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『八男って、それはないでしょう!』 ゲームもマンガもネットもない異世界で退屈せずに生きることを求めて

飯田一史ライター
TVアニメ『八男って、それはないでしょう!』公式サイトトップページより

 人は何のために生きるのだろうか。

 2020年春からTVアニメが放映されている『八男って、それはないでしょう!』のような「小説家になろう」で人気を得た超長編作品を読んでいると、ふとそう思うことがある。

『八男って、それはないでしょう!』の「なろう」版は2013年6月から2017年3月まで連載されてすでに完結(その後、外伝を連載)、書籍版は2020年4月現在で19巻まで刊行され、今なお続いている。

 ウェブ小説を原作にしたアニメでは、どうしても超長大な物語の入り口しか描かれないが、延々続く原作に付き合うことで見える風景がある。

■あらすじ

 無計画(?)に子どもを作りまくっている地方領主の幼い八男として転生(正確にはその身体に入り込んだ)したアラサー日本人商社マンが、その稀有な魔法の才能と現代世界での知識や人生経験を活かして無能な兄や父を押しのけるようにしてのし上がり、領地を広げて開発し、たくさんの美少女を妻にめとっていく、というのが基本的な流れである。

 お家騒動ものであり、領地経営ものだ。

■ゲームもマンガもネットもないから退屈な人生!?

 主人公のヴェンデリンは物語序盤で、個人としては一生かかっても使い切れないくらいの莫大な財産を手に入れる。

 そして彼は思う。

「一生働かなくても生きていけそうだが、それでは人生もつまらないであろう。

 何しろこの世界には、ゲームも漫画もネットも存在しないので、物凄く退屈してしまうであろう」と。

 ここで彼が挙げるものがゲーム、漫画、ネットであることは興味深い。

 世の中にはほかにもいくらでもエンターテインメントがあり、快楽を得る手段があるにもかかわらず、この3つを挙げているのだから。

 人は何のために生きるのか?

 ヴェンデリンはその世界でトップクラスの魔法使いから薫陶を受けて能力を伸ばし、しまいにはその師匠まで超えて、その世界で彼を上回る力を持つ存在が事実上いなくなる。

 物語序盤で古代竜を倒して若くして名声を得て以降も数々の困難を乗り越え、偉業を成し遂げる。

 領地を豊かにし、広げ、人の上に立つ存在となり、民を救う。

 兄弟間での争いや戦争に勝つ。

 政略的な結婚も含めてだが美少女、美女を妻として複数迎え、性愛面でも満たされる。

 人の欲望には際限がない――とよく言う。

 それは一面では正しいが、しかし、食欲にしろ性欲にしろ睡眠欲にしろ、限界はある。

 満たされれば、ある一定以上のものはいらなくなる。

 普通の人間であれば、それはお金や権力、そしていわゆる承認欲求にもあてはまるだろう。

 もちろん失うことをおそれ、何かを守るために戦うことは生じる。

 だが、それらのほとんどがなくなっても痛くないくらいに「持てる存在」になったとき、人は何を望むのか。

 本当に自分にとって欠くことのできないものとは、一体何か。

■世俗的な欲求があらかた満たされたあと何を求めるのか?

 なろう系の超長編作品では、世俗的な欲求は物語が進むにつれ、たいがい満たされていくことが少なくない。

 平凡な人間が普通に生きていては直面することがなく、短編や数時間で読み終わるくらいの長さの長編では描ききることができない、「持てる者になった状態」が、描かれることになる。

 そこに至って、その作家の「地」というか「根」の部分が見えてくる。

 その作家は、何を求めてやまないのか。

 あるいは、この人が失いたくないものとは何か。そういったものが見えてくる。

 普通は物語の着地のさせ方にも作家の思想が現れると思われているだろう。それは間違いなくそうだ。

 しかし超長編の中盤から終盤にかけてにおいてもまた、見えてくる。

 ネタバレになるから『八男』の後半戦がどういったものなのかは具体的に記さない。

 ただなろう系の人気作をそういう観点から読み比べてみるのも一興だ。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

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