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元大関・豪栄道の武隈親方インタビュー “断髪式待ち”から解放されたいまの心境

飯塚さきスポーツライター
写真:日刊スポーツ/アフロ

1月29日。元大関・豪栄道の武隈親方が、東京・両国国技館で断髪式を行い、約15年間の土俵人生に別れを告げた。さっぱりとしたオールバックの髪型が似合う武隈親方。2020年1月に引退してから2年、新型コロナウイルスの感染拡大が収まらないなか、約400名の関係者がはさみを入れた。2度の延期を経て開催された断髪式と、それまでの心境について振り返っていただく。

コロナ禍での異例の断髪式

――まずは、断髪式お疲れ様でした。昨年の九州場所でお会いしたときは、髷に対して思い入れはないとおっしゃっていました。

「そうですね。早く切ってすっきりしたいと思っていました。通常のように、引退して半年後くらいの断髪式だったら、名残惜しい気持ちになったかもしれません。でも、もう2年も経って、部屋を興すことも決まっていたので、どちらかといえば部屋や弟子の育成にベクトルが向いていました」

――断髪式当日を振り返ってみて、あらためていかがですか。

「コロナの感染が拡大するなか、10代からお世話になっている方や、遠方にお住いの方まで多くの人が来てくれました。大相撲の世界に入って、贔屓にしてくれる方がたくさんいたので、そういう方々が来てくれたことに、すごく感謝しています。もちろん、感染の影響で来られない方も大勢いましたが、多くの方が足を運んでくれて、はさみも入れてもらいましたから、本当にありがたいです。無事に終われたことが何よりですし、そこは本当に周りの皆さんに感謝ですね」

――お世話になった方にはさみを入れてもらって、いかがでしたか。

「実は今回、感染症対策で、自分に声をかけられなかったので、誰が切ってくれているかわからなかったんですよ。それだけが、いま思い返しても寂しかったなあと。いちいち後ろを振り返るわけにもいかないし、そこは、ちょっと心残りがあります。手鏡でも持っていれば、誰が切っているのか見られたのになあ(笑)」

埼玉栄高校からの同級生で同部屋の妙義龍関にもはさみを入れてもらった(写真:筆者撮影)
埼玉栄高校からの同級生で同部屋の妙義龍関にもはさみを入れてもらった(写真:筆者撮影)

パンデミックの転機は、結婚と子どもの誕生

――髷を落としたいま、その重みをどう受け止めていますか。

「街を歩けば誰もがお相撲さんだってわかるから、髷は力士としての重みがあるのかなと思います。力士の象徴なので、そういういろんな意味が含まれて“髷は重かった”と解釈しています」

――断髪式までの2年間は、どんな心境で過ごされていましたか。

「モヤモヤした気持ちも含め、いろいろありました。引退直後にパンデミックになり、現役時代にお世話になった人への引退報告やあいさつに、なかなか行けませんでした。それができなかったのは精神的にしんどかったですね。自分はもともと、外に出るほうだったので、外出禁止も退屈でした。そういうなかで、結婚して子どもが生まれるという転機はありました(※2020年11月に第1子誕生)」

――おかみさんデビューされた奥様は、どんなご様子ですか。

「うちの奥さんはのんびりしていて、あまりプレッシャーを感じるタイプではないので、そのへんは逆にいいかなと思っています。実は、断髪式が実質おかみさんデビューなんですよ。普通だったら、千秋楽パーティーの手伝いとかで、相撲界のしきたりを徐々に学んでいくと思うんですけど、コロナで催し物が何もなく、最初がいきなり断髪式だったから、何のことかわからなかったと思います。そこは大変だったでしょうし、頑張ってくれましたね」

ほかの親方衆と励まし合う日々

――現在もなお、断髪式を待つ親方衆がたくさんいらっしゃいます。

「特に、僕の翌日に断髪式をやった栃煌山(清見潟親方)と、一週間後の嘉風(中村親方)とは、断髪式の開催時期が一緒だったので、3人でLINEまで交換して、よく話し合いをしたんですよ。1年ぐらい前から、“できたらいいよな”、“人数ちゃんと入れるかな”って。もう毎日のように新規感染者数の発表を見て、“わっ、これいけるんちゃう”、“ワクチンパッケージできるね”、“これ、もしかして4人マスいけるんちゃうか”なんて言い合って、日々の感染状況や政府の対応にすごく敏感になっていましたね」

――断髪式までの2年間を、少しでも穏やかに過ごせる方法はありましたか。

「ないですね(笑)。断髪式って、自分にとっての一世一代の大興行じゃないですか。いろんな苦労や準備がどうしてもついてくるものなんで、自分だけのほほんとしてられないなって、思いました。そもそもちゃんと開催できるのか?という問題が大前提にあって、なかなか収容人数も決まらなかったので。でも、これからは、感染者数もピークアウトして、そのなかでできたら本当にいいですよね…うーん。あんまり、人のことを言うのはよくないね。皆さん、大変だと思うから」

――これから断髪式を控えている親方衆に、何かメッセージはありますか。

「自分がたまたまできたからといって、“対岸の火事やと思いやがって”と思われたら嫌だから何もありません。こんなこと言うと偽善者みたいだけど、ただただ皆さんの成功を、心から祈ってます」

――今後への思いを聞かせてください。

「部屋を興した以上、いまは楽しみも、責任感もあります。これからは、力士を強くすることが仕事であり、それがお世話になった方や相撲協会に対する恩返しになると思っています。相撲界に入っていなかったら、いま何をしていたかわからないので、相撲に感謝の念があります」

(写真:筆者撮影)
(写真:筆者撮影)

プロフィール

武隈豪太郎(たけくま・ごうたろう)

1986年4月6日生まれ、大阪府寝屋川市出身。元大関・豪栄道。本名は澤井豪太郎。名門・埼玉栄高校を経て、2005年に境川部屋に入門し、1月場所で初土俵を踏む。翌年11月場所で新十両昇進を果たすと、さらに07年9月場所には新入幕。14年、3月場所と7月場所で12勝3敗の好成績を残し、9月場所で大関に昇進。2年後の16年9月場所では、自身初となる15戦全勝優勝を果たした。20年1月場所で惜しまれながら引退し、年寄「武隈」を襲名。今年2月1日付で境川部屋から独立し、武隈部屋を興した。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています】

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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