

※9:Peter Richmond, Bertrand M. Roehner, "Coupling between death spikes and birth troughs. Part 1: Evidence." Physica A: Statistical Mechanics and its Applications, Vol.506, 97-111, 2018

※10-1:S Liu, et al., "A report on the reproductive health of women after the massive 2008 Wenchuan earthquake." The International Journal of Gynecology & Obstetrics, Vol.108, 161-164, 2010

※10-2:L D. Hamilton, C M. Meston, "Chronic stress and sexual function in women." The Journal of Sexual Medicine, Vol.10, 2443-2454, 2013

※10-3:K S. Hall, et al., "Stress symptoms and frequency of sexual intercourse among young women." The Journal of Sexual Medicine, Vol.11, 1982-1990, 2014

※11:R Rosen, et al., "The Female Sexual Function Index (FSFI): A Multidimensional Self-Report Instrument for the Assessment of Female Sexual Function." Journal of Sex & Marital Therapy, Vol.26, Issue2, 2000

※12:Bahar Yuksel, Faruk Ozgor, "Effect of the COVID-19 pandemic on female sexual behavior." International journal of gynaecology and obstetrics, doi: 10.1002/ijgo.13193, May, 11, 2020

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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