福島第一原発事故8年 2011年3月21日に何が起きたのか? 米エネルギー省のデータが示す事象とは?

3月20-21日に、福島第一原発3号機で大きな放出イベントが起きていたのか?(写真:ロイター/アフロ)

 データは、その時々に起きた事象を映し出す。

 米国エネルギー省が、原発事故直後から、各地の放射線量を時々刻々と計測していたことは、前回の投稿(3.11から8年 “トモダチ作戦”で被曝した米兵23人が癌に 米連邦地裁は米兵の訴訟を却下)の中で触れた。

 ECRR(欧州放射線リスク委員会)科学事務局長のクリス・バズビー博士によると、米国エネルギー省の測定データの中で、注目すべきは、東京のアメリカ大使館のハリスタワー屋上で2011年3月21日に計測されたデータだという。データをみると、3月20日夜から3月21日夜にかけて、セシウム137の数値が急上昇しているというのだ。

「20日夜から21日朝にかけて、線量が急上昇する事象が発生したと推測される」

とバズビー博士はいう。

3月21日、東京のアメリカ大使館屋上では高濃度のセシウム137が計測されていた。『封印された「放射能」の恐怖』(講談社刊)より。
3月21日、東京のアメリカ大使館屋上では高濃度のセシウム137が計測されていた。『封印された「放射能」の恐怖』(講談社刊)より。

核実験時の約1000倍

 20日と21日の線量の中間値を比較すると、その急上昇はすさまじい。セシウム137の場合、その数値は、21日は20日の約420倍も上昇していたのだ。

 ちなみに、3月21日午後12時45分42秒に、アメリカ大使館のハリスタワー屋上で計測されたセシウム137は約2.32ベクレル/立方メートルという最大数値を示していた。これは、イギリスの核実験時のセシウム137の最大降下量約2.7ミリベクレル/立法メートルの約1000倍という莫大な量だという。

 3月21日はまた、茨城の観測所でも線量が急上昇し、以降、上昇したままの状態が続いていた。

 21日に何が起きたのか? 

 当時のニュースを見てみると、21日は「午後3時55分ごろ、3号機から灰色がかった煙が上がり、その後、煙は少なくなった」という報道や「午後6時20分すぎに2号機の原子炉がある建物で、屋根の山側の隙間から白い煙が出ているのが見つかった」という報道があった。しかし、アメリカ大使館屋上での測定データでは、それより前の午後12時45分42秒にセシウム137の数値が最大になっているので、これらの煙と関係があるかは定かでない。

 21日は関東地方で降雨があり、風向きも南方向に変わっていたため、線量の急上昇はそれに起因するという指摘が多いが、降雨と風向きの変化だけで、これほど数値が急上昇するのか?

 バズビー博士は「3月20日夜から21日朝にかけて起きた何らかの事象が、関東地方を汚染した」と推測している。

3月20-21日、3号機で放出イベントがあった

 しかし、“何らかの事象”とは何なのか? 

 群馬大学教育学部地学教室の早川由紀夫教授が執筆された「福島第一原発 2011年3月事故による放射能汚染と健康リスク評価」という論文の中に、以下のような記述を見つけた。

ー放射性物質は原発から連続的定常的に放出されたのではなかった。3月12日、3月15日、それから 3月20-21日に大きな放出イベントがあった。原子炉格納容器の圧力が低下あるいは上昇したときに対応する。順に1 号機、2号機、3号機からの放出だった。ー

 3号機が爆発したのは3月14日。しかし、3号機から大量の放射性物質が漏れたのは3月20-21日だというのだ。

 また、早川教授は、3号機で3月20-21日に起きた大きな放出イベントが首都圏東部を汚染したと、以下のように説明している。

ー20日23時ころ原発を出発した放射能霧は、6m/s (20km/h)で太平洋上を南に進んだ。そして翌 21日5時に大洗、6時に鉾田を通過して、7時 20分に霞ヶ浦上で雨雲と衝突した。この放射能霧が移動した痕跡は、幅5kmの帯内にあるスギ林がひどく汚染されているのを、いまでも確認できる。雨雲と衝突したあとも放射能霧は雨雲の下層を南西に向って進み続け、阿見・守谷・柏の地表を放射性物質で汚染した。 9時には東京新宿に達した。首都圏東部に見られる中程度の汚染と南部の木更津や熱海に見られる軽微な汚染はこのとき生じた。それは断続的な降雨に伴って23日まで続いたが、初日21日の汚染がもっともひどかった。ただしヨウ素は22日にも大量の降下があった。ー

高汚染されていた東京のエアコン・フィルター

 バズビー博士が推測した“何らかの事象”がこの放出イベントであるとするなら、それにより、関東地方が汚染されたことは、バズビー博士の元に送られてきたエアコン・フィルターのダストを分析した結果を見ても明らかだ。このことは、筆者が訳した『封印された「放射能」の恐怖』(講談社刊)の中に詳しく記されているが、かいつまんで説明したい。

 原発事故から1年以上を経た2012年6月、バズビー博士の元に、あるエアコン・フィルターが送られてきた。送り主は、港区西新橋のタワーマンション20階に居住していたマリアさん。マリアさんは原発事故で東京が汚染されているのではないかと気になっていたのである。バズビー博士が、そのエアコン・フィルターのダストに含まれている放射性核種を測定したところ、11万ベクレル/kgという非常に高濃度のセシウム137が検出された。核種の崩壊を考慮すると、2011年3月の事故当時では、13万ベクレル/kgという莫大な量のセシウム137があったと推測されるという。

 同じエアコン・フィルターからは、3020ベクレル/kgのウラン238、自然状態の120倍もある240ベクレル/kgの濃縮ウラン(ウラン235)、7500ベクレル/kgという高濃度の鉛210(原子炉由来)も検出された。

 3月21日に東京を汚染させた事象が、この測定結果を生み出したのではないかとバズビー博士は考えている。

 3月20日-21日、関東を汚染させるような事象が3号機で起きていたのか? しかし、見たところ、3月20-21日に、3号機で大きな放出イベントが起きたという発表や報道は見あたらない。

 原発事故から8年。まだまだ明らかにされていないことがあるのではないか?