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不法移民問題の不都合な真実

猪瀬聖ジャーナリスト/翻訳家
2006年に米国で起きた大規模デモ。当時は不法移民問題に国が揺れた(筆者撮影)

 米国のトランプ大統領が、米国内に許可なく滞在する不法移民に対し再び強硬姿勢を取り始めている。不法移民の大規模な一斉摘発に踏み切ったほか、メキシコとの国境に壁を建設する意欲も改めて表明。しかし、現実には、不法移民の数は減少し続けており、かつ米国民の4人に3人は不法移民を許容している。にもかかわらず、トランプ大統領が不法移民をことさら問題視するのはなぜか。トランプ大統領が煽(あお)る不法移民問題の「不都合な真実」を報告する。

市長は協力を拒否

 トランプ大統領は12日、ホワイトハウスの記者団に対し、14日の日曜日から不法移民の一斉摘発を実施すると述べた。報道によると、ニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスなど全米の主要10都市で、移民税関捜査局(ICE)が、過去に退去命令を受けたにもかかわらず退去していない数千人の不法移民を検挙し、強制的に国外退去させる計画だ。

 一斉摘発の理由として、トランプ大統領は不法移民による治安の悪化を挙げるが、米メディアの報道によると、摘発の対象となる不法移民のほとんどは、不法滞在以外は不法行為を働いておらず、ふつうに働き税金を納めている善良な市民だ。また、実際に国外退去となれば、米国内で生まれ米国籍を持つ子どもが親と離れ離れになる事態も想定され、人道に反するとして批判が相次いでいる。

 シカゴのライトフット市長は「シカゴ市警はICEの一斉摘発には一切協力しないし、市警のデータベースをICEに使わせることも未来永劫ない」と記者会見で断言。アトランタのボトムズ市長は、アトランタ市警のICEへの協力を否定した上で、一斉摘発を「非人道的」と切り捨て、トランプ大統領を厳しく批判した。

 トランプ大統領の不法移民に対する強硬姿勢は、それだけではない。約1カ月前の6月18日、訪問先のフロリダ州で来年の大統領選への出馬を表明したトランプ大統領は、出馬表明演説の中で、メキシコとの国境に「壁を建設する」と強調した。壁の建設は1期目の公約に掲げたものの、高額な建設費用に難色を示す議会の反対などで、実現していない。

 不法移民に対するトランプ大統領の強硬姿勢は、今に始まったことではない。2015年6月に大統領選への出馬を表明した際の演説でも、不法移民に言及し、「メキシコからの移民は犯罪者、麻薬の売人、レイプ犯」と発言。選挙中も、「不法移民のせいで治安が悪化している」、「不法移民が米国人から雇用を奪っている」といった趣旨の発言を繰り返し、不法移民の摘発を強化する姿勢を鮮明にしていた。

不法移民は減少

 不法滞在移民の問題は、トランプ大統領が大統領選の争点としたことから、ごく最近の問題との印象もあるが、実は決して新しい問題ではない。それどころか、現実には、すでに「過去の問題」といった感すらある。

 米国で不法移民問題が政治的にも社会的にも大きな問題となったのは、今から十数年前の2000年代半ば。筆者はちょうどそのころ、日本の大手新聞社のロサンゼルス駐在記者として、現地で不法移民問題を取材していた。

 当時は実際にメキシコなど中南米からの不法移民が急増し、深刻なトラブルを引き起こしていた。例えば、医療保険に加入できない不法移民は通常の医療サービスを受けられないため、ちょっとした病気やケガでも救急医療センターに駆け込んだ。その結果、不法移民の特に多いロサンゼルスでは、各地の救急医療センターがパンク状態になり、閉鎖が相次いだ。

 議会では不法移民の扱いをめぐって激論が交わされ、2006年5月1日には、不法移民の摘発強化に反対する中南米からの移民らが中心となり、全米の主要都市で合わせて100万人規模のデモ行進が一斉に行われた。

 しかし、その後、不法移民問題は自然と鎮静化し、国を揺るがすような大きな政治・社会問題になることはなかった。

 理由はまず、不法移民の減少だ。調査機関ピュー・リサーチ・センターの推計では、不法滞在移民の数は2007年まで毎年、顕著に増えていたが、同年の1220万人をピークに減少に転じ、トランプ政権1年目の2017年時点では1050万人まで減っている。リーマン・ショックによる米景気の後退で、雇用が減ったことなどが原因だ。

 また、不法移民の存在が身近になるのに伴い、米国民の抱く偏見や差別意識、拒否反応が薄れてきたことも大きい。ピュー・リサーチ・センターが前回の大統領選期間中の2016年8月に行った世論調査では、トランプ氏が不法移民を凶悪犯呼ばわりしていたにもかかわらず、有権者の76%が、「不法移民は米市民と同じくらい正直者で勤勉」と回答。また71%が、「不法移民は米国人が嫌う仕事を代わりにしてくれている」と感謝の意すら示している。

 実際、ある調査によれば、米国の農業従事者の約半分、建築関係で働く人の約15%、レストランなどサービス業で働く人の9%は、不法移民だ。いずれも低賃金重労働の目立つ職場で、米国人には人気がない。米国の経済や市民生活は、不法移民なしには成り立たないのが現実だ。

目的は支持者へのアピール

 では、なぜトランプ大統領は今さら不法移民を締め出そうとしているのか。答えは簡単だ。来年の大統領選をにらんだ支持者向けのアピールである。

 トランプ大統領を熱心に支持する白人保守層の多くは、「アメリカは白人国家」といまだに心の中で思っている。彼らにとって、有色人種である中南米からの移民が身の回りに増えることは、我慢ならないことだ。

 そうした白人保守層に「中南米からの不法移民は一人残らず追い出す」と訴えれば、支持率の上昇は確実。実際、トランプ大統領はそう言って前回の選挙に勝利。再選を狙う来年の大統領選でも、二匹目のドジョウを狙っているのは疑う余地がない。

 今回の不法移民の一斉摘発が支持者向けのパフォーマンスであることは、中身を見ても明らかだ。約1000万人いる不法移民のうち、退去命令を受けているのは1割にあたる約100万人と言われている。ICEが今回の一斉摘発で検挙するのはせいぜい数千人程度とみられており、退去命令を受けた総数の1%にも満たない。国境の壁の建設にしても、現実には、見通しは立っていない。

 つまるところ、トランプ大統領が盛んに吹聴する不法移民問題とは、自身が選挙に勝つためにでっち上げた「フェイク(偽)ニュース」と言っても過言ではない。不法移民によって治安が悪化しているとか、不法移民が米国民の雇用を奪っているといった事実は、初めからないのである。これが、不法移民問題の不都合な真実なのだ。

ジャーナリスト/翻訳家

米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、環境問題、マイノリティー、米国の社会問題、働き方を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。

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