直木賞受賞作・馳星周『少年と犬』はコロナ禍のペットブームにおいて読むべき作品だ

文藝春秋社 馳星周『少年と犬』販売ページより

2020年7月15日に発表された第163回直木賞受賞作・馳星周『少年と犬』はコロナ禍のペットブームにおいて、また、災害が多い日本で動物と人間の関係はいかにあるべきかを考えるために今読むべき作品だ。

この作品は、東日本大震災を釜石で被災した犬と少年が、5年後に熊本で再開するまでを描く物語だ。犬はその途上でさまざなひとと出会いと別れをくりかえしながら九州をめざす。

犬は何も語らず、人間側がさまざまな過去を重ねて飼う。しかし最後は犬の「西へ」という想いを感じて手放していく。

■自分の死後、あるいは別離のあとを考えて動物を飼うということ

被災地域を漁る窃盗犯、借金まみれの彼氏をめぐるトラブルを抱える風俗嬢、ケガでスキーヤーとして挫折してトレランにハマり、収入を得る仕事と妻の苦悩から逃避し続ける男性、先立った妻と同じ病に蝕まれて死を待つ猟師など、それぞれ事情と苦しみを抱えた人間たちが、犬と出会い、ひとときを過ごす。

しんどいとき、飼っている動物は心の支えになる。しかし、飼い主は自分が死んだあと、あるいはどこかに行かなければならないのに連れて行けない場合、その動物をどうするのか考えて面倒を見なければならない。そのことが本作では繰り返し問われる。

災害は多いが避難所へのペットの同行避難ができないケースも少なくなく、人口減少が進んでペットを簡単に譲ったり引き受けたりすることも難しくなってきている日本では、この問題はペットを飼う人、飼おうとしている人にとって身近な問いである。

動物を飼うことには、責任が伴う。コロナ禍で在宅時間が増えたときにストレス軽減やある種の退屈しのぎなどを目的にペットを飼おうと考える人もいたようだが、動物の命を預かるものであり、犬にしても猫にしても健康なら十数年は生きる。一緒に過ごす時間は『少年と犬』で描かれているように得がたいものになりうるが、しかし、それだけに「飽きたから捨てる」とか「在宅時間が減ったから手放したい」と思ってもしてはいけないものでもある。

そういう意味で『少年と犬』は、タイムリーな内容の小説である。

■人間にとってペットとは何かを考えさせる

本作を読むと、犬から人間が受け取っているものの大きさに対して、人間が犬に対して与えられたものは――たしかにエサを与え、ケガをすれば動物病院に連れて行って少なくないお金を払って治療を施してはいるが――いったいどれほどのものなのかと考えてしまう。もちろん、だからこそ犬は、旅の途中で出会う人たちの元を離れ、最初に得がたい関係を築いた少年の元を目指すのだ、と言えるのかもしれないが。

人間は動物に話しかけ、触れ合うことで悩みや苦しみを軽減し、「すがる」ことはできるが、飼っている生きものが飼い主の問題を根本的に解決してくれるわけではない。この本に登場する人物たちが抱えている問題は、犬と出会いともに時間をすごしても、本人が向き合わないかぎり解決していない。

この小説において犬は、猶予を与え、ほんの少し来たるべき時を引き延ばす、あるいはそこに至るつらさをやわらげるために存在している。向き合ったところで解決しがたい問題を抱え、ほかに頼れる存在が身近にいない人間だからこそ、犬を必要としている。

人間にとってペットとは、人間相手では代替できない何かを托すことができ、何かを満たしてくれると同時に、本人の問題を動物が解決するわけではない、という存在なのだとも、改めて感じさせる。

■文藝春秋社 『少年と犬』馳星周 販売ページ