Yahoo!ニュース

チンパンジーは身振りで「アレやコレ」を示す

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
(写真:ロイター/アフロ)

 チンパンジーの認知研究についての歴史はわりに古い。簡単な手話を教えることができることがわかったのは1969年だ(※1)。 同じ頃、手話以外にも図形の認識などもできることがわかった。

チンパンジーの距離感を調べる

 日本でも京都大学の霊長類研究所で、1976年10月生まれのアイというメスのチンパンジーを使った認知研究が行われている。彼女を使った研究というより、1歳半のころからヒトと一緒に認知や学習を始めたチンパンジーと言ったほうがいいかもしれない。

 筆者は以前、オオカミとイヌを比較した研究についての記事を書いたが、その中でチンパンジーは「指差し行動(Pointing Gesture)」という抽象的なコミュニケーションがヒトの2歳児と同程度に理解できることを紹介した(※2)。指差し行動は社会性を持った生物に備わった動作なのかもしれない。

 チンパンジーの動作と言えば、つい最近、霊長類研究所から新しい論文(※3)が出た。チンパンジーが距離を身振りで伝える、という内容で、チンパンジーは我々ヒトが「アレ」や「コレ」といった言葉を使ったり指差しをして示したりして距離感を表現するのと同じような特有の表現を持っているらしい。

 研究者は8頭のチンパンジーを使い、それぞれを鉄柵で仕切られたエリアの内側に隔離して実験した。同じ大きさの二つのテーブルを、仕切りエリアの近く(30cm)と遠く(130cm)に配置し、まず最初の実験者(E1)が部屋に入ってテーブルの遠近どちらか一方の上にバナナを置いてテーブルから離れる。

 その後、二人目の実験者(E2)が近づいて、それぞれのチンパンジーがE2にバナナを要求する行動をすぐに起こすか、5秒後に起こすか確認する。要求行動の短長に関わらず、E1が離れてから15秒以内にどのチンパンジーもE2からバナナを与えられるようにした。

 次に研究者は、比較するためにE2なしのテストを実施した。このテストでは最初の実験者E1がテーブルの上にバナナを置くだけでE2はいない。その後、チンパンジーがどんな身振りをするかを、E2が存在するときと比較する。この場合も、E1が離れてから15秒以内にバナナをもらえるようにした。

 こうしたテストを、E2あり10回、なし5回で1日1回ずつ8頭に行い、すべてをビデオカメラで記録した。そして、チンパンジーの身振りや動作をコード化し、鉄柵越しの指差しなどの表現、手を叩くなどの注意喚起、または口の細かい開閉といったほかの表現に分類する。さらに、動作や身振り、仕草といった視覚的だけでなく音声データも同時に分類した。

画像

チンパンジーは手を伸ばせない鉄柵の内側に隔離され、実験者がいる部屋の中に近くと遠くにテーブルを設置する。そしてどちらかのテーブルの上にバナナを置き、ビデオカメラでチンパンジーの身振りや口の開閉、声などを記録して分析した。Via:Chloe Gonseth, et al., "The higher the farther: distance-specific referential gestures in chimpanzees (Pan troglodytes)." Biology Letters, 2017

チンパンジーが発話するまであと一歩か

 こうして分析した結果、チンパンジーはE2、つまりヒトがいるときのほうが多くの身振りを示したことがわかった。ヒトがいるときには、音声を交えた動作よりも音声を交えない動作が、ヒトがいないときには逆で音声なしの動作より音声を交えた動作のほうが多かった。

 さらに、チンパンジーは単にバナナが欲しい、という要求だけでなく意図的なコミュニケーションを表現した。また、テーブルの距離に応じて異なった身振り、例えば、バナナが遠い場合、手を高く掲げ、口を大きく開けるなど、手を上下させる動作や声を出さない口の開閉で距離の遠近をあらわす身振りを多くした、という。

 研究者によれば、これはチンパンジーが距離を表すために固有の動作や表現をすることを示した最初の実験だ。遠近を手の上下で表すのはヒトとは違うが、口の開閉によって遠近を表すのはヒトでも同じように母音の違い(例えば口の中の舌と上顎の距離による広母音と狭母音など)で示したりするらしい。

 つまり、身振りや口の開閉で距離を示すのは、ヒトとチンパンジーに共通表現の可能性がある、ということだ。音声学と意味表現で言えば、言葉と指示対象の関係、つまり語彙という概念が我々ヒトにどのように現れてきたのかを示唆する研究、と研究者は言っている。

 それにしても口を開け閉めして「アレ」や「コレ」を示すチンパンジー。その様子を想像すれば、ひょっとしてひょっとするとチンパンジーが発話をするまであと一歩、ということも言えるのかもしれない。ただ、ヒトとチンパンジーの「脳」は根本的に異なっている、という最新研究もある(※4)。

※1:R. Allen Gardner, Beatrice T. Gardner, "Teaching Sign Language to a Chimpanzee." Scinece, Vol.165, No.3894, 1969

※2:Daniel J. Povinelli, James E. Reaux, Donna T. Bierschwale, Ashley D. Allain, Bridgett B. Simon, "Exploitation of pointing as a referential gesture in young children, but not adolescent chimpanzees." Cognitive Development, Vol.12, Issue.4, 1997

※3:Chloe Gonseth, Fumito Kawakami, Etsuko Ichino, Masaki Tomonaga, "The higher the farther: distance-specific referential gestures in chimpanzees (Pan troglodytes)." Biology Letters, DOI:10.1098 / rsbl.2017.0398, 2017

※4:Xiang Li, Timothy J. Crow, William D. Hopkins, Qiyong Gong, Neil Roberts, "Human torque is not present in chimpanzee brain." NeuroImage, Vol.165: 285, DOI: 10.1016/j.neuroimage.2017.10.017, 2017

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

石田雅彦の最近の記事