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カナダでの「JTタバコ病訴訟」と「喫煙者の自己責任」論

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:アフロ)

 JT(日本たばこ産業)の子会社が、カナダ・ケベック州のタバコ病訴訟で訴えられ、約1480億円の損害賠償の支払いを命じられた。この裁判について、なぜかタバコ会社を批判せず、喫煙者はタバコによる健康への害を知っていながら吸っていたのだから自己責任であり、タバコ会社を訴えるのは筋違いという意見も多い。

タバコ会社に騙された?

 この子会社はJTIマクドナルド(JTI-Macdonald Corp)といい、JTIは日本たばこ産業インターナショナルで、JTの日本国内以外の全世界のビジネスを受け持つ。1999年にJTが米国のタバコ食品会社、RJRナビスコの海外たばこ事業を約9400億円でM&Aで買収した際、RJRマクドナルド(RJR-Macdonald)をカナダの拠点とした。本社はオンタリオ州ミシサガ(Mississauga)に、製造部門はモントリオールにある。

 RJRマクドナルドの創業は1958年だ。カナダで最も古いタバコ会社の一つといわれ、JTは同社を買収した際、1950年代からの歴史も抱え込んだことになる。今回の訴訟は、ケベック州の住民などがタバコ会社がタバコの害を正確に伝えてこなかったため、タバコ関連疾患やニコチン依存症になったと主張し、JTIマクドナルド(実質的にはJT)のほか、インペリアル・タバコ・カナダ(Imperial Tobacco Canada Ltd、実質的にはブリティッシュ・アメリカン・タバコのカナダ子会社)、ロスマンズ・ベンソン&ヘッジス(Rothmans, Benson & Hedges Inc:RBH、実質的にはフィリップ・モリス・インターナショナル)の2社を訴えた事件だ。

 すでに、2015年6月2日、カナダのケベック州上位裁判所はタバコ3社に対し、健康被害の損害賠償として約20億カナダドル(約1672億円)の支払いを命じる判決を出した。タバコ3社は控訴し、裁判所は一時、執行猶予の判断を示す。それから3年半が経過し、ケベック州控訴裁判所は今回、上位裁判所の判決を支持し、約17億7000万カナダドル(約1480億円)の賠償金の支払いを命じたというわけだ。

 裁判の争点は、タバコを吸ってきたために病気になったりニコチン依存症になった原告が、タバコの害について間違った情報をタバコ会社から受けたり、タバコ会社がタバコの健康への害を正確に伝えてこなかった結果、原告の健康に害が及んだのかになる。

 ちなみに、JTIマクドナルドに対するカナダでのタバコ病訴訟はこれが最初ではない。2001年1月24日、カナダのブリティッシュコロンビア州政府は、同社を含むタバコ3社を相手に州裁判所に、喫煙による病気で生じた医療費の支払いを求める訴訟を起こしている。

明らかになったタバコ会社の嘘

 米国では、1980年代からタバコ会社を訴える同様の訴訟が頻発した。1992年6月24日、米国の連邦最高裁は仮にタバコに健康懸念表示があったとしても個人によるタバコ会社に対する損害賠償請求は可能との判断を出している。

 だが、米国の司法も当時は判断が揺れていて、1993年2月1日、米国イリノイ州の郡裁判所は、肺がんと診断された喫煙者がタバコ会社を相手取った訴訟で、家族や医師が禁煙を勧めていたこともありタバコを吸うのは基本的に本人の責任という陪審評決を出し、原告が敗訴した。

 その後、1994年10月30日にはタバコを止められなくなったのはニコチンに依存性があることを隠して販売したタバコ会社の責任だと、米国フロリダ州の喫煙者6人がタバコ会社に対し、総額2000億ドル(約20兆円)の損害賠償を求める訴訟を起こした。同州の巡回裁判所は、この裁判を集団訴訟と認定し、原告はタバコを止められない全米の喫煙者全員との判断を示す。

 米国では次第にタバコ会社を訴えた原告側の主張が認められるようになり、1996年3月13日にはニューオーリンズ連邦裁判所で元喫煙者によるタバコ会社を相手取った訴訟で初の和解が成立する。リゲット・グループというタバコ会社が同意した和解案は、税引き前利益の5%相当(上限5000万ドル)を25年間毎年、禁煙プログラムに拠出するという内容だった。

 タバコの健康への害が医学的・科学的にも証明されて以降、各タバコ会社間の結束は強かったが、リゲット・グループが和解したことで流れが大きく変わる。1996年8月9日には米国フロリダ州地裁陪審が、タバコは欠陥商品であり、タバコ会社は消費者に危険性を知らせることを怠っていたという判断を示した。原告は肺がんと診断された元喫煙者で、タバコ会社の広告によってタバコの危険性を理解できなかったと主張した。

 この間、タバコの依存性についてタバコ会社が嘘をついていると、米国のブラウン・アンド・ウィリアムソン(B&W)というタバコ会社の元研究開発担当副社長が内部告発する事件が起きる。この顛末は、ラッセル・クロウとアル・パチーノが主演した映画『インサイダー(The Insider)』(1999)に詳しい。

 こうした動きに対し、当時のクリントン米大統領は、1996年8月23日にタバコに含まれるニコチンを中毒性のあるドラッグ(薬物)に指定し、食品医薬品局(FDA)の管理下に置いて規制するという大統領令を出した。また1997年4月には、ノースカロライナ州の連邦地裁がFDAのタバコ薬物規制を認めている。

 リゲット・グループの和解がタバコ会社の結束を崩し、1997年4月18日には米国のフィリップ・モリスとRJRナビスコが、タバコ裁判で係争中の各州の司法当局と和解交渉に入った。そして、1997年6月20日、タバコ会社を相手取って裁判を起こしていた40州に対し、タバコ会社側が今後25年間、合計3685億ドル(約42兆6000億円)の和解金を支払うことで和解し、タバコ会社は、タバコの屋外広告、自販機設置を止め、パッケージの健康懸念表示(面積1/4)を受け入れ、大統領令とFDAによる規制も承諾した。

 こうして米国でのタバコ裁判ではタバコ会社が全面的に非を認め、和解金を支払うことで許しを請うことになった。その後、あまりに巨額の懲罰的な損害賠償に対して米国の司法は否定的になっていくが、米国民は裁判の過程でタバコ会社がいかに欺瞞に満ち、嘘をつき続き、消費者の健康や生命と引き替えに巨額の利益を得てきたのかを知ることになる。

 米国の司法はタバコ会社に対し、内部資料を開示するよう命じ、過去の悪行が白日の下にさらされた結果、タバコ会社が嘘つきというのは米国では常識になった。

 JTは1998年12月1日、米国での裁判の和解契約に参加し、和解金を支払うことを決めた。海外メーカーとしての対応で、初年度分として140万ドル(約1億7000万円)を未成年者の喫煙防止教育などのための基金へ支払うとした。当時のJTの米国内シェアは0.15%で、和解金は販売シェアに応じて決められる。

日本の司法は誰の味方か

 一方の日本はどうだろう。1995年3月29日、タバコを吸わない主婦らが国を相手取り、タバコの有害性を知りつつ販売するのは憲法違反とし、国にタバコの製造や輸入を禁止する義務があることの確認を求めた訴訟の判決が名古屋地裁であった。

 裁判所は、受動喫煙の害の責任はタバコを吸う喫煙者や喫煙場所の管理者にあり、国に対する請求権はなく、国に具体的義務を負わせることができないため憲法を根拠にした主張はできないとして原告の訴えを退ける。ただ、法律や条例で喫煙場所などの規制を考える状態とし、受動喫煙による害を放置できないことは明らかなどとした。

 1998年5月15日、東京地裁に対し、元喫煙者の肺がん患者など7人が国とJTを相手取り、1人1000万円の損害賠償を求める訴訟を起こした裁判で原告側は、JTは喫煙と各種がん発生に関する動物実験などの調査報告をすべて公開すべきと主張したが、裁判所はその訴えを黙殺した。

 タバコ訴訟に限らず、日本の司法は被告が企業や病院などの組織である場合、内部資料の開示命令を出すことはほとんどない。この国の司法は、強きを助け弱きを挫く。

 1998年11月13日、愛知県内の喫煙者4人がタバコを止められなくなったとJTを訴えた裁判の判決が名古屋地裁であり、裁判所はニコチンは治療を要するほど病的な依存状態をもたらすとは認めがたいと請求を棄却した。

 この頃、日本の司法はニコチンの依存性を低く見積もり、自分の努力で禁煙できるはずと同様の訴訟を全て退けている。また、受忍限度の考え方を駆使し、受動喫煙の被害者に我慢を強いる判決を出し続けた。1999年10月20日、愛知県内の会社員らによるニコチン依存のJT責任を求めた裁判の控訴審があり、名古屋高裁は原告の控訴を棄却した。その後、2000年3月21日には最高裁が「タバコと健康被害の因果関係は十分に解明されていない」と上告を棄却している。

 日本の司法がニコチンの依存性を初めて認めたのは、2010年1月20日、横浜地裁の判決だ。元喫煙者3人(うち1人死亡)が国とJTに対して健康被害の損害賠償を求めた裁判で、横浜地裁は原告の訴えを退けた。ただ、判決では「たばこの依存性は軽視できない」と指摘している。

 タバコを吸い始めるとなかなか止められないのは、その強い依存性のせいだ。タバコを止めたくて何度も禁煙に挑戦し、でも止められずに苦しんでいる喫煙者がたくさんいる。

 ニコチンの強い依存性でタバコを止められず、長年の喫煙習慣の結果、病気になってしまうのは自己責任だろうか。

 タバコ会社はニコチンの依存性について詳しく説明せず、有害な物質を朝起きてから寝るまで定期的に摂取する喫煙習慣を国民に根付かせるための広告宣伝に余念がない。そして日本の司法は、タバコ会社の側に立っているとしか思えない判断を示し続けてきた。

 肺がんや肝臓がん、胃がん、COPD(慢性閉塞性肺疾患)といったタバコ病は、1日や1ヶ月でなるものは少ない。何十年もかけて少しずつ身体を蝕んでいく。

 カナダのJTIマクドナルドの前身であるRJRマクドナルドの創業は1958年だ。タバコ会社は、カナダの国民は健康志向が強いからタバコの害は容易に知り得たはずと主張するが、1950年代からタバコ会社は嘘をつき続けてきた。JTはRJRマクドナルドの負の遺産も買収で得たということになる。

※ドル円レートなどは事件当時のもの

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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