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顔カタチに「非対称」を生む遺伝子を考える

石田雅彦科学ジャーナリスト、編集者
photo by Masahiko Ishida

なぜ「左ヒラメに右ガレイ」なのか

いきなりですが、男性の睾丸、精巣、つまりタマキンちゃんが左右対称じゃないって知ってましたか? あ、タマキンちゃんが二つあるのは、もちろん(男性以外の方も)ご存じですよね。

日本人の場合、約8割の男性で左側のタマキンちゃんのほうが下がっています。これは、同じ高さ、位置だと互いにぶつかり合ってしまうということもあり、同時に高温に弱い精子を守るために位置をズラして温度を下げる、という理由からです。

なにしろ、陸上のトラック競技が左回りになってる理由は、左下がりの多い男性の睾丸が走っていて邪魔にならないから、という説もある。ひょっとすると、野球のベースライニングも同じ理由からかもしれません。

女性にも、バストの大きさや形が左右対称じゃなくて悩んでる人がいます。顔の輪郭もパーツも、よく見ると左右対称じゃありません。

左右非対称といえば「左ヒラメに右ガレイ」と言うように、ヒラメやカレイほど左右が対称じゃない生物もいません。どちらも平べったい魚ですが、表も裏も背も腹も対称性がない。特に目が、なんか横にズレてついてます。

実はあれ、体の上と下は本来なら体の右と左です。横倒しになって平べったくなった。なので、ヒラメやカレイの稚魚は、普通の魚のような形をしています。親のように平べったくはありません。

なんと、卵から生まれてしばらくは、普通の魚のように「直立」して泳いでいます。目も体の両側についている。

それが種類によってタイミングは違いますが、ふ化から20日から40日ほどたった幼魚の段階で、徐々に片方の目がヒラメでは左に、カレイでは右に寄り始める。その過程の途中では、片方の目が正面に位置するという珍妙な顔になる段階もあります。

やがて、あの平べったい体型になって横倒しになり、完全に両目が片側に移動すると、上面、海面の側は保護色になり、下面、海底の側は白っぽくなる。つまり、ヒラメやカレイの場合、生まれた直後は左右対称だけど、次第に平べったく左右非対称になっていく、という不思議な生態をもっているんです。

これを魚の「変態」と言います。ウナギやマンボウも変態する種類の魚で、稚魚から成魚までの間で形が変化しますが、ヒラメやカレイほど劇的に姿形を変える魚はほかにいません。

では、ヒラメやカレイ、いったいどんな仕組みで目がずれ、左右非対称になっていくんでしょうか。

生まれてから移動していくヒラメの目

この仕組みにも遺伝子が関わっています。

ヒラメやカレイに限らず、授精直後の細胞は、「卵割」といって、まず左右対称に分裂します。やがて、心臓や肝臓など、体軸の左か右に位置したり、左右で違う形になる臓器に特定の遺伝子が働き、それぞれ非対称になっていく。ただ、これは臓器についてで、外見的にはほぼ左右対称のままです。

ところが、ヒラメやカレイは外見も左右非対称になる。

脳(前脳から中脳)が極端に左右非対称なのもヒラメやカレイの特徴ですが、研究者が調べてみると(*1、東北大学大学院農学研究科の研究者らによる論文)、脳が非対称になるのは内臓などの左右振り分けが終わってからでした。そのとき、脳が変化することで目も移動し始める。

順番としては、

1.まず脳が左右非対称になる。

2.それに従って目がずれていく。

つまり「眼球移動遺伝子」が、時間差で作動するというわけです。人間の内臓などが左右で非対称になっているのも、ヒラメやカレイの目が移動していくのと同じ遺伝子によるものですが、ヒラメやカレイでは臓器のあと、止まっていた遺伝子が再び働き始めるんですね。遺伝子の中には、こうして発生から成長するまでの間、一定の時期だけ作動するものがあります。

ところで、私たちの右目の視神経は、右脳だけじゃなく左脳にもつながっています。同じように、左目の視神経も両方の脳につながっている。

つまり、左右の視神経で逆側の脳につながる回路は、その間で交差することになります。左右の視神経の交わる場所を「視交叉(視交差)」といいますが、魚にもこの視交叉があります。

当然、ヒラメやカレイにも、この視交叉がある。神経の束が交差してるんですから、どちらかが上か下(背側か腹側)になって立体的に交わります。

研究によると、この視交叉の上下の違いが、ヒラメかカレイを決めているんだそうです(*2、東北大学大学院生命科学研究科、田村宏治教授の論考)。視交叉の部分で、右の目からの視神経が上(背側)なのがヒラメ、下(腹側)がカレイということになる。どうしてこういう仕組みになっているかと言えば、片方の目を移動させ、体を「横倒し」にしなければならないので、視交叉と逆向きに回転すると視神経が「ねじれ」てしまう。それを防いでいるのでしょう。

こうした視交叉の違いは、生まれつき遺伝的に決まっていて、ヒラメとカレイの種の違いを分けていますが、より原始的なヒラメやカレイの仲間を調べた結果、両者の共通祖先は左右どちら側にもバラバラに目が移動したのだそうです。左右非対称に関係する遺伝子には、左に作用するもの、右に作用するものがある。ヒラメとカレイは、同じ遺伝子がそれぞれ逆の働きをしていると考えられるので、これはほかの動物との大きな違いです。

左右非対称には意味がある

こうして、ヒラメやカレイの目の移動に関わる遺伝子を解明することで、養殖のヒラメやカレイに生まれがちな左右逆の「左ガレイに右ヒラメ」などの変異をなくし、商品価値を安定させ、養殖業者の悩みを解決することが期待されています。

また、左右非対称に関係した遺伝子は、逆側で作用することを防ぐ役割もしているそうです。なぜなら、本来、左にあるべき心臓が右になっていたら、ほかの臓器にも影響を与えてしまいます。

ところが、ヒラメやカレイでは、そうした制限を軽々と超え、体を作り変えてしまう。海底の砂地という環境で生き延びる戦略をとり、必要に応じて形を変えるのですから、生物の姿形なんて自然界ではわりと融通無碍なものなんじゃないかと思います。

一方、私たちの脳や視交差といった神経系が、どうして左右非対称なのか、その解明はまだこれからだそうです。ヒラメやカレイの研究から、人間の右脳左脳の機能の違いまでアプローチできるかもしれない、と言う研究者もいます。もしかしたら、利き手に右利きが多い理由や言語の能力がなぜ左側の脳で優位に獲得されるのか、といった謎も、ヒラメやカレイの「眼球移動遺伝子」の研究から解明されるかもしれません。

ところで、花粉症など、アレルギー性の病気に悩まされている人は多いですね。アトピー性皮膚炎もアレルギー性の病気の一種ですが、体の左右対称の部分に湿疹ができることが多い。なぜ左右対称に出るのか、その原因はまだはっきりわかっていません。ただ、左右非対称の湿疹かどうかが、アトピーかそうでないかの診断の手がかりの一つになるそうです。

人間も含めたほとんどの動物の外見は、ほぼ左右対称です。左右対称でバランスのいいほうが、食べ物を追いかけたり逃げたり動き回りやすいんでしょう。

でも、中には左右が対称ではない動物もいます。ある種のフクロウの耳は、左右がずれてついてる。カニの仲間、シオマネキのオスは、左右どちらかのハサミが大きくなる。片目移動遺伝子をもったヒラメやカレイのように、極端に左右が非対称になって生きのびてきた生物もいます。こうした生物を眺めていると、バストの大きさが左右で違うとか顔かたちが少しくらいアンバランスでも気にならなくなりませんか。

(*1:Suzuki T, Washio Y, Aritaki M, Fujinami Y, Shimizu D, Uji S, Hashimoto H. "Metamorphic pitx2 expression in the left habenula correlated with lateralization of eye-sidedness in flounder." Development, Growth & Differentiation,51(9),(2009),797-808

(*2:田村宏治「初期発生における視交差の左右性形成に対する発生学的アプローチ」日本水産学会誌 71(6), 1004-1005(2005)

科学ジャーナリスト、編集者

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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