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シャチはなぜサメを食べ始めたのか

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(写真:アフロ)

今年(2017年)4月に北海道の苫小牧の沖合でシャチ(Killer Whale)が目撃され、サーファーが避難して話題になった。知床沖にシャチの大群が現れることはよくあるが、苫小牧の海岸では珍しいことらしい。

だが、シャチは東京湾にも入ってくることがある。ちょうど2年前の2015年5月26日には、シャチの群れが東京湾で確認された。江戸時代にはもっと頻繁に東京湾内へ侵入してきていたようだ。

シャチの和名は「さかまた」

子どもたちの人気者、イルカはクジラ(鯨類)の仲間だ。クジラの仲間は大きくハクジラとヒゲクジラに分けられるが、イルカはハクジラであり、シャチもまたハクジラだ。シャチは世界中の海に棲息し、ハクジラ亜目マイルカ科となる。

シャチを個体識別する方法は、背びれの形や傷などだ。日本ではシャチを「逆戟(さかまた)」と呼んだ。シャチの背びれは、水面上に垂直にそびえ立つ。その背びれの形が、中国の武器「戟(げき)」が逆になっているように見えることからこう呼ばれたのだろう。生息域によっても微妙に背びれの形や大きさが変わり、外洋性のシャチの背びれは傷だらけになっていたりする。

シャチの群れは基本的に女系だ。母親を中心にした社会的なグループを形成し、その生態によって4つないし5つのタイプに分けられる。

肉食のシャチは、ほかのクジラ類やアザラシなどの海棲哺乳類を捕食するタイプ、サケやタラなどの魚群を作る魚を主食にするタイプといった食性によって分けられ、また外洋型(Offshore)か回遊型(transient)か沿岸定着型(resident)か、といった生息域によってもタイプ分けされる。

外洋回遊型も沿岸定着型もほかの哺乳類を食べるが、主に魚を食べるのは沿岸定住型のようだ。カナダのバンクーバー沖の海峡(フアン・デ・フカ海峡やジョージア海峡南部など)に棲息するシャチの群れは「オルカ(Orca)」と呼ばれ、サケなどの魚を食べる沿岸定着型。沿岸定着型の性格が穏やかと言われている一方、海棲ほ乳類を食べる外洋型は凶暴とされる。

サメの肝臓を食べ始めたシャチ

今年5月、南アフリカの西ケープ州にサメの死体が漂着し、サメの肝臓だけがきれいに食べられていることが話題になった。だが、南アフリカ沿岸でシャチがサメを補食する行動は、これまで知られていなかった。

また、宮城県の気仙沼沖のシャチもマグロ延縄にかかったサメを餌食にすると言う。気仙沼のシャチもサメの内臓だけをきれいに食べるようだが、そうした捕食行動も最近になってみられるようになってきたようだ。

ただ、三陸沖のケースはゴンドウクジラ(中型のクジラ類)が主犯とする説もあるらしい。いずれにせよ、クジラ類の食性が変化している、ということは言える。

シャチなどの行動が世界各地で同時に変化しているのではないか、というわけだが、同じ海棲哺乳類であるカリフォルニアアシカもサメの肝臓を好んで食べることが知られている。

サメの肝臓は浮力を得るために巨大で高い栄養がある。サメの肝油にはスクアレン(squalene)という油性物質が多く含まれ、これによって浮力を得ているのだが、シャチはこのスクアレンを摂取するように行動が変化したのだろうか。

シャチの行動や食性について、東海大学海洋学部の大泉宏教授に聞いてみた。大泉教授は、三谷曜子(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター)教授らが参加している「北海道シャチ研究大学連合プロジェクト」のメンバーだ。

大泉「クジラの舌だけしか食べないなど、シャチが獲物の部分のみしか食べない、という行動はよく知られていて、クジラなどの大型の獲物だけに限らず、魚などのある部分しか食べない、といった行動もあります。(南アフリカで報告されたような)特にサメの肝臓だけを食べるといった情報を私たちは持っていませんが、シャチの獲物にはサメも含まれることは胃の内容物の研究でわかっています。ただ、シャチのサメ漁への食害については少なくとも私たちは聞いたことはありません。シャチの詳細な食性については、まだ研究中の段階なんです」

ところで、北極から南極までの太平洋に生息する約50頭のシャチの遺伝子を地域別に調べてみた研究(※1)によれば、遺伝子変異と「文化」の伝播と多様性についてヒトの適応放散の知見とよく似ているようだ。この研究では、シャチの群れを大きく5つのタイプに分け、それぞれの遺伝子型を比べている。

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太平洋におけるシャチの生息地域別、習性別の5分類。海の色分けは海水温。青色と紫色が外洋回遊型のシャチ、茶色とオレンジ色が沿岸定着型のシャチ。ミトコンドリアDNAの変異による分岐の単位「MYA」は「million years ago」。外洋型と定住型の最初の分岐は約35万年前となる。:Photo credits: Dave Ellifrit, Center for Whale Research; Holly Fearnbach and Robert Pitman, SWFSC; SST measurements from NOAA Optimum Interpolation SST V2 long-term mean 1981〜2010, www.esrl.noaa.gov/psd/repository courtesy of Paul Fiedler; killer whale illustrations courtesy of Uko Gorter.

すると、それぞれの群れでまず個体数が減少し、その後、それぞれの生態系に適応が進み、群れがその地域で繁栄するようになった。こうしたパターンは、大分類から小分類へ分岐し、進化する際に共通のものらしい。シャチという社会性の高い生物の生態を研究することで、我々ヒトの地域性と気候からの影響と遺伝的な進化の間にある相互作用などがわかってくるかもしれない。

遺伝子の多様性で言えば、最近の氷河期でシャチの個体数が激減した、という研究もある(※2)。ヒトも氷河期に人口がかなり減った。

地球では過去45億年の間に5回の氷河期があったが、最後の氷河期は180万年前から1万1700年前までの更新世だ。北半球のシャチの遺伝的多様性は少ないが、その原因は氷河期の個体数減少にあったらしい。

一方、前述した南アフリカ沖のシャチには遺伝的な多様性がある。この研究によれば、同じ氷河期による影響でも、南半球では影響が小さかったというように地域による違いが大きかった可能性があるそうだ。

地域性で独自の習性をすることがあるシャチ。南アフリカでサメの肝臓を食べ始めた、というのもこうした習性の「進化」なのだろうか。

捕食行動の変化は環境要因?

シャチの補食行動の変化で気になるのは、環境の変化が影響しているかどうかだ。シャチがサメの肝臓を好むようになったのは、環境変化によるものなのだろうか。

シャチの潮吹き(呼気)を調べた研究があるが、通常は海棲哺乳類からは発見されないサルモネラ菌やブドウ球菌など多種多様な細菌類やいくつかの耐性菌が含まれていたという(※3)。この研究で調べられたシャチは沿岸定住型で、外洋回遊型のシャチにこうした「汚染」が当てはまるかどうかはわかっていない。

また、イルカなど生態系のトップにいる海洋生物の免疫系やホルモン分泌が、野生種と水族館などの保護下のものと異なっている、という調査研究がある(※4)。海洋汚染の影響によりイルカの免疫系がウイルスや寄生虫などに対して抗しきれなくなっているのでは、というわけだ。

海洋汚染では特にPCB(Poly Chlorinated Biphenyl、ポリ塩化ビフェニル)によるものが深刻で、シャチなどのクジラ類に大きな影響を与えている、という研究もある(※6)。ヒトの健康にも同様の影響が出てくるかもしれない、と研究者たちは警告している。

また、前述の大泉教授によれば、海洋汚染がシャチなどのクジラ類にある一定程度の影響を与えていることはありそうだ。

大泉「極域での氷が減少するなど、気候変動の影響で行動域が変化した、ということは最近よく議論されるようになっています。海洋汚染の直接的な影響は限定的と思いますが、英国で高濃度に汚染されたシャチが発見され、汚染が生殖機能と繁殖などに影響を与えているのではないか、という報告はあります」

シャチとヒトの遺伝子変異や文化の多様性が共通しているように、環境要因から受ける影響にも共通点が生じる可能性は高い。海と陸でともに生態系の頂点にいるシャチとヒト。特に外洋回遊性のシャチの生態は、まだ研究されつくされてはいない。我々がシャチから学ぶべきことが、これからも発見されるのかもしれない。

※:筆者はタバコ問題についても記事を書いてきたが、タバコのフィルターが海洋などの環境汚染に大きな影響を及ぼしている、という論文(※5)もあることを追記(2017/05/30:9:50)する。この論文によれば、タバコのフィルターは世界で年間約4.5兆個も捨てられ、そこから浸潤するニコチンやタール、化学物質などが生物へ毒性を及ぼしていることになる。

※:2017/06/01:11:55:大泉宏教授のパラグラフを追加した。

※1:A D Foote, et al., "Genome-culture coevolution promotes rapid divergence of killer whale ecotypes." Nature Communications, 2016

※2:Andre E. Moura, et al., "Killer Whale Nuclear Genome and mtDNA Reveal Widespread Population Bottleneck during the Last Glacial Maximum." 31(5), Molecular Biology and Evolution, 2014

※3:Stephen A. Raverty, "Respiratory Microbiome of Endangered Southern Resident Killer Whales and Microbiota of Surrounding Sea Surface Microlayer in the Eastern North Pacific." Scientific Reports, 7(1), 2017

※4:Patricia A. Fair, et al., "The environment as a driver of immune and endocrine responses in dolphins (Tursiops truncatus)." PLOS ONE, 2017

※5:Elli Slaughter, et al., "Toxicity of cigarette butts, and their chemical components, to marine and freshwater fish." BMJ, 2011

※6:Paul D. Jepson, et al., "PCB pollution continues to impact populations of orcas and other dolphins in European waters." nature, 2016

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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