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『はめふら』とクソLINE流出事件から考える2020年的「正しい生き方」

飯田一史ライター
『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』公式サイトより

 文春オンラインが某出版社の有名男性編集者による女性フリーライターに対するいわゆる「クソLINE」(男性から女性に対する性欲丸出しのLINE)を公開して話題になった。

 このようなセクハラ、パワハラは当然許されない。

 加えて、今の世の中、どんなやりとりもネット上に晒されて半永久的に残るリスクがあることを前提に、誰に対しても誠実に振る舞うべきだと改めて思わされる記事だった。

 というより、私たちの多くは、もはやそういう規範を内面化して生きている――「悪事は誰かに晒されてしっぺ返しが来る。結局、誠実に、性格よく振る舞う方がいい」と薄々気付いている。

 2020年春アニメの中でトップクラスの人気を誇るTVアニメ作品『はめふら』こと『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』を観ていても、そう感じる。

■『はめふら』とは?

『はめふら』の原作はウェブ小説投稿サイト「小説家になろう」に連載された、いわゆる「悪役令嬢もの」の著名作品のひとつだ。

 この作品の主人公の動機は単純明快。「死にたくない!」だ。

「乙女ゲームの中でヒロインをいじめ、だいたい最後は非業なる結末を迎える悪役令嬢キャラに転生してしまう」というのが「なろう」の女性向けで一大潮流となった悪役令嬢ものだ。

『はめふら』では主人公が、自分が中世ヨーロッパ風異世界を舞台にした乙女ゲームの悪役令嬢カタリナ・クラエスに転生していたことに気付く。8歳の時に盛大にコケたことをきっかけに、彼女は前世でアニメやマンガ、ゲームが大好きな日本の女子高生だったという記憶を取り戻すのだ。

 前世でプレイしていたゲームの中では、プレイヤーキャラであるマリアにいじわるをする悪役令嬢カタリナは、さまざまなエンディングのほとんどで破滅(悲惨な結末)を迎える。

 そんな不幸な未来を避けるため、カタリナとなった主人公は、周囲の人間たちに徹底的に好意的に振る舞う。

 ゲームでは攻略対象である(マリアとくっつく可能性がある)男性キャラクターに対しても、マリアに対しても、それ以外のあらゆる人たちに対しても、自分の死亡フラグを立てないためにカタリナは友愛的に振る舞い、奔走する。

■打算的に振る舞うなら、ギスギスさせるよりも、良いことをしたほうがいい

 悪役令嬢ものの作品の中には、いわゆる後宮もの的な女性同士のギスギスしたマウンティング合戦、貴族間の権謀術数渦巻く勢力争いを描いていくものもあるが、『はめふら』にはそういう昼ドラ的、ないしは韓流・華流の後宮ドラマ的な陰湿さは薄い。

 むしろそうした展開を回避するようにカタリナは振る舞っていく。

 時にコミカル、時にサスペンスフル(ゲームでは起こらなかった事件が起こり、その謎を追う)、そして時にハートフルだ。

 当初は「死にたくない」という利己的な動機から始まっていたはずが、主人公は自分に死亡フラグを立てないよう各キャラに対し、相手のことを思って振る舞い続けた結果、皆にとって非常に居心地のよい空間ができあがっていく。

 ここが『はめふら』のおもしろいところだ。

 TVアニメ版のカタリナは、利己性すらあまり感じさせない。根本的な動機は「破滅を避けたい!」だが、とにかく楽しそうだ。

 カタリナの周囲にいる人間たちは一見すると華やかな美男美女の貴族がほとんどだが、その多くは実は暗い過去があったりいじめられていたり、近い人間に劣等感を抱いていたり、何かしら悩みを抱えている。

 それに相対するカタリナは、打算的なはずだが打算に見えないくらい天然で行動的(木登りが得意だったり、畑仕事に勤しんだり、無数のロマンス小説に耽溺したりと、どこが悪役令嬢なんだというボケ要素が最高におかしい)、圧倒的に陽キャラで、誰に対しても気を遣う。そんなカタリナの性格のよさが、みなを癒していく。

 カタリナはある意味八方美人的に振る舞うので、性別を問わず皆から愛されるが、本人は「カタリナが誰かに好かれるはずがない」と思っているのか、鈍感キャラを貫く。

『はめふら』世界の中にはスマホもなければLINEもない(とはいえ魔法はあるから、何かしら記録して晒される可能性がゼロとも言えないのだろうが)。

 しかし、そこで描かれるのは現代に生きる私たちに通じる態度だ。

 元のゲームでの悪役令嬢カタリナは、マリアに対して謀略を巡らせるが、ほとんどのエンドで結局のところ悪事がバレて破滅する。ある種の人たちにとっては「死ぬこと以外かすり傷」かもしれないが、人としての道を誤ったカタリナは死ぬ。

 それを知っている主人公は、性格良く振る舞う。

 カタリナの存在は、誠実で思いやりある態度こそが一番戦略的で大正解という時代を象徴している――と個人的には解釈している。

 どうせ打算的に振る舞うなら、誰かを陥れるより、良いことをした方が結局のところ周囲を良い空気にし、多くの人間を幸せに近づけさせることができる。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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