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初めて観察された「シャチ」の子殺し

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 シャチ(Orcinus orca、Killer Whale)の群は、主に沿岸に定住するタイプ、主に遠洋にいるタイプ、その中間の回遊タイプなど、生態によっていくつかのタイプに分けられる。それぞれのタイプはときに混在するが、特に沿岸タイプのシャチは基本的にメス(母親)を中心にした母系集団を形成し、集団の絆は強く互いに助け合うことが知られている。そんな家族集団のシャチで、初めて子どもを殺す行動が観察された。

ボスの交代で子殺し

 沿岸定住タイプのシャチの研究では、カナダのバンクーバー島の北西端のジョンストン海峡の集団のものが有名だ。ここのシャチは1970年代から調査研究が進められ、背びれの形や傷、下部の模様などによる個体識別により、彼らの採餌行動や繁殖行動などがわかってきた。

 サーモンなどが主食の沿岸タイプは性格も穏やかだが、遠洋タイプや回遊タイプはクジラやオットセイ、アザラシなどの海棲哺乳類を集団で狩るなど、その性格はまさにキラーホエールと呼ばれるように荒々しい。氷の上に逃げたアザラシを氷にのしかかって海に落として捕食したり、海岸の上まで追いかけて獲物を捕らえたりする。そんなシャチだが、仲間同士の共食いはこれまで観察されていない。

 ところで、ハーレム型の群を形成する種類の生物では、群のボス(オス)が交代すると前のボスの遺伝子を受け継いだ子を食い殺す行動(conspecific infanticide)がよく観察される。有名なのはライオンやインドのサルの一種ハヌマンラングールの子殺しだが、クジラ類でもハンドウイルカ(tursiops truncatus、common bottlenose dolphin)や東南アジアからオセアニアにかけて生息するシナウスイロイルカ(sousa chinensis)でも観察されているようだ(※2)。

 そんな同種の子殺しだが、シャチで初めて観察され、先日、英国の科学雑誌『nature』系の「Scientific Reports」オンライン版に発表(※3)された。ハクジラ類の中には、交尾の際にオスがメスに噛みついたりすることも多く、シャチでも仲間から受けたと考えられる傷を持つ個体も多い。だが、子殺しの観察は初めてのことという。

 現場は、前述したカナダのジョンストン海峡で、バンクーバー島とマルコルム(Malcolm)島の間で、シャチの子殺しは2016年12月2日に起きた。一頭のオスとその母親のメスが、その2頭と血縁関係にない子シャチ(neonate)を殺したのだという。

2頭の母息子が新生児を殺す

 一人の研究者を含む漁師など観察者は、シャチの観察のために海域に設置されている海中集音器で異常なパルス音を感知し、現場へ向かった。すると「T068」という血縁グループに属する46歳以上と推定されるメスと32歳のその息子のオスが、別の「T045」という群を追いかけているのを発見。T045グループは、13歳の若い母親と2頭の娘たちだった。

 すでに娘の1頭には、脇腹と背びれの後ろに新しく負った傷があり、左脇腹からの出血が認められたという。T068の2頭は、T045グループの新生児を含むほかの仲間がみえるところまでT045グループの母娘をぴったりと追尾し続けた。

 その後、観察者らは水中集音器での情報収集をしたが、やがて500メートル離れた場所でシャチの集団の不規則な動きと捕食行動を示す水しぶきが上がるのを確認する。T068の母親はT045グループから離れつつあったが、ほかの集団が激しく円運動を始めた。

 観察者らがT045グループの新生児が母親の近くに見当たらないことに気付いたとき、T068のオスが観察者のボートの脇を泳ぎ越した。そのオスの口には、新生児がくわえられていたという。

 さらに、新生児の母親がT068のオスを追いかけようとすると、T068の母親がその間に割って入り、追跡の邪魔をした。水中集音器にはシャチ同士の激しいホイッスル音や広帯域の発生音が記録され、水中カメラにはT068のオスが新生児をくわえている様がはっきり映されていたという。

 約30分後にこの大騒ぎは静まり始めたが、激闘を物語るかのように襲ったほうのT068の母親も息子も、観察前にはなかった噛み傷を体中に負っていた。T068の2頭は泳ぎ去ろうとしていたが、依然として息子は新生児を口にくわえ、母親もときおり新生児を口に入れていたようだ。こうした「いたぶり」行動はその後も4時間ほど続き、日没とともに観察ができなくなったという。

 ハーレム型のボス交代による子殺しは、前のボスの子を育てるというコストを避け、子を殺されたメスの発情を促すという性選択的な目的があるとされるが、母系集団のシャチで行われる理由はよくわかっていない。シャチはよく他の小型イルカを捕食するが、ときに強制的に溺死させる行動をとる。

 今回の新生児に対しても同じ行動をとったようだが、新生児の母親によると考えられるT068の2頭への攻撃傷は、霊長類などの母親が若いオスから子どもを守る際に相手におわせるものと似ていたという。また、観察の初めごろにT045グループのメスに傷が認められたが、ほかの血縁集団との間で傷つけ合ったり、子殺しするような行動はシャチで頻繁に行われている可能性がある。

 襲ったのがT068の母息子の2頭ということは、性選択の一種と考えることもでき、また母親が息子の生存率を高めるためにとった行動とも考えられる。ひょっとすると、T045グループの新生児を殺すことでT068のオスの交尾機会を増やすことにつながるかもしれない。

 多くの生物で子殺しが観察されている。これまでシャチで子殺しが観察されなかったことは、単に偶然に過ぎなかったのではないか、と研究者はいっている。

※1-1:Richard C. Connora, et al., "Social evolution in toothed whales." Trends in Ecology & Evolution, Vol.13, Issue6, 228-232, 1998

※1-2:Marilyn Dahlheim, et al., "Eastern temperate North Pacifc offshore killer whales (Orcinus orca): Occurrence, movements, and insights into feeding ecology." Marine Mammal Science, Vol.24(3), 719-729, 2008

※2-1:I A. P. Patterson, et al., "Evidence for infanticide in bottlenose dolphins: An explanation for violent interactions with harbour porpoises?" Proceedings of The Royal Society B, Vol.265, 1167-1170, 1998

※2-2:Ruiqiang Zheng, et al., "Infanticide in the Indo-Pacific humpback dolphin (Sousa chinensis)." Journal of Ethology, Vol.34, Issue3, 299-307, 2016

※3:Jared R. Towers, et al., "Infanticide in a mammal-eating killer whale population." Scientific Reports, doi:10.1038/s41598-018-22714-x, 2018

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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