Yahoo!ニュース

賛否両論巻き起こる上位陣の休場 いま考える力士たちの在り方とは

飯塚さきスポーツライター
写真:日刊スポーツ/アフロ

鶴竜・白鵬両横綱の3場所連続休場に加え、初日で右肩を痛めた大関・朝乃山が三日目から、三日目に左足首を痛めた新大関の正代が四日目から相次いで休場した。一番上の番付から4人が不在なのだから、観戦を楽しみにしていたお客さんはさぞかし肩を落としているに違いない。

また、休場しても番付が落ちるわけではないこの4人に対し、厳しい見方をする人も多い。横綱・大関の休場に関しては、ファンの間でもさまざまな意見が飛び交っている。今回は、上位陣の休場について、筆者の私見を綴ってみたい。この意見が正しい・間違っているということではなく、本稿を皆さんの議論の場にしていただけたら幸いである。

強行出場の結果としての白星への称賛

「土俵のケガは土俵で治せ」の言葉に象徴されるように、ケガを押してでも土俵に上がり続け、文字通り身を削って去っていく力士は、これまでも多く存在してきた。満身創痍の体で戦いに挑み、最後まで諦めなかった結果、勝利をもぎ取る力士たちの姿を見ると、見ているこちらはどうしても心動かされてしまう。「痛みに耐えてよく頑張った」「感動した」――。その勝利は歴史に残り、美談として語り継がれるものになる。

もちろん、それはそれでいい。勝負師たるもの、目の前の一番、目の前の場所を、何が起ころうと全力で取り切ることが使命と思い、それを放棄したら未来の自分が後悔の念に駆られると感じれば、なんとしてでも出場するだろう。それが、彼にとって納得のできる最善の判断であれば、私は止めたくはない。先述のように、実際それで多くの歴史的な瞬間が生み出されてきたことも、また事実なのである。

目の前の白星か 長い力士生命か

しかし、重きを置いているのが「力士生命」である場合はどうだろう。強行出場を望む力士を止める親方たちは、いま目の前の1勝を追い求めることで、弟子の力士としての寿命を縮めることはしてやりたくない、それよりもできるだけ長く取ってほしいと願うからこそ、ストップをかけるのではないだろうか。

そしてそれは、自身でそう考える力士がいても、まったく不思議ではないと思うのだ。いまこの瞬間、万全でない状態で、弱い姿をお客さんに見せるのは失礼なのではないか。それであれば、いまは休んでしっかりとケガを治し、万全の状態で強い自分の姿を見に来てほしい。その判断で場所を休むのであれば、それもまたプロとしての素晴らしい姿勢であるように思う。

個々の価値観を尊重したい

結論としては、力士たち個々の考え方や価値観を尊重してあげたいということである。ケガが悪化しようが、無理して取ることで引退に追い込まれようが、それでも構わないから、いまこの瞬間土俵に立ちたいと、周囲に止められても強く願う力士にはそうさせてあげたいし、無理せず休んでケガと向き合うことで、1日でも長く力士として土俵に立ち続けたいと思う力士にもそうさせてあげたい。そこに、本人の意思を無視して「横綱大関たるもの簡単に休むべきではない」「弱い横綱大関なんか見たくないからさっさと休め」などと、私は通り一遍に言いたくないのだ。

その名が番付に載ってから一度も休場することなく、自身の連続出場回数を更新中の玉鷲は「ケガを全くしていないから出られているわけではなく、みんなどこかしらケガしています。私も、それは一緒です」と、以前話していた。ケガとどう付き合っていくか、どのような状態・状況になったときに休場を考えるか、価値観は十人十色である。根性論が古い考えなのであれば、筆者の論理はゆとり世代の甘い考えなのかもしれない。しかし、いつも間近で力士の皆さんと接している身としては、どうしてもそう思わずにはいられないのである。

スポーツライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライターとして『相撲』(同社)、『大相撲ジャーナル』(アプリスタイル)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』が発売中。

飯塚さきの最近の記事