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「中秋の名月」はなぜ我々をソワソワさせるのか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

 月の美しい季節だが、今年の「十五夜」、いわゆる「中秋の名月」は10月4日だ。昨日の月は半月だったが半月もまた風情がある。ちなみに夏目漱石が「I love you」を「月がきれいですね」と訳した、という逸話はどうも眉唾らしい。

 生理学の分野では、太陽の動きによる1日のリズム、つまり昼と夜のリズムを概日リズム(サーカディアンリズム)という。いわゆる「体内時計」に関する研究が今年(2017)のノーベル医学生理学賞を受賞したことでも話題だが、これは地球の自転により太陽が昇ったり沈んだりして明暗が生じるリズムでもある。

時間を考えるクロノバイオロジーとは

 こうした地球の自転や公転が、生物にどんな影響を与えるのかを考えるのが「クロノバイオロジー(chronobiology、時間生物学)」だ。この分野の研究では、太陽サイクルによる概日リズムを対象にしたものがほとんどだった。もちろん、ある種のカニが半月の頃に産卵するなど、月の潮汐力による干満についての研究は以前からあったが、月の満ち欠けや月光が生物にどんな影響を与えるかについてはあまり研究されてこなかった。

 夜間に活動する種類の生物にとって、月の明かりに照らされることは重要だ。哺乳類にとって、1日のうち26%が昼間であり、29%が薄暮(朝夕)、そして44%が夜とみなされる(※1)。

 捕食する側も捕食される側も、月の周期によってより多くの獲物を得たり、食べられることを回避できたりするだろう。また、生殖行動にも月の明かりが影響することが考えられる。月の満ち欠けが生殖行動のトリガーになったり、新月の頃に捕食者を避けて生殖行動をとったりする生物も多い。

 月の光は、動物たちのコミュニケーションにも利用される。コヨーテが月に向かって吠えて仲間と呼び交わす行動は有名だが、フクロウやヨタカの仲間の鳥類もまた月の光の具合によって仲間とのコミュニケーションを変化させる。哺乳類でもアナグマは月の周期によってマーキング行動を変えることが知られている。

 夜行性の動物では、採餌や捕食行動が月の光に大きく影響される。月の周期により、爬虫類ではヘビの行動を活発化させ、鳥類では活動パターンを変え、渡りをする種類の鳥類では月が繁殖地へ向かう合図になる。哺乳類ではまずコウモリの活動レベルが変わり、ライオンやリカオン、オオカミ、ジャガーなどの肉食獣では狩りの成功率に影響がある(※2)。

月光は生物をどう変化させるか

 また、ハツカネズミの活動と捕食者であるネコの臭い、そして月の光との関係を調べた研究(※3)によれば、ネズミはネコの臭いにはほとんど影響されなかった代わり、月の明るさに応じて活動が変化することがわかった。明るいときは暗いときに比べて活動量が減ったのだ。これによりネズミの場合、臭いよりも明るさによって警戒心が変化することがわかる。

 また、南米アマゾンのフィールド調査による研究でも、ジャガーなどの肉食獣に狙われる被捕食者(大型齧歯類のパカ、アルマジロなど)の生物は明るい夜を避けることもわかっている(※4)。我々ヒトが明るい月夜にそわそわしたり浮かれたりする理由は、こうしたプリミティブな情動反応が残っているせいかもしれない。

 一方、動物の夜間の行動を調べた59の研究をメタ解析によって分析したところ、月の明るい光は狩られる側の被捕食者にとってのリスクを下げる働きをしている、という論文もある(※5)。明るい月の光は夜の活動を抑制することは捕食者・被捕食者に共通していたが、視覚に依存している種類の生物は捕食者・被捕食者ともに活動が減りにくい傾向にあったという。

 つまり、リスクを下げる要因は明るさではなく、視覚・嗅覚・エコーロケーションなどの感覚器の違いによる、というわけだ。ハツカネズミが嗅覚よりも明るさによって警戒心を変化させていたのは、ネズミがより視覚に依存していることの現れだったのだろう。

 そもそも哺乳類の祖先は、長い恐竜の時代を生き抜く間に夜行性という生態行動を身につけた、と考えられている。それは視覚により特徴的に現れ、暗視能力が優れ、両眼視による視認能力を発達させてきた。ただ、我々ヒトの祖先であるサル類の一部は、他の哺乳類と違った目の構造をしているようだ(※6)。

 我々の遠い祖先は恐竜を恐れ、月の光に照らし出されることを避けた。だが、哺乳類の時代を経て、ヒトの祖先は樹上から降りてサバンナで生活を始めたと考えられている。サバンナのような開けた場所で、月の光は肉食獣も獲物も照らし出してくれるだろう。我々が満月に気もそぞろになるのは、恐竜への怯えかそれとも平原で獲物を探すためか、どちらなのだろうか。

月光のためのセンサーとは

 月の光は不思議だ。月の輝度(約2600カンデラ/平方メートル)は太陽(1.65×10の9乗カンデラ/平方メートル)の40万分の1から50万分の1ほどしかない。昼間ほど明るいはずはないのに、我々の目には驚くほどはっきりと風景が見える。

 この機能について最近、興味深い論文が米国の学術雑誌『Cell』に出た。米国ハーバード大学ボストン小児病院の研究者は、我々の網膜が光に応じて受容体を使い分けているのではないか、と言う(※7)。

 我々の網膜には、大まかに色を識別する細胞と明るさ(暗さ)を感じる細胞、そして概日リズムに感応する「光感受性網膜神経節細胞(ipRGC、メラノプシン光受容体)」という3種類のセンサーがある、と言われている(※8)。

 この3番目のセンサーは、特に青色に強く反応し、またいくつかの種類に分けられるようだ。ここには「M1(ipRGC)」と呼ばれる種類の光感知細胞があるが、これは生まれながらにして視覚に障害がある人でも持っていて、それにより概日リズムを感じることができる、と考えられている。

 前述した論文の研究者によれば、昼間に活発化する細胞もあれば夕方になってからシグナルを発し始める細胞もあるらしい。メラノプシン光受容体でもあるM1細胞も光を捕捉するが、その際に視神経から脳へ送られる電気信号がスパークすれば、病理学的に「てんかん」などの脳機能障害に特有な状態が観察される。

 脳がこうした状態になるとヒューズが飛んだようになって脳への刺激がブロックされるが、研究者はブロックされるために他の網膜の神経細胞や神経伝達系がシャットダウンし、一種の省エネ状態になるのではないか、と考えている。つまりこれは、強い太陽光から光源がほとんどない暗闇の中まで多様な環境で酷使されている網膜を使い分け、M1細胞だけで光を感じるための合理的な仕組みなのではないか、というわけだ。

 ところで、満月になると眠れなくなる、という人が少なくない。これには睡眠と関係のあるメラトニンというホルモンの分泌量が月齢によって変化することが原因のようだ(※9)。満月が近づくにつれ、メラトニンの分泌量が減る。つまり、月の満ち欠けか月の光かわからないものの、月もまた生理的な概日リズムに影響を与えている可能性がある、というわけだ。

 もうすぐ中秋の名月だ。月光には、なぜか惹かれてしまう。この月の光を浴びることで、昼間に酷使された網膜の神経や視神経を休ませ、月夜ならではの、なぜか眠れなくなる概日リズムを体内へ取り込むことができるかもしれない。

※1:Kate E. Jones, et al., "PanTHERIA: a species-level database of life history, ecology, and geography of extant and recently extinct mammals." Ecology, Vol.90, Issue.9, 2009

※2:Noga Kronfeld-Schor, Davide Dominoni, Horacio de la Iglesia, Oren Levy, Erik D. Herzog, Tamar Dayan, Charlotte Helfrich-Forster, "Chronobiology by moonlight." Proceedings of the Royal Society B, Vol.280, Issue.1765, 2013

※3:Maria Busch, Nora E Burroni, "Foraging activity of commensal Mus musculus in semi-captivity conditions. Effect of predator odours, previous experience and moonlight." Pest Management Science, Vol.71, Issue.12, 2015

※4:Luis P. Pratas-Santiago, Andre L. S. Gonqalves, Antonio J. A. Nogueira, Wilson R. Spironello, "Dodging the moon: The moon effect on activity allocation of prey in the presence of predators." ethology, Vol.123, No.6-7, 2017

※5:Laura R. Prugh, Christopher D. Golden, "Does moonlight increase predation risk? Meta-analysis reveals divergent responses of nocturnal mammals to lunar cycles." Journal of Animal Ecology, Vol.83, Issue.2, 2014

※6:C P. Heesy, M I. Hall, "The Nocturnal Bottleneck and the Evolution of Mammalian Vision." Brain Behav Evol, Vol.75, No.3, 195-203, 2010

※7:Elliott Scott Milner, Michael Tri Hoang Do, "A Population Representation of Absolute Light Intensity in the Mammalian Retina." Cell, DOI:10.1016 / j.cell.2017.09.005, 2017

※8:Tiffany M. Schmidt, Shih-Kuo Chen, Samer Hattar, "Intrinsically photosensitive retinal ganglion cells: many subtypes, diverse functions." Trends in Neurosciences, 2011

※9:Christian Cajochen, et al., "Evidence that the Lunar Cycle Influences Human Sleep." Current Biology, Vol.23, Issue.15, 2013

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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