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「禁煙」なぜ挫折するのか〜「再喫煙」を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 受動喫煙防止対策が進み、タバコを吸える場所もずいぶん少なくなってきた。前々から止めようと思っていたタバコだ、この機会に禁煙しようと考える喫煙者も多いだろう。禁煙は簡単だが、中には再びタバコに手を伸ばしてしまう人もいる。

再喫煙の様々な理由

 喫煙者の多くは、タバコを吸うことで肺がんのリスクが上がることくらいは知っている。だが、口腔・咽頭がん、食道がん、胃がん、膵がんなどその他のがんや心血管疾患、動脈硬化、糖尿病、歯周病などの病気にかかりやすくなり、寝たきりになる危険性が高くなるということまでは、あまりよく理解できていないようだ。

 日々のタバコ代を含め、タバコを止めることで得ることのできるメリットは多いが、ニコチン依存症になってしまった喫煙者は、将来に待ち受ける多種多様な大きなリスク、目先の1本に手を伸ばしてしまう。なんとか禁煙に成功した元喫煙者の多くは主観的な喜びを手にするが、その喜びは喫煙者にはあまり伝わらない。

 日本人の喫煙者の禁煙行動を2013年にインターネットで調べた研究(※1)によれば、その約半数が一度も禁煙したことがなかったという。禁煙トライは一度きりが最も多く、多くの人が105日前後で再喫煙してしまうようだ。これは少し前の調査なので、今は禁煙にトライする喫煙者はもっと多いかもしれない。

 せっかく禁煙したのに、なぜ再びタバコを吸い始めてしまうのだろう。この理由については、吸う本数やタバコ依存の強さが影響したり(※2)、遺伝的な要因(※3)があったり、社会階層的な健康格差が原因(※4)だったり、ストレス応答の弱さ(※5)によるものだったりする。

 さらに、不安感受性の高さや低いセルフ・エフィカシー(Self-Efficacy、自己効力感)、不眠症なども再喫煙には重要な要素と考えられている。ニコチン代替薬などを使った禁煙治療を受けた日本人喫煙者を調べた研究(※6)によれば、年齢が若い群、依存度が高い群で再喫煙のリスクが増える傾向があった。

タバコはアイデンティティか

 米国の最近の研究によれば、喫煙者の多くはなかなか禁煙できないことを不満に感じ、喫煙したことを後悔し、タバコを吸わない、もしくは禁煙できた他者との間に不公平感を抱きがちであることがわかっている(※7)。健康格差の問題もあるが、ニコチン依存症の喫煙者はタバコがないと不安になり、タバコを懐かしがる傾向もある。

 この100年ほど、タバコ会社や政府の喫煙を広めようとする広告宣伝の効果のせいで、タバコを吸うことによって社会的なアイデンティティを得たように錯覚する喫煙者も多い。

 再喫煙した喫煙者の心理的な傾向を調べた英国の研究(※8)によれば、禁煙中の喫煙者はアイデンティティを喪失しているような気分になり、それぞれの「タバコ物語」へ戻りたいと考えるあまり再喫煙してしまうようだ。

 この研究では、疎外感や孤独、強いストレスなどに襲われる傾向のある現代人にとって、何かしら自らのアイデンティティを証明する道具が必要となり、その一つがタバコというアイテムなのではないかという。大人の社会の構成員として長い間、タバコとつきあってきた喫煙者は、社会とタバコが強く結びついているという幻想を抱く。

 ストレスという概念はそもそもタバコ会社が広め、ストレス軽減にタバコを吸わせようとするキャンペーンに利用されてきた。ニコチン渇望が満たされるというだけで、タバコを吸ってストレスがなくなることはない。

 喫煙者はタバコに依存する薬物依存症の患者だ。覚醒剤中毒者がどんな手を使っても覚醒剤を手に入れようとするように、喫煙者は何重にもカギが掛けられた金庫の中にタバコがあれば、どんな困難を排除してもタバコにたどり着くだろう。

 ニコチン依存症のタバコに対する執着心はそれほど強いが、それを考えれば禁煙くらいできないはずはないのだ。

※1:Ataru Igarashi, et al., "Web-based survey on smoking cessation behaviors of current and former smokers in Japan." Current Medical Research and Opinion, Vol.30, Issue10, 2014

※2:D E. McCarthy, et al., "Paths to tobacco abstinence: A repeated-measures latent class analysis." The Journal of Consulting and Clinical Psychology, Vol.83(4), 696-708, 2015

※3:Li-Shiun Chen, et al., "Interplay of Genetic Risk Factors (CHRNA5-CHRNA3-CHRNB4) and Cessation Treatments in Smoking Cessation Success." American Journal fo Psychiatry, Vol.169(7), 735-742, 2012

※4:Elizabeth M. Barbeau, et al., "Working Class Matters: Socioeconomic Disadvantage, Race/Ethnicity, Gender, and Smoking in NHIS 2000." American Journal of Public Health, Vol.94, No.2, 2004

※5:Mustafa Al'Absi, et al., "Early life adversity influences stress response association with smoking relapse." Psychopharmacology, Vol.234, Issue22, 3375-3384, 2017

※6:Masakazu Nakamura, et al., "Predictors of Lapse and Relapse to Smoking in Successful Quitters in a Varenicline Post Hoc Analysis in Japanese Smokers." Clinical Therapeutics, Vol.36, Issue6, 918-927, 2014

※7:Teryy Frank Pechacek, et al., "Reassessing the importance of ‘lost pleasure’ associated with smoking cessation: implications for social welfare and policy." Tobacco Control, doi.org/10.1136/tobaccocontrol-2017-053734, 2018

※8:Caitlin Notley, et al., "Redefining smoking relapse as recovered social identity- secondary qualitative analysis of relapse narratives." Journal of Substance Use, Doi: 10.1080/14659891.2018.1489009, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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