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「永遠の化学物質」汚染の現場を訪ねて

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
血液中のPFASの濃度を調べるため住民の血液を採取した(筆者撮影)

自然環境中では極めて分解されにくいことから「永遠の化学物質」と呼ばれ、人の体内に入ると健康に深刻な影響を及ぼす可能性のある有機フッ素化合物の「PFAS」(ピーファス)。その汚染の実態や影響が、日本でも徐々に明らかになりつつある。汚染の深刻な大阪府摂津市を訪ねた。

「今のところ異常はないが…」

「今のところ健康診断の数値に特に異常は出ていないが、この先、どんな影響が出てくるかわからない」。摂津市で農業を営むAさん(69歳、男性)は、更地に戻した畑の前で不安な表情を浮かべた。Aさんは大手家電メーカーを退職後、自宅近くに所有するテニスコート10面ほどの広さの畑で野菜作りをしてきた。しかし昨年、畑の茄子や大根、じゃが芋などがことごとくPFASに汚染されていることを知る。それだけではなかった。不安になって血液検査をすると、自身の体も汚染されていることがわかったのだ。

摂津市は、環境省が全国各地の河川や地下水のPFASによる汚染状況を調べた「令和元年度(2019年度)PFOS及びPFOA全国存在状況把握調査」で、国内最悪レベルの汚染が確認された地域だ。PFOS(ピーフォス)とPFOA(ピーフォア)は、約4500種類あるとされるPFASの代表格で、いずれも強い毒性が確認され、日本も加盟する「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」(POPs条約)で近年、製造や使用、輸出入が禁止・制限された。

今年6月8日の参議院環境委員会では、共産党の山下芳生議員が摂津市の住民の血液から高濃度のPFOAが検出された問題を取り上げ、土壌調査と住民の健康調査を早急に実施するよう小泉進次郎環境相(当時)に迫った。

状況は一段と悪化していた

その摂津市を10月下旬、PFAS汚染の実態を調査している小泉昭夫・京都大学医学研究科名誉教授らと一緒に訪ねた。小泉教授のこの日の目的は、住民の血液検査。昨夏に行った検査では、1ミリリットルあたり最大110.44ナノグラム(1ナノグラムは10億分の1グラム)という高濃度のPFOAが検出されていた。これは、小泉教授らが以前、やはりPFAS汚染の深刻な沖縄県で非汚染地域住民の血液を調べたときの約40倍という極めて高い値だ。

だが、今回の検査結果はさらに驚くべきものだった。持ち帰った血液を京都大学で分析したところ、Aさんを含め検査に協力した住民9人のうち、1人の血液から190.7ナノグラム、もう1人から140.9ナノグラムという昨年の最大値を大幅に上回る濃度のPFOAを検出。その2人を含めて3人が100ナノグラムを上回り、80ナノグラム前後も2人いた。

大阪府が摂津市内の河川と地下水を対象に実施した独自調査でも、一段と深刻な汚染状況が明らかになっている。今年8月25日の調査では、4カ所の地下水から1リットルあたり5700~30000ナノグラム、5カ所の水路から同110~3000ナノグラムという高濃度のPFOAが検出された。30000ナノグラムは、環境省が、汚染物質を排出する事業者が守るべき目安としている「暫定指針値」の50ナノグラム(PFOSとPFOAの合算値)の600倍にあたる。しかも、4カ所中3カ所の地下水は昨年12月18日の調査時より汚染状況が大幅に悪化していたのだ。

野菜作りを断念

小泉教授らが検査した住民の血液中のPFOA濃度が高かったのは、PFOAが地下水から畑の土に移行し、さらに根から作物に移行、それを住民が食べたことが主な原因と考えられている。実際、畑の作物からも高濃度のPFOAが検出されている。

作物がPFOAに汚染されていると知ってからは、Aさんは作物を収穫しても食べずに廃棄していたという。最近、長年続けてきた野菜作りを諦める決断をした。半分を更地に戻したのはそのためだ。来年からはここで米作りを始めるという。「自分でいろいろ調べた結果、水分含有量の低い米は比較的PFOAに汚染されにくいことがわかった」とAさん。残りの半分には、やはり汚染度が比較的低い大豆を植える計画だ。だがそれで問題が解決するわけではない。

Aさんは野菜作りを諦め、畑を更地に戻した(筆者撮影)
Aさんは野菜作りを諦め、畑を更地に戻した(筆者撮影)

摂津市内の河川や地下水から検出されるPFOAの流出源は、淀川沿いに立つ、世界有数の有機フッ素化合物メーカー、ダイキン工業の工場だ。参議院環境委員会でのやりとりでも、山下議員が水質汚染の原因がダイキン工業淀川製作所であることを指摘したのに対し、環境省水・大気環境局の山本昌宏局長(当時)は、「ダイキン工業は、現在は(PFOAの)使用を全廃しており、敷地内のPFOAを含む地下水は、くみ上げで処理している。大阪府もしっかりと指導しながら対策を講じている」と、ダイキンが汚染源であることを認める内容の答弁をしている。

ダイキンはホームページで、「当社は、PFOA(パーフルオロオクタン酸)やその類縁化合物の製造・使用、およびそれらを原料とした製品の製造を2015年12月末で完全に終了しました」と発表している。

胎児への影響

問題は、製造終了から5年以上がたつというのに、いまだに汚染が消えないどころか、血液検査や水質調査のデータを見る限り、逆に悪化している感すらあることだ。小泉教授は「PFASは炭素とフッ素の結合エネルギーが非常に強く、自然界の力では分解できない」と理由を説明する。経済産業省の化学物質審議会に提出された資料によると、自然環境条件下の水生環境内でのPFOAの半減期は「92年以上」となっている。

環境汚染もさることながら、特に懸念されるのは人への影響だ。小泉教授は「PFASは体内で代謝されないため、いったん摂取すると排出されるまでに長い時間を要する」と指摘する。

北海道大学の岸玲子・特別招へい教授らが道内の妊婦や新生児を調べたところ、妊婦の血液中のPFAS濃度が高いと、子どもが低体重で生まれる傾向があることがわかった。小泉教授も、沖縄での調査などから、新生児の体重と妊婦の血液中のPFASの濃度との間に相関関係があることを突き止めている。米国での大規模な調査では、胎児への影響のほか、精巣がんや腎細胞がん、甲状腺疾患などとの関連性が確認されている。

処理を急ぐ防衛省

摂津市や沖縄県ほどではないにせよ、環境省の調査で、暫定指針値を大幅に超える濃度のPFASが検出された地域は、全国に数多くある。目立つのは、沖縄を含め、在日米軍や自衛隊の基地のある地域だ。軍事訓練などの際に使われる泡消火器にはPFOSが含まれており、それが長年にわたり、基地の外に流出していたためと考えられている。

実際、令和2年(2020年)版防衛白書には、「日本国内では、様々な河川等で高濃度のPFOS・PFOAが検出され、国民の不安が高まっていることを踏まえ、(中略)本年2月にPFOS含有泡消火薬剤等の交換・処分の加速を目的とした計画を策定し、施設等においては来年度末までに、艦船等については令和5(2023)年度末までに、処理を完了することを目指しています」と書いてある。

PFASは半導体の製造に不可欠なほか、家庭用の調理器具やプラスチック容器、口紅やアイメイクなどの化粧品、撥水加工された衣類、家具、身の回り品など幅広い工業製品に使われている。このため、汚染が広範囲に及んだり、日常生活の中で容易に体内に取り込まれたりする可能性があることも、懸念の1つだ。

米国では訴訟相次ぐ

米国ではPFASを含んだ工場廃水などによって土壌や飲料用の地下水が汚染されたとして、自治体や住民が企業を訴える裁判が次々と起こされ、企業が敗訴したり巨額の和解金を支払ったりするケースが相次いでいる。

今月中旬には、東部バーモント州ベニントンにある化学製品メーカーの工場から排出されたPFOAによって地域の地下水と土壌が汚染されたとして、住民が工場の現在の所有者であるサンゴバン・パフォーマンス・プラスチックス社を訴えた集団訴訟で、サンゴバン側が住民側に3400万ドル(約39億円)を支払うことで和解したと、原告側が発表した。AP通信などが伝えた。

和解では、PFOAの血中濃度が通常より高い住民が今後、定期的に血液などの検査を受けられるようにするため、サンゴバン側が最大で600万ドル(約6億9000万円)を支出することでも合意した。汚染源とされる施設は2002年に閉鎖されたが、2016年に周辺の地下水と土壌が汚染されていることがわかり、訴訟に発展したという。

今月15日にバイデン大統領が署名して成立した1兆ドル(約115兆円)規模のインフラ投資法には、飲料水の安全性を高めるため、100億ドル(約1兆1500億円)のPFAS対策費が盛り込まれた。PFASによる環境汚染が全米各地に広がっていることを受け、バイデン政権はPFASの汚染拡大防止・除去・規制強化に本腰を入れる構えだ。

実態調査に動かぬ国

Aさんら摂津市の住民は、国や自治体、企業の責任で土壌汚染の実態を調査し、その調査結果に基づいて責任の所在を明らかにするよう求めている。しかし、6月8日の参議院環境委員会で環境省は、「PFOAに関する土壌汚染の分析方法がまだ確立されていない」として、早期の実態調査の可能性を否定した。

この答弁に対し共産党の山下議員は、「因果関係が明らかなのに、土壌の調査方法が確立されていないからと手をこまねいていていいのか。そういうことをやってきた結果、水俣病とかアスベスト被害という不作為(による被害)が生まれたのではないですか」と語気を強めた。

Aさんの畑にはみかんの木が何本か植えられており、オレンジ色をした立派なみかんがたわわに実っていた。「おいしそうですね」と話しかけると、Aさんは「みかんも調べたら汚染されていました。いまはカラスのエサにしかなりません」と肩を落とした。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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