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「ガラガラ」「気持ち悪い」? 『STAND BY ME ドラえもん2』はそんなに悪い作品か?

飯田一史ライター
映画『STAND BY ME ドラえもん2』公式サイトトップページより

Twitterで「ドラえもん」と入れると連想検索に「ドラえもん ガラガラ」「ドラえもん 気持ち悪い」と出てくる。覗いてみると、2020年11月20日から公開された3DCGアニメ映画『STADN BY ME ドラえもん2』について書かれたものだ。

客入りが悪いとか、3DCGで描かれたドラえもんは受け付けない、といった内容の書き込みが散見される。

同作の共同監督を務める山崎貴の作風への反発もあってか公開前から「泣ける(感度する)ドラえもん」をウリにするなという声がSNS上で噴出、その流れが公開後にも続いているようだ。

しかし本当に「ガラガラ」なのか、また、内容的に批判されるようなものなのだろうか。

■興行収入はどうなのか?

2014年8月8日に公開された前作『STAND BY MEドラえもん』は最終興行収入83.8億円と歴代の映画ドラえもん史上、断トツの大ヒット作品となっている。

さて、では『2』の出だしの興行収入はどうか。座席数・上映回数・館数を集計しているサイト「興行収入を見守りたい!」の初日の興行収入は約8000万円、2日目は約1.5億円。

これは前作が公開から2日間で7億6724.8万円を叩き出したこととくらべると10分の1強になってはいるが、コロナ禍(それも感染拡大局面)であること、劇場の座席数が半減されていることを思えば、十分なものだろう。『鬼滅』がイレギュラーすぎるだけで、『2』の初日の成績は『罪の声』と同等、2日目までで『TENET』を上回る勢いと決して悪くない。ただ前作の大ヒットを受けてということと、本来ならばライバルとして存在していたはずの洋画大作が軒並み入ってこないがために館数・席数が最初から非常に多く設定されている(が最大でも半分しか収容できない)ことから1回あたりの客入りが「ガラガラ」に見えるところもあった、ということだろう。

今回「3DCGのドラえもんは受け付けない」とネット上で散見されるものの、前作ですでにたくさんの人が実際に観て支持しているし、今作の3DCGのクオリティは前作以上で、違和感はますます薄れていたことを思えば、決して主流の意見とは言えないだろう(むろん前作を観て「やっぱりだめだった」と思った人もいただろうが)。

■『STAND BY ME ドラえもん2』の中身はどうなのか?

では宣伝で謳われ、一部で否定的に語られているように「ドラ泣き」的な内容なのか。導入部のあらすじはこうだ。

0点の答案が見つかりママに叱られ「僕はこの家の本当の子どもじゃないんだ!」「ママに比べておばあちゃんはやさしかったなあ」と感じたのび太は、タイムマシンでおばあちゃんが生きていた時代(のび太が3歳の頃)に。ママは大きくなったのび太を見てもそれがのび太だとわからないが、おばあちゃんはのび太の大きくなった姿だと信じてくれる。おばあちゃんはのび太が学校に通う姿が見たいと言うのでランドセルを背負った姿を見せてあげると「欲が出てきちゃった」と語り、のび太のお嫁さんが見てみたいと言う。ところがタイムテレビを使って未来を覗くとのび太はしずかちゃんとの結婚式当日に逃げだし、そのまま戻らなかった。のび太とドラえもんは大人になったのび太を結婚式へ参加させるために未来へ向かう――。

もともとは短編ギャグマンガである『ドラえもん』のわりに笑える要素は非常に少なく、大人向けに作られていることは間違いない。

序盤にのび太とドラえもんがタイムマシンを使った少しややこしいドタバタがあるが、笑いというよりタイムスリップものとして大人が楽しめるプロットを用意したという印象だ。

おばあちゃんの生きていた時代の風景やのび太に因縁を付けてくる不良の服装はせいぜい70年代くらいなのに、のび太がしずかちゃんと結婚する近未来の姿は早くても21世紀後半くらいの文明レベルであるなど、ツッコミたくなる部分はあるが、個人的にはそこまで重大な瑕疵とは感じなかった。

「泣ける」要素があるとすれば、死んだおばあちゃんがのび太が成長した姿を見て嬉しく思うところ、子どもが産まれて喜び、想いを込めて命名するのび太の両親の姿のあたりに、観客が自分の亡き家族や子どもが誕生したときの記憶を重ねて泣く、というものだろう。

そこまで泣かせに来ているストーリーとは思えない。

話の筋としては、「ほっとけない」という理由で結婚を選んだしずかちゃんに対して大人ののび太が「僕じゃしずかちゃんを幸せにできない」と自信をもてないことが原因で逃げたものの、最終的にはおばあちゃんとしずかちゃん、のび太誕生時の父母から「そのままでいい」「いてくれるだけでいい」と肯定され、愛を感じることで自信を得る、というものになっている。

これを好ましく思うかどうか、というのが評価の根幹に関わるポイントだろう。

大人ののび太が、自分が変わろうという努力はしたがらないが承認欲求はありあまっている点は、のび太が大人になったらそうなるかもなと思う。ダメ人間でありながら、ありのままを肯定してもらいたい。そこで祖母やパートナーからの無条件の愛を感じられたからやっていけそうな気がする、というのは、ボウルビィの愛着理論を彷彿とさせる。愛着理論では、養育者からの無償の愛が基盤となって初めて子どもは冒険できるようになる(何があっても帰ってこられる場所があると感じられるからチャレンジができる)、とされる。ただその状態が30代半ばになっても続いている点をのび太らしいと思うか、甘えすぎだと思うかだが……。

単純に感動する、泣ける作品と捉えるのが難しいのは、この“成熟しない”大人ののび太の姿をどこから、どう捉えるかに関わってくる。

この作品では、誕生時ののび太、3歳ののび太、小学生の(いつもの)のび太、30代ののび太が登場する。のび太の両親目線からすれば、幼少期は何ができてもできなくてもかわいく、しかし小学生になれば将来を心配してあれこれ言いたくなるのが親のさが。しかし幼なじみの面々は30代になってもグズグズなのび太であっても友達に決まっているし、おばあちゃんからしたらどの時代ののび太を見ても生きているだけで嬉しく感じる。

筆者は4歳の息子とこの映画を観たが、子どもからすれば、いつもののび太くんががんばって、ダメダメな大人ののび太くんをどうにかなるようにしてあげる話として観ただろう。

筆者は、自分の子どもが30代になってどうしようもないやつだったらどうだろう? それでも変わらず愛せるか? まあ、大丈夫だろうな、などと想像しながら鑑賞していた。

本作に対してなぜ女性(特にしずかちゃん)が一方的に愛を与える側にならなければならないのかという批判がすでに出ており、それに対しては「もっともだ」と言うほかない。ただ、大人になったジャイアンやスネ夫の振る舞いと合わせて見ると、彼ら同様しずかちゃんも「しょうがないやつだなあ」と思いながらも、のび太のいつまで経っても変わらない姿を愛おしく思っているように感じた。「何でも盲目的に受けとめてあげる存在」というより、長年の付き合いからくる情があって、良いところも悪いところもみんな知った上で認めている、という立ち位置だ。

本作から感じるのは「人間の変わらなさ」であり、どうしようもない部分を抱えた存在を本人や周囲がどう受け入れるか、とくに大人になった本人がどう受け入れるかという問いだ。まわりが「別にそれでもいい」と思っていても、本人がいつまでも受け入れられないコンプレックスや欠点があることは珍しくない。

これは我が身や周囲の人間を想像してみると、なかなかに重たく、現代的なテーマだ。

筆者は、見終わってすぐには「あんなにまわりから『それでいい』って言ってもらわなくても、自分で自己肯定感を調達できる人間になれよ」と大人ののび太に対して思った。

しかし、のび太はまわりに受け入れてくれる人間がいたから最終的に自分のことを受け入れられるようになったものの、まわりに本当にまったくそういう存在がいなかったら? 自前で自己肯定感を調達できる人間はどれだけいるだろうか? そう考えると、のび太を甘やかしすぎにも見えた終わりに対して「彼は恵まれた環境にいて幸せな人生を送れているんだな」と思い直した。

「いい話」にまとめてはいるが、実のところ、昨今話題の自己肯定感やウェルビーイングについてのび太の人生やありようから考えさせられる映画だった。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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