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南ア初の黒人女性醸造家、日本でアフリカワインをアピール

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
「日本・アフリカ ビジネスEXPO」でワインのPRをするビエラさん(筆者撮影)

 日本とアフリカのビジネス交流が活発になる中、南アフリカ初の黒人女性醸造家が来日し、自身の手掛けたワインを売り込んでいる。日本ではあまり知られていないが、南アは世界有数のワイン産地で、国際的な評価もうなぎ上り。だが、他の多くの業界と同様、ワインの世界も依然、旧支配層の白人中心で、黒人、ましてや女性が活躍するのは容易ではない。彼女はどうやって人種、ジェンダー(社会的性差)の厚い壁を突き破ったのか。

奨学金得て大学へ

 「こんにちは」。指定された横浜市内のカフェに行くと、一足先に着いていたヌツィキ・ビエラさんが人懐こい笑顔を浮かべながら、覚えたての日本語で出迎えてくれた。

 ビエラさんは、アパルトヘイト(人種隔離)体制下の1978年、最大都市ヨハネスブルクから南に約500kmのところにある貧しい村に生まれた。母親が仕事で不在だったため、同居の祖母に、他のきょうだいやいとこと一緒に育てられた。ビエラさんのワインブランド「ASLINA(アスリナ)」は、祖母の名前から取ったものだ。

 「小さいころから読書が大好きだった」と話すビエラさん。黒人女性が自立して生きていくためには専門知識が必要だと感じ、高校卒業後、メイドとして働きながら大学に行くための奨学金を探した。応募した中から、南アフリカ航空の奨学金プログラムに合格。ワインの醸造を学ぶことが条件だったため、醸造学で有名なステレンボッシュ大学に入学した。これがワインとの出合いだった。1999年のことだ。

 アパルトヘイト政策は1994年まで続いたが、黒人ばかりの村で生まれ育ったビエラさんは、日常生活で差別を実感することはほとんどなかったという。ところが、白人の多い都市部に移り住むと、アパルトヘイト撤廃後も変わらない厳しい差別や偏見の現実に嫌でも直面することになる。

人の倍努力しハンディを克服

 例えば、授業はすべて、ビエラさんの村で使われていたズールー語ではなく、白人の言葉であるアフリカーンス語だった。言葉をまったく理解できなかったビエラさんは、授業が終わると、ズールー語のできる先生に内容をもう一度教えてもらうと同時に、アフリカーンス語も学ばなければならなかった。また、周りの白人から奇異の目で見られることも多く、気持ちがなかなか安らがなかった。

 そうしたハンディや偏見に打ち勝つため、ビエラさんは文字通り人の倍勉強。そして、卒業後、ステレンボッシュ地区にある高品質のワインを生産するワイナリーに、南ア初の黒人女性醸造家として就職した。しかし、そこでも黒人女性の悲哀を味わった。「ワイナリーに来たお客さんが醸造家を呼んできてくれと言うので、私ですと答えても、信じてもらえなかった。すごく寂しい思いをした」と振り返る。

 それでも持ち前の探求心と努力で、ぐんぐん醸造家としての腕を上げた。2006年には、初めて手掛けたワインが国内の品評会で最高賞を受賞。その3年後には、国内誌が選ぶ「ウーマン・ワインメーカー・オブ・ザ・イヤー」(年間最優秀女性醸造家)に輝いた。その後、同じワイナリーで働き続けながらアスリナのブランドを立ち上げ、2016年に独立。現在は契約農家からブドウを買い付け、知り合いの醸造施設を間借りしてワイン造りをしている。

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 名前と実力が業界内で知れ渡るようになると、ビエラさんを見る周囲の目も変わっていった。今は、黒人だから女性だからと言ってビジネスで不利な扱いを受けることは全くないという。「逆に向こうから寄ってきます。まあ、ビジネスですから」と笑い飛ばす。

 実際、ある投資家からアスリナに投資したいという話を持ち掛けられたこともあったという。自前の醸造施設が建てられるほどの投資額だったが、即座に断った。経営権を握られると自分のやりたいようにできなくなると思ったからだ。独立前に13年いたワイナリーは小規模だったため、醸造以外の様々な仕事も任された。それが幸いし、「経営の視点が身に付いた」。最近は醸造家としてではなく、黒人女性起業家としてシンポジウムなどに呼ばれる機会も増えている。

 ワイン造り以外に力を入れているのが後輩の育成だ。その一つが、2012年に英国の財団によって設立されたワインの専門教育機関「PYDA」での理事としての仕事。PYDAは、経済的に恵まれない黒人の若者の自立支援を目的としており、すでに多くの卒業生がソムリエや醸造家などとして南アの国内外で活躍しているという。

人への優しさを感じるワイン

 そんなビエラさんの造るワインは、洗練された味わいと人への優しさを感じるワインだ。例えば、カベルネ・ソーヴィニヨン種から造られる赤ワインは、果実味と酸味、タンニン(渋み)のバランスが抜群で完成度の高さを感じると同時に、口当たりや余韻がなめらかで、飲む人を選ばない飲みやすさがある。

 「人が自分のワインを口にした時、おいしそうな表情やしぐさをするのを見るのが、ワイン造りをしていて一番うれしい瞬間です。感想を尋ねるとみんな良いことしか言いませんが、体の反応は正直ですから。そして、私もその輪に加わり一緒にワインを飲むのが、一番楽しいひと時」とビエラさんはうれしそうに話す。

 日本滞在中は、レストランなどでワイン会を開き、アスリナをPR。第7回アフリカ開発会議(TICAD7)の開催に合わせて8月30日まで横浜市で開かれていた「日本・アフリカ ビジネスEXPO」では、南アのブースに入り、来場者に自らワインをふるまった。

 最後に今後の目標を聞くと、「できるだけ早く自前の醸造所を持ちたい。そして、スパークリングワインやオレンジワインなどいろいろなワインに挑戦したい」と目を輝かせながら語った。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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