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氷河という「タイムカプセル」に運ばれし者たち

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:アフロ)

 ヨーロッパアルプスの氷河で第二次世界大戦中の1942年8月15日に行方不明になった夫婦の遺体が、先日、発見されて話題になった。75年の時を超え、二人は遺族の元へ還ったことになる。行方不明当時、2歳から13歳だった7人の子どもたちの5人はすでに亡くなり、二人の娘だけが存命とのことだ。

 長い時を経て、氷河から発見される遺体は多い。有名なところでは、1991年9月にイタリアとオーストリア国境の氷河から発見された「アイスマン」だろう。5300年前の男性とされるアイスマンは、何者かに弓矢で襲われ、鎖骨の下の動脈を断ち斬られて絶命したらしい。

気候変動により溶け出す氷河

 2015年にはヨーロッパアルプスのマッターホルン氷河から、1970年に行方不明になった二人の日本人登山者の遺体が発見されたが、ここ十年ほどの間に、地球温暖化の影響か、溶けた氷河から行方不明者が発見されることが増えている。実際のところ、氷河は世界中で減少・縮小・後退しつつある。

 氷河の減少は気候変動の明確な証拠となっているが、ある研究によればこうした気候変動の原因は少なくとも66%の確率で人為的、つまり二酸化炭素排出などの人工的な温暖化によるものらしい(※1)。この研究は世界の37氷河を調べ、そのうち36氷河の後退の原因が気候変動と結論づけている。

 米国ラトガース大学の地球政策研究所(Earth Policy Institute)によれば、地球温暖化の影響で過去100年の間、世界の平均海面が約17センチメートル上昇したという。このままいくと21世紀中に、海面は2m近くも上がり、ニューヨークやロンドン、カイロ、東京など世界の主要都市が海没してしまう恐れがある。

 海面上昇の大きな原因は、温暖化による氷河を含む世界の氷の融解だ。下の図(『花はどこへいった』ならぬ「氷はどこへいった」)で示した通り、グリーンランドの氷床は現在、毎年2630億トンが溶け出している。一方、南極でも氷河の流れが加速し、海への障壁となっている氷棚がブレーキの機能を果たせなくなっているようだ。こうした氷河の減少は世界的な兆候となって現れている。

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 また、氷河は世界の貯水庫になっているが、ヨーロッパアルプスでもヒマラヤでも氷河が減少し、深刻な水不足を引き起こしかねない。例えば、カナダのスキーリゾート地、ウィスラーに近いブリティッシュ・コロンビア州にあるリルーエット氷河は、東西30キロメートル、南北20キロメートルに及ぶ広大な氷河だが、ここも近年、大規模な氷の減少が続いている(※2)。この氷河はカナダの太平洋岸に点在する湖の源となっているが、1972年時点と比べても氷河は3.55キロメートルも後退した。

溶け出した氷河で川の流れが変わる

 氷河はその表面と底部で様相が異なることが多い。氷河には内部に水が流れる穴が空いており、これを「ムーラン(moulin)」といい、こうした水によって削られた氷河の割れ目を「クレバス(crevasse)」という。ムーランの数が多くなれば、氷河の底部に水が流れ出し、氷河と地面との間の摩擦力が減退し、氷河が流れる速度が増す(※3)。

 氷河が流れる速度は年に平均約2〜4メートルだが、降雪により氷床が形成され続けるため、表面や末端で氷が溶けてもその長さや厚さは変わらない。つまり、氷の形成と融解というバランスが崩れれば、氷河は長さも厚さも減少することになる。前出のカナダのリルーエット氷河の場合、このバランスが崩れつつあるようだ。特に氷河の表面の融解は気候変動と密接に関係している、と研究者は指摘する。

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 また、氷河の後退は思わぬところに影響を与える。大量の融解水が氷河から流れ出し、地形や生態系を変えてしまうこともあるからだ。例えば、カナダのクルアニ国立公園にあるカナダ最大のカスカウォルシュ氷河から流れ出るシムス川は、もともとベーリング海へ流れ込んでいた。だが、氷河からの融解水が影響し、シムス川の流域が太平洋へ流れ出るように変えられてしまったという(※4)。

 この河川争奪現象という流域変化が、地域の気候や生態系などにどういう影響を与えるのかまだわからないが、この研究により氷河の後退が河川の流れまで変えてしまうことが明らかになった。こうした現象が気候変動によるものとすれば、気候変動により地形も大きく変わってしまう可能性が高い。

 冒頭で紹介した75年前に行方不明になった夫婦は、離れず一緒に氷河の中を旅していたらしい。アーネスト・ヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』は、標高5895メートルの山頂にヒョウの死体がある、という話から始まるが、太古の大気が閉じ込められていたり、古細菌は発見されたり、マンモスの死体が埋もれていたりと、氷河はある意味で時間を閉じ込めたタイムカプセルのようなものだ。タイムカプセルの発見される頻度が高くなっているとしたら、これもまた気候変動が与えた皮肉と言えるのではないだろうか。

※1:Gerard H. Roe, Marcia B. Baker, Florian Herla, "Centennial glacier retreat as categorical evidence of regional climate change." nature geoscience, 10, 95-99, 2017

※2:M Chernos, M Koppes, R D. Moore, "Ablation from calving and surface melt at lake-terminating Bridge Glacier, British Columbia, 1984-2013." The Cryosphere, 10, 87-102, 2016

※3:Peter Nienow, Martin Sharp, Ian Willis, "Seasonal Changes in the Morphology of the Subglacial Drainage System, Haut Glacier D’arolla, Switterland." Earth Surface Processes and Landforms, 23, 825-843, 1998

※4:Daniel H. Shugar, et al., "River piracy following global-warming-induced glacier retreat." nature Geoscience, 10, 370-375, 2017

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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