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「ドクター・バイデン」と呼んで! 女性差別の因習に挑む次期ファーストレディーが早くも話題に

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

米国の次期ファーストレディーとなるジル・バイデン氏が、早くも話題の人となっている。フルタイムの仕事を持つ初のファーストレディーとなるのに加え、呼び名も、伝統的な「ファーストレディー」ではなく、「ドクター・バイデン」(バイデン博士)が広く使われることになりそうだからだ。女性に対する社会の差別や偏見を打ち破る新たな時代のファーストレディー像として、期待と関心を集めている。

一流紙の記事が炎上

米国を代表する経済紙ウォール・ストリート・ジャーナルに11日に掲載された、ジル・バイデン氏に関する寄稿文が、掲載直後から「炎上」する騒ぎとなっている。

「マダム・ファーストレディー、ミセス・バイデン、ジル、きみへ」と、バイデン氏宛てのビジネスレターの体裁で始まるこの寄稿文は、いきなり、バイデン氏に次のように問いかけている。

「1つアドバイスがあります。小さなことかもしれませんが、私にとっては重要なことです。名前に付けている『ドクター』の肩書を外すつもりはありませんか?『ドクター・ジル・バイデン』というのは、滑稽とは言わないまでも、詐欺師のように聞こえます」(注:日本語訳はすべて筆者)

バイデン氏は、55歳の時に、デラウェア大学の大学院で教育学の博士号を取得。現在は自ら「ドクター・ジル・バイデン」と名乗り、今でも閲覧可能なオバマ前大統領時代のホワイトハウスのホームページにも、副大統領夫人を意味する「セカンドレディー」ではなく、「ドクター・ジル・バイデン」と紹介されている。同じホームページ上で、ミシェル・オバマ氏は「ファーストレディー・ミシェル・オバマ」と紹介されており、ドクターという肩書に対するバイデン氏の強いこだわりが見える。

一方、問題の寄稿をしたのは、エッセイストのジョゼフ・エプスタイン氏で、「医師でもないのにドクターという肩書を使うな」というのが趣旨だったようだ。しかし、ドクターは、医師と博士、両方の意味を持つことから、医師以外でもドクターの肩書を使う人は珍しくない。医師は、博士と区別するために「メディカルドクター」と呼ぶことも多い。

エプスタイン氏は、冒頭の問いかけに続いて、バイデン氏とはおよそ無関係な自身の身の上話を延々と語った上で、最後に、「『ドクター・ジル』と呼ばれることで味わう小さなワクワク感など忘れて、これからの4年間、『ファーストレディー・ジル・バイデン』として世界一の公営住宅に住むことで得られる大きなワクワク感に、満足しなさい」と結んでいる。

多くの著名人が支持を表明

掲載直後から、多くの主要メディアが批判的に取り上げたほか、多くの著名人もソーシャルメディアなどを通じ、次々とエプスタイン氏への批判や、バイデン氏への支持を表明した。問題とされたのは、寄稿文の内容が、sexist(性差別主義者)やmisogynist(女性嫌い)の思想を色濃く反映しているのではないかという点だ。

カマラ・ハリス次期副大統領の夫で、史上初のセカンドジェントルマンになるダグラス・エムホフ氏はツイッターに、「ドクター・バイデンは、大変な努力と強い精神力で数々の学位を取得した。彼女は、私や彼女の生徒たち、そして全米の人に刺激を与えてくれた。もし対象が男性だったら、こうした話が書かれることはなかっただろう」と投稿した。

元ファーストレディーのヒラリー・クリントン氏は、「彼女の名前はドクター・ジル・バイデンです。早く慣れなさい」と短くツイート。人権運動家マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の娘バーニス・キング氏は、「親愛なるドクター・バイデンへ。私の父は医師ではありませんでしたが、彼の業績は人類に多大な貢献をしました。あなたも父と一緒です」と、キング牧師の写真付きでツイートした。キング牧師は神学の分野で博士号を取っており、「ドクター・キング」とも呼ばれている。

エプスタイン氏が長く講師を務めていたノースウエスタン大学は、「ノースウエスタン大学は、公平、多様性、その多様性の受け入れを断固として守り、エプスタイン氏の女性差別的な見解に強く異を唱える」との声明を出すと同時に、エプスタイン氏の名前を大学のホームページから削除した。

時代遅れの役割を強要

教師としてキャリアを築いてきたバイデン氏は、現在は首都ワシントンの隣、バージニア州にあるコミュニティー・カレッジ(短期大学)で英語を教えているが、ファーストレディーとなった後もフルタイムで教職を続けると明言している。かりに実現すれば、フルタイムの仕事を持つ初のファーストレディーとなる。

ファーストレディーのスタイルや果たすべき役割は時代とともに少しずつ変わってきている。だが、女性の社会進出が進み共働きが当たり前になった今も、ホワイトハウスに入った瞬間、それまでの輝かしいキャリアを捨て、家(ホワイトハウス)に入り夫(大統領)を献身的にサポートするという時代遅れの役割を、周囲や世論から暗黙のうちに求められることが多い。

例えば、ニューヨーク・タイムズ紙によると、クリントン氏は敏腕の企業弁護士だったが、その「男勝り」のキャリアが多くの有権者の反感を買い、大統領選を戦っていた夫のビル・クリントン氏の足を引っ張りかねなかったため、選挙戦の途中から、雑誌の企画に乗る形で、クッキーを焼き、良妻賢母ぶりをアピールし始めた。ファーストレディーになってからも、一度は医療制度改革で積極的な役割を果たそうとしたが、やはり周囲や世論の反感を買い、断念した。

ハーバード大学を卒業し弁護士の資格を持つミシェル・オバマ氏も、バラク・オバマ大統領の誕生で、経営幹部として働いていた大学病院を退職。ファーストレディーになってからは、米国で深刻になっている子どもの肥満問題に取り組むキャンペーンを立ち上げ、精力的に活動したが、それまでの彼女のキャリアや関心が十分に生かされたかと言えば、疑問だ。彼女の場合は、女性であることに加えて黒人という二重の差別や偏見に直面したため、ビジネスウーマンとしての顔を出すことにより慎重だったという。

ニューヨーク・タイムズは、「ドクター・バイデンは、教職を続ける道を選ぶことで、慣例を破棄し、長年続いてきた時代錯誤的なファーストレディーの役割を変えるだろう」と報じている。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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