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この夏はプールでの「暗号」寄生虫にご用心

石田雅彦サイエンスライター、編集者
(ペイレスイメージズ/アフロ)

米国のアトランタにある公衆衛生機関、疾病管理予防センター(Centers for Disease Control and Prevention、略称:CDC)は5月18日に「プールなどで『暗号』と呼ばれる寄生虫の感染が増えている」と警告した。この「暗号」寄生虫とは「クリプトスポリジウム(cryptosporidiosis、cryptosporidium)」という種類の寄生虫で「Crypto(クリプト)」つまり暗号という別名を持つ。なぜ暗号と呼ばれているかと言えば、密かに(crypto)+まき散らす(sporo)からだ。

分類や種類分けがまだ進んでいない生物であり、種類によっては生態が解明されてもいない。例えば、論文が発表された2004年までの20年間にクリプトスポリジウムの新種が続々と発見されている、という報告がある(※1)ように、哺乳類や鳥類、爬虫類、魚類など、多種多様な宿主を持つ新種が発見されているが、その系統分類がまだ完全に整理され尽くされているわけではないようだ。

注目され始めたのは1980年代

クリプトスポリジウムは、1907年にマウスの胃の中から発見されたのが最初だ。発見当時はヒトへ感染するかどうかわからなかったが、1976年にヒトへの感染が初めて確認され、下痢を引き起こすことがわかった。その後、1982年になると米国でAIDS(後天性免疫不全症候群、エイズ)との合併症が多く見られるようになり、AIDSによる免疫力低下にともなう日和見感染症として広く知られるようになる(※2)。

近年になって、集団感染流行が現れてくるようになってきたのもクリプトスポリジウム感染症の特徴だ。もちろん、その存在が知られるようになったから原因として特定できた、という側面もある。

米国では、1984年あたりから河川や水道水を経由した集団感染が出てき始め、1993年の春には米国ミルウォーキーで水道水を介した大規模感染があった(※3)。この疫学調査によれば、2週間ほどの間で40万人を超える住人に下痢などの症状が出たそうだ。

また、1993年には米国メイン州でも、手絞りのアップルジュースによる約160人の集団感染が起きている。これはウシの糞尿が感染源だったようだ(※4)。

米国ではプールでの感染が増えている

日本でも1980年代の後半あたりからチラホラ感染報告があらわれ始め、1994年になると神奈川県平塚市で461人が、1996年には埼玉県で約8800人が発症する集団感染が発生した(※5)。寄生虫は、成虫から生み出される「オーシスト(虫の卵のようなもの)」が河川や水道水などへ流れ出て感染力を持つオーシストへ成長し、宿主へ取り込まれる。1996年の埼玉県の集団感染では、水道水から河川、浄水場、水道水、という経路で感染を広げたようだ。

冒頭の米国疾病管理予防センターのプレスリリースでは、特にプールでの感染流行がこの2年で倍増している、としている。米国では2014年に16件だったのが、2016年には少なくとも32件が報告されているからだ。

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クリプトスポリジウム原虫のライフサイクル。via.Public Health Image Library (PHIL)

クリプトスポリジウムに寄生されたウシなどの動物やヒトの糞便が水を汚染し、それを飲むことでクリプトスポリジウムに感染する。潜伏期間は3日から10日。多くの患者は9日以内に発症する。

健常な成人が感染しても、ひどい下痢、腹痛、倦怠感、軽い発熱などを引き起こす。免疫不全だったり、ほかに疾患があったりすると重篤化する可能性も高く、深刻な症状では死亡例もある。

有効な治療法はまだない。健常な免疫力を持つ患者の場合、水分と栄養補給、安静、といった対症療法で自然治癒を目指す。それ以外の患者では、特別な処方薬(nitazoxanide)で治療を施すようだ。

塩素消毒が効きにくい

クリプトスポリジウムはそう簡単に除去できないことも知られている。通常の上水道の浄水過程では完全除去は難しく、塩素耐性が強いため、プールなどの塩素消毒でも死滅しない。

その感染力は水中で数ヶ月ほど、処理された水でも10日間ほど持続するらしい。飲料水の場合、平地では1分間の煮沸が効果的であり、紫外線消毒や1ミクロン以下の逆浸透フィルターなどで濾過できる。

一方、乾燥や熱には弱いのもクリプトスポリジウムの特徴なので、プールや水道水はこの寄生虫にとってかっこうの感染ルートとなる。強い感染力、一週間以上の潜伏期間、感染ルートなどが理由で、集団流行感染を引き起こしやすい。

感染予防はほかの感染症と同じように、罹患した感染者は短くとも2週間はプールなどで泳ぐことを禁じて感染拡大を防ぐ、ということが重要だ。

また、プールの水を飲み込まないように注意すること、汚染を防ぐためにプールへ入る前によくシャワーで身体の汚れを落とすこと、乳幼児がプール内で小便や大便をたれ流さないように頻繁にトイレに連れて行くこと、などが重要だ。プールの水を定期的に抜いて乾燥させ、清掃するのも有効だろう。

プールに行くことが増えるこれからの季節、免疫力の落ちている人や高齢者、免疫力の弱い乳幼児や小児はもちろん、成人もこのクリプトスポリジウムには要注意だ。

※:ちなみに、クリプトは見えにくい窪みである「陰窩(いんか)」とも訳される。銘々由来を調べられなかったが、腸内の陰窩上皮細胞表層にクリプトスポリジウムの寄生が多いから名付けられたのかもしれない。

※1:L Xiao, et al., "Cryptosporidium Taxonomy: Recent Advances and Implications for Public Health." American Society for Microbiology, Vol.3, 2004.

※2:勝又達哉、「クリプトスポリジウム感染症」、日本内科学会雑誌、第86巻第11号、1997年

※3:W M Kenzie, et al., "A Massive Outbreak in Milwaukee of Cryptosporidium Infection Transmitted Through the Public Water Supply." New England journal of Medicine, 1994

※4:P S Millard, et al., "An outbreak of cryptosporidiosis from fresh-pressed apple cider." JAMA, 1995

※5:山本徳栄ら、「埼玉県で発生した水道水汚染によるクリプトスポリジウム症の集団発生に関する疫学調査」、日本感染症学会、Vol.74、2000年

参考:国立感染症研究所:クリプトスポリジウム症とは

サイエンスライター、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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