なぜ米国人は投票する候補者の名前を平気で口にできるのか?

トランプ氏を応援する親子(写真:ロイター/アフロ)

米大統領選を来週に控え、日本でも大統領選に関する報道が活発になっている。報道の中で印象的なのは、有権者が、誰に投票するか、あっけらかんと語る姿だ。日本ではあまり見かけない光景である。なぜ米国人は投票する候補者の名前を平気で口にできるのだろうか。

実名、顔出しで候補者を批判

英BBCテレビの日本語版サイトをのぞくと、年齢も職業もさまざまな米国の有権者が、実名、顔出しで、大統領選に関し率直な意見を述べる様子を見ることができる。

例えば、取材を受けた日がちょうど64歳の誕生日だったというナンシー・シヴァリーさんは、自宅に送られてきた投票用紙をカメラの前にかざしながら、明るくリモート取材に応じた。前回の選挙でトランプ氏に投票した理由を聞かれると、「私はずっと共和党員だし、かつ、ヒラリー(クリントン候補)のことが好きじゃなかった」と明快な返事。そして、なぜ今回はトランプ氏に投票しないのかという質問には、「パンデミック(新型コロナウイルス)の責任を取ることを拒否し、対応を誤った」と小さく首を振りながら答えた。

シヴァリーさんはまた、「私の息子たちはトランプ支持者だが、息子の1人は、私がフェイスブックに投稿した意見を見てから、口をきいてくれない」と家族の内情まで曝露した。

激戦のペンシルベニア州を取材した別の短いビデオでは、前回トランプ氏に投票したことを後悔していると述べトランプ氏の政治姿勢や政策を批判する中高年カップルと、逆にトランプ氏のお陰で仕事が増え今回もトランプ氏の再選を期待すると語る建設会社の幹部とおぼしき男性が登場し、それぞれの思いを実名、顔出しで正直に吐露した。

日本のメディアも報道

日本のメディアの報道も、実名、顔出しが目立つ。NHKは朝の番組内で、日本在住の米国人有権者を取材し、彼らがなぜトランプ、あるいはバイデン候補を支持するのか、生の声を伝えた。

テレビ朝日のニュース番組では、ニューヨーク市内で期日前投票の列に並んでいたマスク姿の女性が、「バイデン氏の票がどんどん積み上がるのを見てほしい。私は72歳になるが、人生で一番重要な選挙だと思っている」と、はっきりとした口調で答えていた。

しかし、日本のテレビ局は果たして、日本の国政選挙でも、同じように実名、顔出しで有権者の本音を紹介することをするだろうか。新聞は、実名で有権者の声を載せるだろうか。有権者は、取材を受けた時に、実名や顔出しを承諾するだろうか。そう思うのには、理由がある。

オープンな有権者

筆者は2004年と2008年の大統領選を現地で取材した経験があるが、取材の中での一番の驚きは、政治を語ることにオープンな米国人が実に多いという事実だった。もちろん、政治のことはあまり話したくないという米国人もいたが、大半は質問すると答えてくれ、多くは実名も顔出しも厭わなかった。

オープンなのはメディアに対してだけではない。2008年、激戦州の1つネバダ州のラスベガスで、民主・共和両党がそれぞれの大統領候補を選ぶために開く党員集会を取材した時のことだ。

取材した民主党の党員集会は、平日昼間、市内のカジノ付きホテルの会議室で、116人の党員が集まり開かれた。職場を抜け出してきたのかコック帽をかぶった参加者がいたり、候補者の名前入りのTシャツを着たグループもいたりして、にぎやかな雰囲気だった。

民主党の党員集会の様子(2008年、ネバダ州ラスベガス、筆者撮影)
民主党の党員集会の様子(2008年、ネバダ州ラスベガス、筆者撮影)

妙に感心

オバマ、クリントン両候補のほぼ一騎打ちとなった集会は、始まってすぐ、挙手による投票が行われた。しかし、大接戦で決着が付かず、5人の態度未定者に対する各支持者からの公開説得工作が始まった。結局、5人中4人がその場でオバマ支持を表明し、オバマ候補の勝利が確定。同候補の支持者から大歓声が上がった。

集会は終始お祭りムードで、誰が誰に投票したかも、すべてオープン。途中で意見が食い違う場面はあっても、互いを認め合い、集会が終われば、わだかまりも、後腐れもない。なるほどこれが民主主義というものかと妙に感心した記憶がある。

腐っても鯛

来月3日に投票日を迎える今回の大統領選は、「前例なき選挙戦」「史上最低の選挙戦」などとメディアから揶揄されている。現職の大苦戦、政策論争そっちのけの候補者同士の罵り合い、支持者間の武力衝突、投票妨害の黒いうわさなど、確かに今回の大統領選は異様に映る。

さらには、郵便投票用のポストが放火され、選挙に負けても負けを認めないという観測も流れているとなると、とても民主主義世界のリーダーを自任する国の選挙には見えない。

しかし、それでも、多くの市民が年齢や性別、職業に関係なく、政治について自由に堂々と意見を述べ合い、それを当然のこととして受け止めている米社会を見ていると、米国はまだまだ「腐っても鯛」と思えるのである。