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M&Aで巨額「訴訟リスク」まで抱える「JT」の誤算

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 JT(日本たばこ産業)の子会社が、カナダ・ケベック州で訴えられ、控訴審で裁判所から約1480億円の損害賠償の支払いを命じられた。JTは日本国内の喫煙率が下がり続ける中、M&Aを繰り返しつつグローバル化を目指している。だが、訴訟リスクという過去の負債まで抱え込んだことになる。

M&Aで巨大化

 JTの前身は専売公社だが、国営企業として長く国内のタバコ需要だけを眺めてきた。1985年に民営化してJTになってしばらくは、日本人の喫煙率も高かったから財務省(旧大蔵省)の金城湯池として半官半民の殿様商売を続けられた。

 だが、タバコによる健康への害が明らかになり、1990年代後半から日本を含む先進諸国で喫煙率が下がり始める。そのころJTも、このトレンドは不可逆であり、いずれ国内のタバコ市場に頼ることはできない状況になると悟ったようだ。

 そのため、食品や飲料、医薬品、農業などにも手を広げ、多角化経営を目指す。だが、餅は餅屋でタバコ以外のどの業種業態もうまくいかない。ざっくりいえば、海外タバコ事業が約58%、国内タバコ事業が約29%、食品事業が約8%、医薬事業が約5%だ。タバコ事業が圧倒的で、しかも食品や医薬は黒字化していない。

 タバコや喫煙習慣自体が大量生産大量消費の20世紀型のもので、健康志向と多様化が進む21世紀型の生活スタイルになじまない。だが、JTを含むタバコ会社は、どこも21世紀にも生き残り続けようとする。

 その戦略は、他社買収や事業譲渡のM&Aであり、国内と海外の事業分割であり、また戦術としては加熱式タバコという製品になって現れる。JTも他社の例に漏れず、21世紀に入るあたりから大型のM&Aを繰り返し、ここ数年は加熱式タバコを開発してきた。

 1999年には米国の大手タバコ食品会社、RJRナビスコから約9400億円(当時のレート)で米国外のタバコ事業を買収する。これで「Winston」「CAMEL」といったブランドを手に入れた。

 2007年には英国のギャラハーを買収するが、買収額は約2兆2000億円という、JT自体の売上げ額に匹敵する冒険的な買収劇だった。このM&Aにより、JTはフィリップ・モリス・インターナショナル、ブリティッシュ・アメリカン・タバコに次ぐ世界第3位のタバコ会社となる。

 その後もJTはJTI(日本たばこ産業インターナショナル)としてM&Aを続ける。2009年にはブラジルなどのタバコ葉の供給会社を、2011年にはアフリカ・スーダン(南北)のタバコ会社を、2012、2013年にはベルギー、エジプト、ロシアのタバコ会社を、2014、2015年には英国や米国の電子タバコ会社を、2016年には米国のナチュラル・アメリカン・スピリットの米国外事業を、2018年にはロシアのタバコ会社を、それぞれ買収している。

訴訟リスクも買収したJT

 こうしたJTの海外戦略の背景には、国内のタバコ葉から輸入タバコ葉へシフトしたいという願望がある。たばこ事業法により、JTは国内のタバコ農家から高値でタバコ葉を買い入れなければならないからだ。

 また、タバコの世界市場は、先進諸国では健康志向のために需要が下がり続けているが、その他の途上国などでは依然として高い収益が見込める。なぜなら、これらの地域では人口が増え続けており、タバコ会社は若年層へ喫煙習慣を植え付け、タバコを売り込むことができると考えているからだ。

 世界にはまだタバコの害を啓蒙したり法規制をかけるまで成熟していない国も多い。先進諸国で過去に培った広告宣伝の手法を駆使すれば、タバコ会社はこれらの国の人々を容易にニコチン中毒へ引きずり込めるだろう。

 ようするに、タバコ会社はタバコによる健康被害を世界中へ輸出しているということになる。もちろん、海外進出を目論んだJTも同じだ(※1)。

 JTは、M&Aによりその国のタバコ・ブランドの市場を丸ごと手に入れ、長期低落傾向にある国内タバコ・ビジネスから転換しようとする。だが、それは諸刃の剣だった。

 すでに、米国では1990年代に、タバコの健康被害自体や健康懸念を知らせなかった責任に対し、喫煙者や元喫煙者、受動喫煙の被害者らがタバコ会社に対して裁判を起こし、米国の司法はタバコ会社の否を認める判決を出していた。時にそれは懲罰的な巨額賠償額となり、タバコ会社の経営を危機に陥れつつあった。

 海外進出するまで海外でのJTのシェアは微々たるものだった。海外進出など目論まなければ、海外で裁判に巻き込まれることはなかったはずだ。日本の司法は、組織や行政、企業の側につくことも多いから、仮に訴訟を起こされても国内で裁判に負けるリスクは低く、実際のところJTは日本国内のタバコ裁判でこれまで負けたことはない。

 だが、M&Aにより海外のタバコ会社を手に入れたことで、そのタバコ会社の過去の責任までJTが背負い込んでしまうことになる。カナダの裁判で訴えられたのは、JTの子会社(JTIマクドナルド)とインペリアル・タバコ・カナダ、ロスマンズ・ベンソン&ヘッジスの3社だが、JTIマクドナルドは、JTが1999年に買収したRJRナビスコのカナダ拠点だった。

 JTの2017年のアニュアル・レポートによれば、同社と同社の海外子会社は2017年12月の時点で21件のタバコ裁判を抱えている。南アフリカとアイルランドでは個人訴訟が継続中であり、カナダでは今回の裁判とは別に集団訴訟が7件あり、さらに自治体政府が同社に対して医療費の返還を求めた裁判も10件が進行中だ。

 今回のカナダのケース以外、最終的にJT側が負けた裁判はまだない。だが、裁判が注目されれば、自ずからタバコ会社に健康被害の責任があるとする訴訟内容が世間に広く知られることになり、タバコ会社がやっていることが明るみに出てしまう可能性がある。

 そうすると、タバコを社会へ受け入れさせるためにバラ撒いてきた多額の広告宣伝費の効果を半減させかねない。もちろん、投資家にとっても企業の訴訟リスクは大きな判断材料だ。

 カナダではまだ数多くの訴訟が残っており、このトレンドが続けば休眠中(dormant)の裁判がゾンビ化する可能性も十分ある。これらの結果がどうなるか、今回のカナダの司法当局の判断をみるとJTにとって悲観的といわざるを得ない。

 また、米国のフロリダでは、依然としてタバコ会社に対する集団訴訟が係争中だ。これは巨額な懲罰的損害賠償になるかもしれず、JTにも火の粉が降りかかってくる。JTはM&Aによって訴訟リスクも買収したというわけだ。

※1:Ross MacKenzie, et al., "Japan Tobacco International: To ‘be the most successful and respected tobacco company in the world’." Global Public Health, Vol.12, Issue3, 2017

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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