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ドラマの「喫煙シーン」は「未成年者」に喫煙を始めさせるか

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
タバコの宣伝で有名だったジェームス・コバーン(写真:Shutterstock/アフロ)

 NHKの大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺』に喫煙シーンがあることが議論になっている。喫煙シーンを許せない人もいるが、映像表現なのだから許容範囲とする人もいる。またか、という感じだが議論を整理してみた。

タバコが社会悪という前提

 まず、議論の大前提として、学校教育でも社会人教育でもタバコの害を教えているように、喫煙は健康に害を及ぼし、受動喫煙でも多くの健康被害が出ていることを共通の認識にしておきたい。今の社会は、未成年者の喫煙を禁じ、タバコを吸わない人に喫煙を勧めず、喫煙率を下げていこうという考え方が基本にある。この考えを否定する人はいないだろう。

 受動喫煙防止も同じで、単に受動喫煙の被害をなくすのはもちろん、タバコを吸える場所を狭めて喫煙率を下げ、最終的にはタバコを社会から根絶する手段でもある。改正健康増進法や健康日本21をみるように、以上の考え方はすでに国の政策としても社会全体のコンセンサスとなっている。

 特に、未成年者、まだタバコを吸っていない青少年に対し、タバコを吸わせない教育は重要だろう。なぜなら、加熱式タバコを含むタバコ製品で摂取されるニコチンは強い依存性の薬物であり、タバコを吸い始めると止めたくても自分の意志ではなかなか禁煙できなくなるからだ。だから、大人は未成年者がタバコに手を出さないようにしなくてはならない。

喫煙シーンの影響に因果関係はある

 では、映像作品で喫煙シーンを視聴した未成年者のほうが、タバコを吸い始める割合が多いのだろうか。米国のダートマス大学などの研究グループによる10〜14歳の子どもを対象にした調査研究では、1回もタバコを吸ったことのない子が喫煙シーンのある映画を見た場合、喫煙シーンに接する機会が増えるとともにタバコを吸い始める割合が増えたという(※1)。

 映画の中の喫煙シーンの思春期の子どもに対する影響を調べた40論文を比較した研究(※2)によれば、喫煙シーンを見た子どもはタバコに対して肯定的、寛容になるという。また、1950年から1990年にかけて映画の中の喫煙シーンは漸減してきたが、FCTC発効の直前である2002年に急激に増えていた。一方、喫煙シーンのある映画を見る前にタバコ対策の広告を見ておくと、その影響が抑えられるという。

 好きな映画俳優の喫煙シーンを見ると、女児のほうが男児よりタバコに手を出しやすいという研究もある(※3)。なぜ男児のほうに影響が少なかったのかといえば、喫煙シーンは男児があまり興味を抱かない男性俳優に多く、好きな映画のジャンルが男児と女児で異なることもあり、タバコの害について男児のほうがより多くの知識を持つ傾向があるからではないかと研究者は考えている。

 肺がんと喫煙の研究の権威、オースチン・ブラッドフォード・ヒル(Austin Bradford Hill)は、原因と結果の因果関係についていくつかの条件を設定した(※4)。これらの研究は、映像作品の中の喫煙シーンに多く接すると、未成年者がタバコに手を出し、喫煙を始めるという因果関係を証明しているといえるだろう(※5)。

タバコ会社の広告宣伝に?

 表現の自由を持ち出すまでもなく、映像表現に過度な規制をかけることはもちろん許されない。

 だが、こうした研究を踏まえれば、映画館で上映されるR指定の映像作品ならいざしらず、子どもも視聴する時間帯のテレビドラマで、喫煙シーンを堂々と演出するというのは公共放送として問題だろう。NHKは、放送倫理的に世界的な基準からかなり遅れた放送局とさえいえる。

 制作側に言わせれば、時代の雰囲気を表すための小道具であり脚色上どうしても必要という理由があるのだろう。確かに、映像作品や小説などには、イライラした心理を描写するため、タバコを灰皿に乱暴に押しつけて消す、といった陳腐な演出も多い。

 表向きは否定しているが、タバコ会社はこれまで、タバコという大量生産大量消費型の商品を売り込み、成人予備軍や女性、大衆にタバコを吸わせようと画策してきた(※6)。もともと依存性の強い商品だから、一度、吸わせればロイヤリティの高い消費者になって何十年もタバコを買ってくれるからだ。ちなみに「喫煙文化」というものも、せいぜい70年ほどの歴史しかない。

 日本では中年男性の喫煙率が30%以上であるように、社会の中でタバコは依然として大きな存在となっている。また、たばこ税を所管し、JT(日本たばこ産業)が天下り先である財務省やタバコ利権に群がる族議員などもいる。これらは特に社会経済で強い影響力を持つ層なだけに、うがった見方をすればNHKとしてはどうしても喫煙シーンを入れたかったのかもしれない。

 タバコ会社は、タバコに対するイメージを良くするため、ハリウッドなどの映画産業に金をばらまき、喫煙習慣を大衆文化の仲間入りをさせようとしてきた。JTのキャッチフレーズにみるように(※7)それは半ば成功したが、日本も加盟する国際的な条約であるWHOタバコ規制枠組条約(FCTC)を締結し、世界各国はタバコ会社の影響力に対抗するようになったというわけだ。

 タバコを社会的に広くPRすることは、FCTCで禁止されている。規制され、禁止されている小道具をわざわざ使う理由として、演出上の必要性というのはなんとも苦しい。そもそも議論になっている喫煙シーンが描かれた明治末年の両切り・吸い口、つまりシガレット・タイプの消費量は約50億本、2018年度の約3%でしかない。日本社会の中で、まだ喫煙習慣は一般的ではなかったからだ。

 タバコが依然として効果的な小道具だから、未成年者への影響があると知りつつ脚本家が使ったのかもしれないが、それは演出上の手抜きともいえ、まさにタバコに依存した表現行為だろう。時代の空気感、雰囲気を演出したいのなら、タバコ以外にも山のように手頃な小道具があるからだ。

 なぜ、FCTCという国際条約が作られ、各国が一致してタバコ対策をするようになったのかといえば、タバコ会社による影響力が大きくなり過ぎ、政府・公衆衛生当局として座視できないほどになってしまったからだ。この点で日本にはタバコ利権の総本山としての財務省と公衆衛生当局としての厚生労働省のネジレ構造があり、問題がなかなかすっきりしない理由にもなっている。

 かつてタバコ会社は、映画の製作現場に大量のタバコを無料で置いていった。俳優がそのタバコ会社の銘柄を吸っているシーンを映画の中に潜り込ませようとしたのだ。

 現在ではFCTCにより、タバコ会社がおおっぴらに自社のタバコ製品の広告宣伝をすることは規制されている。日本では依然として自主規制だが、FCTCの加盟国の中には法律で厳しく禁じている国もある。

 だからタバコ会社にしてみれば、テレビドラマや映画などの映像作品に喫煙シーンが出ることは大歓迎だ。公共放送のNHKは、意図せずかどうかわからないが、タバコ会社の広告宣伝にまんまと乗ったということになる。

※1:Madeline A. Dalton, et al., "Effect of viewing smoking in movies on adolescent smoking initiation: a cohort study." THE LANCET, Vol.362, 281-285, 2003

※2:Annemarie Charlesworth, et al., "Smoking in the Movies Increases Adolescent Smoking: A Review." Pediatrics, Vol.116, Issue6, 2005

※3:Janet M. Distefan, et al., "Do Favorite Movie Stars Influence Adolescent Smoking Initiation?" American Journal of Public Health, Vol.94, No.7, 1239-1244, 2004

※4:Austin Bradford Hill, "The environment and disease: association or causation?" Section of Occupational Medicine, Vol.58, 295-300, 1965

※5:Jennifer O'Loughlin, et al., "Determinants of First Puff and Daily Cigarette Smoking in Adolescents." American Journal of Epidemiology, Vol.170, Issue5, 585-597, 2009

※6:C Mekemson, et al., "How the tobacco industry built its relationship with Hollywood." Tobacco Control, Vol.11 Suppl I, i81-i91, 2002

※7:村田陽平、「未成年者の喫煙対策と喫煙マナー広告─『大人たばこ養成講座』広告にみられる価値観の問題性から」、保健医療科学、第54巻、第3号、2005

※2019/03/06:10:48:「そもそも議論になっている喫煙シーンが描かれた明治末年の両切り・吸い口、つまりシガレット・タイプの消費量は約50億本、2018年度の約3%でしかない。日本社会の中で、まだ喫煙習慣は一般的ではなかったからだ。」を挿入した。

※2019/03/12:10:04:文章の内容を変えずに構成を変えた。

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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