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なぜパイロットは「ヒゲ」を生やしてはいけないのか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:アフロ)

 男性の多くは、二次性徴前後からヒゲが生える。だが、一般的にヒゲを剃ることも多い。パイロットがヒゲを生やすことは航空業界で規制されているようだが、これは見た目の他にも理由がある。

女性はどんなヒゲが好きか

 男性のヒゲについて、世界では社会的に認知され、むしろ推奨されている文化とそうでない文化がある。宗教的な理由もあるが、男性の象徴として考えられている部分も多い。また、まれに女性にヒゲが生える場合もある。

 明治期の政治家や軍人はヒゲを蓄えた。ヒゲにはいろいろな名称があり、八の字に両端が跳ね上がったカイゼルヒゲ、ヒトラーのチョビヒゲ、貧相なイメージのドジョウヒゲ、無精ヒゲ、ヒュー・ジャックマンの映画『ウルヴァリン』ヒゲ、厄除けの鍾馗ヒゲ、米国男優のコールマンヒゲなどなど。

 性的二型のある生物では、オスメスの性的な特徴が魅力を左右するようだ。ヒトの場合、男性では筋肉や骨格がたくましく太くなり、眉毛やヒゲ、体毛が濃くなり、声が低くなる。女性は身体全体が丸みを帯び、胸や尻が特徴的に盛り上がる。

 これらは異性に対して特に短期的な関係で魅力になると考えられるが(※1)、男性の特徴は男性ホルモンのテストステロンの発現による影響が大きい。

 オランウータン、テングザル、マントヒヒなどの霊長類では、顔を広げる肉ヒダ、長い鼻、カラフルな模様などオスに派手なアピールポイントがあり、これが性的選択で有利に働くのではないかと考えられてきた(※2)。では、男性のヒゲも同じような性戦略上の飾りで、女性に対して性的な魅力になるのだろうか。

 これについては古くから議論があり、1980年代に米国で男女の大学生114人(女性59人)を対象にしたヒゲのあるなしの男性らしさに関するアンケート調査(※3)によれば、多くがアグレッシブで力強く男らしいというイメージを受けたが、それは必ずしもポジティブなものではなかったという。

 1842〜1971年にかけて英国における結婚や出産の状況と男性のヒゲの流行を調べた研究(※4)によれば、社会的経済的に女性が強くなり婚姻環境が悪くなると、男性はヒゲを剃る傾向になるようだ。これは性的に搾取されることを恐れる女性を安心させるためであり、ヒゲは男性的な価値や社会的な地位の相対的な変化に影響される可能性がある。

 もし男性がヒゲを生やしていたとして、女性はどんなヒゲの男性を好むのだろうか。英国のノーザンブリア大学の研究グループによる60人の女性を対象にした調査(※5)によれば、ヒゲ剃りつるつる(clean-shaven)、軽い無精ヒゲ(light stubble)、けっこうな無精ヒゲ(heavy stubble)、軽いヒゲ面(light beard)、けっこうなヒゲ面(full beard)のうち、軽い無精ヒゲの評判が良かったらしい。

ヒゲでも酸素マスクは大丈夫か

 男性のヒゲは、喜怒哀楽の表情によって女性の受け方も異なる。ニュージーランドとサモアの男女でヒゲ剃りとヒゲ面、普通の表情と笑顔、怒った表情とで比べた調査(※6)の場合、ヒゲのある男性の表情のほうがよりその感情がダイレクトに伝わる傾向にある。この調査では、ヒゲのある男性のほうを年齢が高めで社会的にも地位が高く評価するようだ。

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ニュージーランド(男性10人、女性129人)とサモア(男性9人、女性100人)の男女を対象に、男性のヒゲを剃った場合とヒゲを生やしてもらった場合について女性に評価してもらった。ヒゲありの表情のほうがよりインパクトが大きかったという。Via:Barnaby J. Dixson, et al., "Beards augment perceptions of men's age, social status, and aggressiveness, but not attractiveness." Behavioral Ecology, 2012

 ただ、女性も天邪鬼だ。ヒゲ剃りつるつる顔が一般的な場合は、ヒゲありの男性のほうを魅力的に感じ、逆の場合はヒゲなしの男性のほうを好意的にとらえるらしい。

 ところで、航空機のパイロットは多くの航空会社で規制されているが、これはサービス業としての身だしなみの一環という意味合いがある。同時に、緊急時に酸素マスクを着用した際、ヒゲがあると低酸素状態になって危険だからという理由も大きい。

 スキューバダイビングのマスクもヒゲがあるとすぐにマスク内へ水が浸入するが、多くの人命を預かる航空機のパイロットの場合、ヒゲのあるなしで緊急時に適正な行動ができないのは問題だ。これが本当かどうか、カナダのサイモンフレーザー大学の研究者が実験し、同大のリリースで発表した(※7)。

 実際にエア・カナダの航空機のコックピットに備え付けられている酸素マスクを使い、無精ヒゲ(長さ0.5cm未満)、けっこうなヒゲ(長さ40cm以上)、その中間のヒゲの3パターンで、高度1万〜2万5000フィート(3048〜7620m)を想定したシミュレーターで実験した。実験では低酸素状態と航空火災を想定して煙に似た刺激を引き起こす気体を使い、被験者への影響を調べたという。

 その結果、どのヒゲでも酸素マスクの着用に関して悪影響は出ず、正常な状態で行動できることがわかった。エア・カナダではパイロットに対する規定を変え、長さ1.25cmまでの整えられたヒゲなら許容することにしたそうだ。

※1:Anthony C. Littele, et al., "Human preference for masculinity differs according to context in faces, bodies, voices, and smell." Behavioral Ecology, Vol.22, Issue4, 862-868, 2011

※2:Alan Dixson, et al., "Sexual Selection and the Evolution of Visually Conspicuous Sexually Dimorphic Traits in Male Monkeys, Apes, and Human Beings." Annual Review of Sex Research, Vol.16, Issue1, 2005

※3:t検定:masculinity(男性的、t=5.77、p<.001)、aggressiveness(アグレッシブさ、t=3.40、p<.01)、dominance(支配的、t=4.29、p<.001)、strength(力強さ、t=4.38、p<.001)、intelligence(知性的)だけ結果が異なった(t=.39、p>.05)

※4:Nigel Barber, "Mustache Fashion Covaries with a Good Marriage Market for Women." Journal of Nonvebal Behavior, Vol.25, Issue4, 261-272, 2001

※5:Nick Neave, et al., "The effects of facial hair manipulation on female perceptions of attractiveness, masculinity, and dominance in male faces." Personality and Individual Differences, Vol.45, Issue5, 373-377, 2008

※6:Barnaby J. Dixson, et al., "Beards augment perceptions of men's age, social status, and aggressiveness, but not attractiveness." Behavioral Ecology, Vol.23, Issue3, 481-490, 2012

※7:Simon Fraser University, "SFU study busts myth about facial hair on pilots." September 14, 2018(2018/10/05アクセス)

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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