市場と政府のデジタル化、そして改めて文化のデジタル化について

DMC Review, Vol.3, No.1, Keio University

 研究者業界、特に年度末はいろいろ刊行物が集まりますので、少しずつ紹介できたらと思います。『慶應義塾大学DMC紀要』第3号に、昨年11月に出させて頂いた慶應デジタルメディア・コンテンツ統合研究センターでのシンポジウム「多面的アーカイヴから広がる新しいミュージアム世界」での講演録「オープンなデジタルアーカイブに向けた日米欧の法政策」+パネルディスカッションの記録を掲載して頂きました。関係のみなさま本当にありがとうございました。

『慶應義塾大学DMC紀要』第3号を刊行しました|トピックス|慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究センター

 内容は各所でもお話させて頂いている所謂「日本版ヨーロピアナ」論が中心ですが、講演録ということもあって随所「ぶっちゃけ」感が残っており、読み物としても少し楽しいのではないかと思います。これでも校正時に相当程度「丸く」致しました。当日5-60名の会場、講演中で言及している某国家組織のトップの方がお忍び(?)でいらしていて、内容変えるべきかどうしたものかと青くなったという意味でも楽しいシンポでございました。

 講演の最初の方でも触れていますが、このDMCセンターは、2005年から2009年までお世話になったDMC機構の後継組織です。DMC機構在籍当時は僕自身はIT・コンテンツ産業というきわめて「市場」的なプロジェクトのお手伝いをしていたところ(東大での博士論文もそれに基づいて書きました)、今またこうしてミュージアム・デジタルアーカイブというDMCの「文化」的な側面の取り組みからお呼びいただけたのは、本当に貴重な機会でした。その研究対象の変遷というよりもしかるべき越境経路こそが今の研究であり、この中でも強調させて頂いているところです。

 DMC機構在籍当時お世話になった方々とは今でもさまざまご縁が続いており、全然お役に立てていないながら「監事」をやらせて頂いているNPO法人デジタルヘリテージデザインはDMC機構のスピンアウト的組織ですし、内閣官房の知財本部でお手伝いさせて頂いてる「デジタルアーカイブの連携に関する実務者協議会」でも、主に通路側(謎)の方々にDMC機構のプロジェクトでお世話になった方々が多くいらっしゃっております。そのほかにもいろいろいろいろいろ+いろいろ。

 2005年ってもう10年以上前、若手若手言っているうちに随分歳もとったなあと思いますが、当時やはり市場のデジタル化が、そして政府のデジタル化が進んでいき、そして改めて10年後の今、「文化」の領域のデジタル化・オープン化というところに、さまざまな意味で社会全体の関心が本格的に集まってきているのだと思います。市場や政府のデジタル化も、文化のデジタル化も、すべて本コラムのテーマである「情報政策」の重要な対象領域なんです。思えば遠くに来たつもりが、なんだか戻ってきてしまった気分の今日このごろです。

 あと。たぶんそこまで読まれる方は少ないかもしれないので、こちらの紀要、みなさまの講演部はもちろん、20p以降のパネルディスカッションの部分もかなり面白いです。その中で27p以降の僕の発言部分、講演の背景説明的な意味もあるのでちょっと転載致します。正直やはり、これまでの僕自身のヨーロピアナ的なものの理解や説明の仕方は、少なからず「L視点」であったという自覚があります。しかし最近特に美術館や博物館、文書館はじめ多分野のプロジェクトや会合に参加させて頂く機会が増える中で、だんだんとその相対性というものにも勉強が深まりつつあります。デジタル時代のM・L・Aやそれにとどまらない多元的な文化的制度の専門性・固有性、そしてその中での少しずつの連携や学際のあり方というのを、よくよくよくよく考えて参りたいです。それを考えることこそが、日本版ヨーロピアナ的なるものを考えることに他ならないという認識です。

生貝:いまのご質問に直接の答えになるかは分かりませんが、デジタルミュージアムは何を残していくべきかということをお答えするに当たって、自分のエクスキューズを含めて一回すこし引いてお話ししたいのですが、今日、僕だけが「デジタルアーカイブ」という言葉をテーマにしてお話しさせていただいた気がします。今日はプロの方が比較的多いようなので、釈迦に説法という部分はあると思いますが、僕の最初の話は、誤解を恐れずに言えば、主にデジタル時代のM・L・A といったときのL、つまりライブラリーの思想という側面が強くあります。いま、安藤先生がおっしゃった、情報として扱うというのはそういうことで、ライブラリーの思想というのは、僕は図書館に入ってまだ日が浅いので勝手に定義していますが、要するに、全ての情報を整理し、アクセスしやすいようにして、見つけたいものが見つかるようにすることです。

 そこでは資料の優先順位というか、基本的に情報の上下関係はつけません。等しきものは等しく扱う。資料は資料として取り扱う。そして、言ってみれば世界中の全ての情報を整理したいという欲望をどこかに持っている。それはグーグルが公言している思想だったような気がしますけれど、いや、グーグルの思想はライブラリーの思想に近しいんですよというのは、僕たち少なからず感じているところだと思います。そういう立場からすると、正直なところ、本は、おそらくテキストファイル化された情報が一番使いやすくて、物としての本というのは他の文化施設とは比較的違った位置付けというか、デジタル化されればされるほどいいじゃないかという発想になる。簡単に現代のアレキサンドリア図書館が作れる。それに対して先生方のお話は、根底にあるのはミュージアムの思想で、ミュージアムの思想と言うと帝国主義などの文脈もありそうですのでキュレーションの思想と言ってもよいと思いますが、いかにそれを順序付け、コンテクストを与えて、魅力的な形で価値を伝えていくかという、まさに見せ方の美学だと思います。

 しかし、最初の松田先生のプレゼンにあったように、それがユニバーシティとなってくると、インスティテュートの活動記録をしっかり残していくという意味での、文書館=アーカイブズの思想も入ってくるところがあり、デジタル時代のM・L・A 連携を考える上で、多面的アーカイブの構想の仕方はすごく重要だなと思いました。

 そう考えると、今日は僕一人だけ異質な者が混ざっているようですが、デジタル時代のライブラリーの思想というのはおそらくある意味でグーグルの思想そのものであって、それを完全に米国企業任せにしないために国家がどうするかというのがヨーロピアナであり、さて今後日本でどうするかということをずっと考えてきたとき、今日はそういう文脈の中での、隣人としてのデジタルミュージアムの思想、キュレーションの思想はどうあるべきかということのヒントを頂くことができ、非常に勉強になりました。

 特にライブラリーの思想としてのアーカイブからすると、たくさんの情報を利用できるようにするのはいいけれども、そこからどうやって価値を出していくのかというのは、デジタル時代において世界中で激しく模索中です。いろいろな例を挙げることはできますが、シンプルには、国立国会図書館デジタルコレクションのデータを整形して、Kindle で100 円で売るようなサービスは明らかにアーカイブから価値を生み出しています。しかし整然と、ある意味で無味乾燥に並べられた情報からクリエイティブな価値を生み出してくれるのは、今日お話にあったような、デジタル・キュレーションの思想そのものなような気がしています。ヨーロピアナもまさにキュレーション基盤としての役割を重視しており、利用者が自由にキュレーションをすることもできますし、また専門的な学芸員の方が、ヨーロピアナに集約されるデータを利用したデジタル・エキシビションを作る取り組みにも非常に力を入れています。ライブラリーの思想を基盤としたデジタルアーカイブから、キュレーターが価値を生み出してくれるのではないかという期待を、僕自身すごく強く持っています。

 逆に言うと、僕たちの側からすると、いえ僕が図書館の代表だみたいなことを言うと、ここにいる図書館関係者の方が居ても立ってもいられなくなると思うので、もちろんまったくもってそうではありませんが、M 側の人たちは、L 的な、あるいはグーグル的なデジタルアーカイブのあり方に対して何を期待されるか、どこかのタイミングでお聞きできたらと思っていました。

 要するに、僕たちは、そこから利用者に価値を生み出してもらうための基盤として、知識を整理して提供することを中核的な関心として持っているけれども、それは、価値を生み出してくれる人たちにとって使いやすいように作られていかなければならないと思います。だからグーグル的、ライブラリー的なものが、デジタル時代に一体どのような役割を果たすと、ミュージアムの皆さんの役に立つのかを聞いてみたい。質問に質問で返してしまう部分があり恐縮ですが、よろしくお願い致します。

出典:DMC Review Vol.3, No.1, pp.27-28.