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タイタニック号沈没と「女性と子ども優先」の議論

石田雅彦サイエンスライター、編集者
タイタニック号の救難ボートで救助された人々(写真:George Grantham Bain Collection/Library of Congress/ロイター/アフロ)

 今日4月15日は1912年にタイタニック号(RMS Titanic)が、4月16日はセウォル号が沈没した日でもある。タイタニック号に関する物語については、これまで数々の小説や映画の素材になり、世界中の人々がよく知っているだろう。沈没に際し、船長が「女性と子ども優先(ウィメン・アンド・チルドレン・ファースト、Women and children first)」と命じたことで女性の生存率74%、子どもの生存率52%だったのに対し、男性の生存率は20%となった。

女性と子ども優先と船長の最後離船

 緊急の際、男性より女性と子どもを優先して避難させる女性と子ども優先という概念は「バーケンヘッド・ドリル(Birkenhead Drill)」ともいい、1852年に南アフリカで沈没したバーケンヘッド号(HMS Birkenhead)で行われたのが最初とされる。船の沈没という緊急かつ絶望的な状況下で、船長や船員がとった勇気ある行動として広く知られるようになった。

 船舶や鉄道、航空機など商業運行の事故の場合、乗員や船員は乗客の緊急脱出と避難誘導に携わるが、一般的には最後の乗客まで全員を脱出させたことを確認後、乗員も客船や列車、旅客機から離れることになっている。船舶の事故では前述したタイタニック号の例が有名だが、2012年に地中海で座礁転覆したコスタ・コンコルディア号(死者は乗員乗客32名)や2014年に韓国で起きたセウォル号の沈没事故(死者は乗員乗客299名)では船長や乗員の行動が避難誘導などの義務違反ではないかと批判された。

 日本の船員法では、第11条に在船義務として「船長は、やむを得ない場合を除いて、自己に代わって船舶を指揮すべき者にその職務を委任した後でなければ、積荷の船積及び旅客の乗込の時から荷物の陸揚及び旅客の上陸の時まで、自己の指揮する船舶を去つてはならない」とあり、第12条に「船長は、自己の指揮する船舶に急迫した危険があるときは、人命の救助並びに船舶及び積荷の救助に必要な手段を尽くさなければならない」とある。

 船員法は1970年に改正され、それまでの旧商法などを含む旧第19条「船舶ニ急迫ノ危険アルトキハ船長ハ人命、船舶及ヒ積荷ノ保護ニ必要ナル手段ヲ尽シ且旅客、海員其他船内ニ在ル者ヲ去ラシメタル後ニ非サレハ其指揮スル船舶ヲ去ルコトヲ得ス」となっていたものが上述の内容に変わった。つまり、船長の指揮する船舶に急迫した危険があるときには必要な手段を尽くさねばならないが、やむを得ない場合にはその船舶を去ることが可能となっている。また、船長の指揮下にある船員についての義務はない。

 船舶の場合、国際法でも各国内法でも、船長が最後まで自分の船に残らなければならないという規則はない。船舶の安全な運航のための規則にはタイタニック号の事故を契機として締結された海上における人命の安全のための国際条約(International Convention for the Safety of Life at Sea、SOLAS条約)があるが、国際法でも日本の国内法でも男性より女性と子どもの乗客を優先して避難させなければならないという規則はない。

 緊急時に女性や子ども、老人などの弱者を優先させたり船長が最後に離船すべきという考え方は、あくまで道徳や倫理、社会規範としての利他的行動であり、海事法などの規則で決まっているわけではない。だが、コスタ・コンコルディア号でもセウォル号でも、乗客より早く脱出したとされる船長や船員に対し、世論やマスメディアなどは厳しく批難指弾し、民事・刑事により告発された。

タイタニック号は例外だったか

 実際に女性と子ども優先が効果的かどうかについては議論がある。第一次世界大戦中の1915年にドイツの潜水艦Uボートによって沈められた英国の郵便船ルシタニア号(RMS Lusitania)とタイタニック号の事例を比較した研究(※1)があるが、ルシタニア号の生存率は男性62%だったのに比べ、女性38%で、タイタニック号の事例と好対照をなしている。

 パニックになって秩序だった脱出誘導のできなかったルシタニア号では子どもを含む1198名が犠牲になった。タイタニック号では船長を含む航海士ら乗員の多くが船と運命をともにしたが、ルシタニア号の船長は沈没後に救助されている。この研究によれば、沈没までの時間や平時と戦時の違いがあるが、女性と子ども優先をしたタイタニック号のほうが女性の生存率が高いとする。

 タイタニック号の沈没から100年後の2012年に出された研究(※2)によれば、確かにタイタニック号では女性と子どもの生存率が高く、男性と船長を含む船員の生存率は低かったが、少なくとも旅客船が沈没するという海難事故では各自てんでんばらばらに逃げる傾向があると結論づけている。

 この研究ではタイタニック号と比較するため、戦時に沈没したルシタニア号を除外し、1852年のバーケンヘッド号から2011年までに起きた16件の事例と比較した。この16例中、女性と子ども優先の命令が船長から出されたと考えられる事例は5例で、船長が船とともに犠牲になったのは7例だった。16例全体の女性生存率は17.8%で男性の34.5%より低かったが、女性と子ども優先がなされた場合、女性の生存率は7.3%上昇したという。

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タイタニック号(Titanic)とほかの16事例(MS)とで船長(Captain)、乗員(Crew)、男性乗客(Passenger Male)、女性乗客(Passenger Female)、子ども乗客(Passenger Children)の生存率を比較した。タイタニック号は例外だったことがわかる。Via:※2:Mikael Elinder, et al., "Gender, social norms, and survival in maritime disasters." PNAS, 2012

 19世紀から21世紀にかけての大規模な海難事故を比較しているが、時代ごとに次第に女性の生存率が上がる傾向があった。だが、英国船の事故ではなぜか女性と子ども優先の発令が少なく、この理由については謎だとしている。

 つまり、タイタニック号の女性と子ども優先の事例は例外的と考えたほうがよく、緊急事態での避難について多くの人間は利己的に振るまい、我先に逃げる傾向があることがわかった。逆にいえば、タイタニック号で極限状態の切迫した状況の中での勇敢な行動の結果、女性や子どもの生存率が上がったことが、これほど多くの物語によって語り継がれている理由ともいえるだろう。

 タイタニック号で起きた人間の行動には考えさせられることが多い。この研究者は、緊急事態において船長などのリーダーが果たす役割によって女性や子どもが生き延びる可能性が高くなるという。

 船長が女性と子ども優先を命じることは、船長の最後離船とのバーターと考えられる。女性と子ども優先が義務ではない以上、その判断はそれぞれの船長に委ねられる。こうした船長の覚悟なしに、秩序の維持と弱者救済という利他的行動を強制できないだろう。もちろん、女性と子ども優先しなかったからといって非難されるべきでもない。

 いわゆる「津波てんでんこ」でも、なるべく早く各自が勝手に逃げることは確かに重要だが、リーダー的存在の的確で冷静な判断に従った結果、生き延びることができた事例も少なくない。人間は極限状況でどんな言動をするか、タイタニック号の事例が例外なのかどうか、これからも議論は尽きないだろう。

※1:Bruno S. Frey, et al., "Interaction of natural survival instincts and internalized social norms exploring the Titanic and Lusitania disasters." PNAS, Vol.107(11), 4862-4865, 2010

※2:Mikael Elinder, et al., "Gender, social norms, and survival in maritime disasters." PNAS, Vol.109(33), 13220-13224, 2012

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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