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グーグル元役員の野望 自動運転の技術者教育通じて世界制覇

井上久男経済ジャーナリスト
国内でも異業種からの参入が続々 DeNAの自動運転バス「ロボットシャトル」(写真:ロイター/アフロ)

「ユダシティ」と聞いてもそれが、企業名であることに気付く人は国内ではまだ少ないだろう。ユダシティは2011年、米カリフォルニア州に設立されたオンライン教育のベンチャー企業で、すでに200億円近い投資を受けている。主な事業内容は、人工知能(AI)やセンサーなど自動運転に関する教育コンテンツをオンライン上で提供することだ。

 創設者はグーグルで自動運転担当役員を務めたセバスチャン・スラン氏。氏はスタンフォード大学でAIを研究する教授だったが、グーグルに転じたことでも知られる。

登録者400万人エンジニア教育

 

 ユダシティの理念は、世界から優秀なエンジニアを集め、教育することにある。現在約200のカリキュラムがあり、初級から上級まで幅広く約400万人が登録しているという。たとえば、自動運転のカリキュラムのターム1では、「ディープニューラルネットワーク」「テンソルフロー」「トランスファーラーニング」「コンピュータービジョン」などを学ぶ。ターム2では、「センサーフュージョン」「車両位置測定」など。ターム3では、「走行経路探索」「実車評価」などが中心となる。受講に当たっては、英語で講義が進むので、TOEIC600点以上、線形代数学、物理、プログラミングの基礎知識が必要になるそうだ。認証制度も設けており、9カ月程度の受講期間が終われば修了証が発行され、米国では修了者の賃金は上がる傾向にある。受講料は2400ドル。

企業向け個別教育も

 エンジニアの育成に関して企業から要望があれば、個別に対応するケースもある。対象とするエンジニアは、ソフトウエアエンジニア、システムエンジニア、アーキテクチャー担当エンジニアでハードウエア系のエンジニアは対象外だそうだ。

 ユダシティが提供するような教育サービスのことを、「MOOCS(Massive Open Online Course)」と呼ぶ。「e-ラーニング」と違うのは、大学の水準以上のハイレベルな講義を世界中の誰もにオープンにしていることだ。米国では、このMOOCSが急速に普及しており、大学が著名・人気教授の講義を無料でオープンにしているケースもある。

自動運転のエンジニアは争奪戦

 

 なぜ、こうしたMOOCSが人気になるのか。その理由の一つは、技術革新の流れが速く、常に最新情報を学んで置かなければ、自分の知識が陳腐化してしまうからであろう。ユダシティ創設者のスラン氏は「IT産業を底上げするには教育現場から変える必要性がある」(2015年12月20日付日本経済新聞)と語っている。

 時代の変化に合わせてエンジニアをどう有効活用していくかの視点は、今後ますます重要になるだろう。その際に、不要な人材の配置転換を優先的に考えることよりも、会社が必要とする分野でいかに有能な人材を育てるか、獲得していくかといった前向きな視点の方が大切だと筆者は考える。特にAIなど自動運転関連のエンジニアは世界規模での争奪戦になっている。常に学び続ける人材を育てていかなければ企業は厳しい競争から劣後してしまうからだ。

 こうした発想は、特に日本の自動車産業が重視する局面に遭遇している。レイオフをしない日本企業は、今後、開発リソースを投入しない古い分野にも多くのエンジニアを抱えて人余りが起きている一方で、AIなど自動運転に関わる最先端の分野では人材不足になっているからだ。企業内で人材配分のミスマッチが起こっているとも言える。

 一例を挙げると、トヨタ自動車は16年1月、開発子会社のトヨタテクニカルディベロップメント(TTDC)を会社分割して、6000人の社員のうち5000人をトヨタ本体に取り込んだ。毎年1兆円を超える開発資金を投入しているトヨタでさえも先端開発に取り組む人員が足りず、トヨタ本体の技術者がより先端分野に注力できるように、量産に近い開発は新たに取り込んだTTDCに任せるためだ。

ユダシティが求められる理由

 

 大手自動車部品メーカーでも「スキルシフト」という考えが浸透し始めている。旧技術のエンジニアに新しいことを勉強させて今後強化される分野に配置転換したり、それが年齢的に無理な場合は品質管理などの部署に異動させたりする計画が動き始めている。

 先端分野でも求められる技術は日進月歩で変化する。こうした分野にいるエンジニアも常に勉強しないと時代に取り残されてしまう。そんな局面に置かれているからこそ、ユダシティが提供する教育コンテンツは有効的と言えるのではないか。

 また、筆者の推測も一部含まれるが、ユダシティには隠された「2つの野望」があると見る。まずは、技術の標準化戦略の推進だ。世界中のエンジニアがユダシティのコンテンツで自動運転を学んでいけば、それが自然とデファクトスタンダードになるであろう。ユダシティは人材サービス企業とも連携し、「修了生」の転職などの支援もしている。

 教育コンテンツ開発で協力している企業が、独ベンツと半導体の米エヌビディア、ウーバーに買収された自動運転トラックのオットーなど。スタンフォード大とグーグルの2つの組織の関係者(OBも含める)が運営に大きな影響を持つと見られる。ユダシティは「グーグル別動隊」と言っては言い過ぎだろうか。

 この他にも、パートナー企業として、フェイスブック、アマゾンに加え、BMW、独ボッシュ、韓国サムスン、中国の配車アプリ大手「滴滴出行」など世界の有力企業が参画している。残念ながら日本企業は今のところ1社も入っていない。日本企業はクライアントとしてはOKだそうだ。ただし、排除されている感も否定できず、別の見方をすれば、このままでは日本はユダシティに「カモ」にされるリスクもある。

クルマのスマホ化

 

 次に「クルマのスマートフォン化」だ。アンドロイドがスマホの基本ソフトで主流を占めたように、ユダシティ自体が自動運転用のソフトを開発することを狙っているようだ。自動運転のOSにアンドロイドのようなものが誕生すると、ハードでの製品の差別化は難しくなり、日本の自動車産業の強みが失われる可能性もある。そうなれば、自動車の産業構造は劇的に変化する。端的にいえば、スマートフォンを造ることよりもそれに付随するサービスを提供する方が利益を生むように、自動車を製造することよりも自動車産業のプラットフォーマーになる方が儲かるようになる。

 ユダシティで学んだエンジニアが世界の企業に広がれば、その野望は一気に実現化に向かうだろう。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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