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米バイデン政権、発達障害との関連が疑われる農薬を使用禁止に EUなどと足並み 日本は容認

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:kurono/イメージマート)

米バイデン政権は、子どもの発達障害との関連が取りざたされている殺虫剤「クロルピリホス」の農作物への使用を禁止することを決めた。クロルピリホスは、欧州連合(EU)やカナダも相次いで禁止するなど、人の健康への深刻な影響を懸念する声が世界的に高まっている。使用を認めている日本でも今後、禁止を求める声が出てくる可能性がある。

「子どもを守ることにつながる」

米環境保護庁(EPA)は18日、「子どもと農業従事者を含む全ての国民の健康を守るため、あらゆる食品へのクロルピリホスの使用を禁止する」と発表した。これまでは、農作物ごとに設定している許容量の範囲内であれば使用を認めていたが、今後は、ごく少量でも使用を禁止する。実際の施行は半年後になる見通しだ。

有機リン系殺虫剤のクロルピリホスは、オレンジやグレープフルーツなどの果物類、ブロッコリーやカリフラワーなどの野菜類、さらには大豆やナッツ類など様々な農作物の栽培に害虫駆除剤として用いられている。しかし、EPAや食品安全の専門家らは、散布の際に吸引したり、農薬が残留した食品を摂取したりして人の体内に入ると、神経に作用し、特に子どもの神経の発達に重大な影響を与える可能性があると指摘している。他にも、母体を通じた胎児の脳の発達への影響や、低出生体重児との因果関係、発がん性などを示唆した研究結果が、報告されている。

マイケル・リーガンEPA長官は、「クロルピリホスの食品への使用禁止は、深刻な結果をもたらす可能性のあるこの農薬から、子どもや農業従事者、そしてすべての人を守ることにつながると確信している」と、使用禁止の意義を強調した。

タイやアルゼンチンも

米国だけではない。EUは昨年1月、クロルピリホスの農薬としての承認を取り消した。食品の安全性評価を担う欧州食品安全機構(EFSA)が、「ごく少量の摂取でも子どもの脳の発達に影響を及ぼす可能性がある」との報告書をまとめ、禁止を提言したのを受けたものだ。EUはさらに、市販の食品に残留するクロルピリホスの最大許容値(最大残留基準値、MRL)も大幅に引き下げ、クロルピリホスの残留した食品は輸入品も含めて事実上、流通禁止にすることを決めた。新たな流通規制は今秋、施行される。

カナダも昨年12月、保健省が使用禁止の方針を発表。流通を段階的に制限し、2023年12月11日から原則、使用禁止とする。

禁止の動きは先進国以外にも広がっている。タイは昨年6月から農作物への使用を禁止し、今年6月からはクロルピリホスが残留した農作物の輸入も禁止した。輸入規制の対象には、穀物や野菜、果物類だけでなく、肉や牛乳、卵といった畜産物も含まれる。アルゼンチンもこのほど、クロルピリホスを有効成分とする農薬の輸入、販売、使用の禁止を決めたと報じられている。

トランプ政権の政策を抜本見直し

EUなどに遅れをとった格好の米国だが、州レベルでは、ハワイやカリフォルニア、ニューヨークなどで、連邦政府より一足先に規制強化が進み始めている。

ハワイ州は、2019年から学校の100フィート(約30.5メートル)以内でのクロルピリホスの使用を禁止するなど、段階的な規制強化に乗り出しており、2023年からは州内での使用を全面禁止する。ハワイ州のイゲ知事は2018年6月、禁止法案に署名するにあたり、「ハワイ州は子どもの発育遅延や学習障害と関係があるクロルピリホスを禁止する最初の州となる」とツイッターでメッセージを発信した。

実は、EPAはオバマ政権時代にクロルピリホスの使用禁止を打ち出す計画だった。しかし、2017年、農薬業界に支持されたトランプ政権が誕生すると、一転、禁止を見送った。今年誕生したバイデン政権は環境や農業の分野に関するトランプ政権時代の政策を大幅に見直す方針を掲げており、クロルピリホスの禁止もその一環だ。

クロルピリホスは、かつてはシロアリ駆除剤として住宅の建築資材にも広く使われていたが、シックハウス症候群の原因化学物質と認定され、住宅への使用は日本を含め多くの国で禁止となった。だが、農業や、家庭菜園、ゴルフ場などでの使用は、使用法を守れば安全だとして容認されてきた。容認から禁止へと方向転換したのは、近年、農薬全般の毒性に関する研究が進み、これまで知られていなかった人の健康との因果関係が徐々に明らかになりつつあることが一因だ。

政権によっても変わる安全基準

クロルピリホスは日本でも様々な農作物の栽培に使われているが、今のところ禁止の動きは出ていない。日本では、国の安全基準に従って使っていれば問題ないとの見方が支配的なためだ。

ただ、海外で次々と使用禁止になっているのは、たとえ従来の使用法を守っても必ずしも安全とは言い切れず、使用自体に大きなリスクがあるとの考えが優勢になってきているからだ。例えば、EFSAは、禁止を提言した理由を「現在の科学的データでは、どの程度の曝露(有害物質などの危険に身体の組織がさらされること)までなら安全なのか線引きできない」と述べている。

また、米国の例が顕著に示すように、国の安全基準は政権の支持基盤にも大きく左右される。

クロルピリホスの使用禁止の動きが海外で急速に広がっているだけに、日本でも、政府の現在の安全基準が果たして本当に安全なのかといった議論が今後、出てくるかもしれない。

(カテゴリー:食の安全、環境、米社会問題)

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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