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なぜサッカー選手は「後ろにも目がある」のか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 我々の五感はけっこう優れたセンサーで、視覚や聴覚、嗅覚、触覚などを総動員して危険を察知する。一方、記憶によるセンサーの補正機能に頼る部分も大きい。今回、東北大学の電気通信研究所の研究グループが、周囲の状況を無意識に捉える我々の視覚能力がどうして可能なのかを明らかにした。

分脈手掛かり効果とは

 記憶力に自信のない人でも、自分の部屋の中のどこに何があるかはおおよそわかっている。車の運転にも似ているが、よく知っている環境で我々は意識せずに様々な行動をとることができるというわけだ。これは周囲の状況を繰り返し観察することにより、無意識に学習(潜在学習)される視覚情報を手掛かりにした機能と考えられている。

 プロのサッカー選手は、ボールを視認せずゴールに向かって走って行き、振り向きざまにシュートを放つような離れ業を見せてくれる。あたかも頭の後ろに目がついていて、それを確認しながら位置決めをしているようだ。だが、こうした視覚情報と身体の動きがどう脳の中で処理され、連動して機能し、獲得されるのかはよくわかっていなかった。

 今回、東北大学電気通信研究所の研究グループが、英国の科学雑誌『nature』の「Scientific Reports」オンライン版に発表した実験論文(※1)によれば、視覚的に繰り返し出現する対象を学習することでより迅速に対象を検出することができる「分脈手掛かり効果(contextual cueing effect)」が無意識に生じ、この効果によって周囲の環境を潜在学習によって理解していることを明らかにしたという。

 この分脈手掛かり効果というのは、我々が日常生活をおくる中、大量の情報を端折るために進化した機能といわれている(※2)。同じ色調と濃度を合体させて情報量を少なくする画像処理のJPEGのようなものだが、特に空間的に固定された物体の情報の把握などで効果を発揮する。テレビのリモコンが行方不明になるのは、物体が固定されていないために手掛かりがなくて情報が混乱するからだ。

 研究グループは、周囲を取り囲む6台のディスプレイに文字がランダムに配置された中から「ターゲット刺激」を探すという「視覚探索」という課題を被験者に課したという。その文字の配置は毎回ランダムに新しくなるが、何百回もの実験の中で12パターンの文字だけは繰り返し配置し、探索に要する時間を調べた。

 この実験で使われた視覚探索は、分脈的手掛かりを調べるために1990年代から行われている一般的な方法だ。文字といっても線と鍵で構成された簡単な記号のようなもので、1つのディスプレイに6つの記号しか配置されず、そのうちの1つがほかと異なっているものがターゲット刺激になる。この実験では5つの「L」に紛れ込んでいる「T」をターゲットとして探すのだが、12パターンの「T」の配置を繰り返し、繰り返して配置されていることは被験者に知らせていない。

繰り返し潜在学習で後ろに目が

 周囲にディスプレイが置かれているので、被験者は頭や身体を動かしてそれぞれのディスプレイからターゲットを探索する。被験者は「T」記号を見つけたら、垂直線の方向を手に持ったカーソルで示す。

 探索に要する時間をランダム配置と繰り返し配置とで比較したところ、繰り返し配置のほうが時間が短くなったという。被験者は繰り返しに気付かないので、潜在学習、無意識的学習の効果が出たことになる。

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被験者の周囲を囲む6台のディスプレイに映し出される6つの「L」配置と5つの「L」と1つの「T」配置を探索し、「T」記号を見つけたら垂直線の方向を示すという実験。ランダム配置と繰り返し配置で探索にかかる時間を比較した。後ろ(背後)のディスプレイでも繰り返し配置を無意識に学習し、回数を重ねるごとに探索時間が短くなっていくことがわかる。Via:東北大学のプレスリリースより

 研究グループは、今回の実験では被験者の後ろ(背後)も含めた周囲の取り巻く環境に対しても無意識学習が起きていたことを確認し、ランダム配置より早く探索することがわかったという。後ろの文字配置でも探索速度が速くなったことで、眼や頭を動かすことなく見ることができない周囲を取り巻く文字配置全体にも、文脈手掛かり効果が生じたと考えられるからだ。

 このことは、正面にあるものを見ることで後ろにあるターゲットを見つけることができることを意味しているのではないかと研究グループはいうが、こうした分脈手掛かり効果に被験者が全く気付いていないというのも重要だ。潜在学習という無意識の学習により、周囲の環境を理解しているのだろう。

 我々はそのときに見える視覚情報だけでなく自分を取り巻く360度の視野にあるものの配置を無意識に覚え、周囲の環境モデルを脳内に構築していることになる。ヴァーチャル・リアリティの技術などに応用できそうだが、サッカー選手はさらに高度に状況ごとに変化する周囲の状況を脳内に構築しながらプレーしているというわけだ。

※1:Satoshi Shioiri, et al., "Spatial representations of the viewer’s surroundings." Scientific Reports, doi:10.1038/s41598-018-25433-5, 2018

※2:Marvin M. Chun, et al., "Contextual Cueing: Implicit Learning and Memory of Visual Context Guides Spatial Attention." Cognitive Psychology, Vol.36, Issue1, 28-71, 1998

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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