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鶴竜は偉大な横綱だった──力士たちの人生に影響を与えた人格者としての一面

飯塚さきスポーツライター
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

大相撲春場所を初日から休場していた横綱・鶴竜が、十一日目に引退を表明。場所前は現役続行に意欲を示していただけに、ニュース速報のテロップには正直驚きを隠せなかったが、昨日行われた会見で「体が悲鳴を上げて、もう無理なのかなという、気持ちのほうが切れて、中途半端な気持ちで土俵に上がるわけにはいかないと思い、引退という決断をした」と、その胸中を語った。

語ったのは、角界への感謝の気持ち

師匠である陸奥親方(元大関・霧島)と共に臨んだリモート会見で、鶴竜は「何かから解放された気持ち」と口にした。その言葉通り、いつも柔和な顔がますます柔らかくなっているようにも見える。

16歳のとき、大相撲の世界にあこがれて、自身の経歴や大相撲への情熱を綴った手紙を日本に送ったことが、入門のきっかけになった。「もし拾ってくれたら一生懸命頑張りますからと書いたんで、その言葉を守ることができたんじゃないかなと思います」と、自身の土俵人生を振り返る。

「人間としても男としてもお相撲さんとしても、本当に成長させてもらったなと思います。感謝の気持ちでいっぱいです」

付け人務めた阿炎の人生にも影響

一年半ほど前、過去に鶴竜の付け人を務めたことがある阿炎に、当時の話を聞いたことがある。現在、幕下からの再起に向けて、心機一転強い相撲を見せている阿炎。入門からはとんとん拍子で関取に上がった阿炎だったが、一時期幕下に陥落し、1年8ヵ月もの長い間、低迷期があった。陥落から1年、2016年の九州場所から、鶴竜の付け人を務めることになった。

「(横綱は)あまり多くを語らない人なので、一緒にいて見て学ぼうとしていました。人格者である鶴竜関を見て、自分もこんな風になりたい、頑張りたいと思うようになったら、自然に番付もまた上がっていった。そこからなんとか這い上がれたんです」

当時、まだ天真爛漫でやんちゃ坊主だった阿炎だが、横綱について語るときは、どこか遠くを見つめ、真剣な表情を見せていた。

「横綱は本当に、人に優しく自分に厳しい、尊敬できる人。鶴竜関が人に怒ったところを、僕は一度も見たことないです。横綱のおかげで、力士としても人としても成長できたと思います」

幕下陥落後、勝ち越しと負け越しを繰り返してくすぶっていた阿炎だったが、横綱の付け人を務めるようになった途端、4場所連続の勝ち越し。そのうち一度は幕下全勝優勝まで果たして、十両の土俵に復帰したのだった。

現在もまた、復帰の一途をたどっている阿炎。心から尊敬する横綱の引退に動揺を隠せないようだが、恩返しの意味でも、これから結果を残していくしかないだろう。

人格者である横綱 親方としての期待も大

横綱自身は、人間的にも大相撲に成長させてもらったと、感謝の気持ちを述べた。一方で、横綱・鶴竜に育ててもらい、人生に影響を与えてもらった力士たちが、いったいどれだけいるだろうか。横綱自身が抱く感謝の気持ちに負けないくらい、大きな大きな感謝の気持ちで、すべての力士たちが労いの言葉をかけたいに違いない。この人望の厚さ。彼がどれだけ偉大な横綱であったか、ここに書くまでもないだろう。

力士としては相撲巧者であり、人間としては優しく懐の深い横綱・鶴竜。「角界の看板を背負う力士を育てていきたい」とも語った。その言葉通り、今後数多くの素晴らしい力士たちを育ててくれるはずだ。まだまだ寂しい気持ちを拭い切るには時間がかかりそうだが、鶴竜親方の、指導者としての第二の人生を、心からの労いの気持ちと共に応援していきたい。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

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