『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』――本当はやばい「本」の話

TVアニメ公式サイトトップより

 私は高校時代、3年間図書委員会だった。

 司書になろうかな、と思った時期もあった。

 大学時代は講義に出ていた時間よりも、図書館にいた時間の方が長かったと思う。

 それが今では、中身が読めればディスプレイに表示された情報(電子書籍)で基本的にかまわないという人間になってしまったが、そんな人間に対しても「人類にとって書物とは何だったのか」を改めて気付かせてくれるのが香月美夜『本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~』である。

 現代日本に生きていた本好きの女の子が異世界に転生する――熱を出して倒れたマインという少女の意識に入ってしまう。

「本好き」と言っても「活字が読みたい」にとどまらない。

彼女は物質・物体としての「本」が好きなのだ。

その世界の、彼女が転生した家庭レベルの生活水準では貴重品である本に飢えた彼女は、文字を覚えて読めるようにする。

だけでなく、異世界で和紙をつくり、インクを手に入れ……というところから本づくりのDIYに挑戦、さらには出版ビジネスに参入していく。

 第一部は本と家族と友人たちとの話でほとんどが進む。

 神殿図書館を発見した主人公が神殿長に直談判したあとの第二部では、ある職業に(本を読みたいがために)就き、いったん本づくりが後景に退く。

 ただ「絵本をつくりたい」と言い出してからはまたもとの路線に戻り、本の原価計算までし、図書館を荒らす人間が現れると怒りまくって「血祭りにあげる」と宣言、日本十進分類法(「小説」だったら「913.6」というあれ)にもとづき散らかされた図書館を整理することに大興奮、という「司書あるある」「図書委員あるある」話に突入していく。

 また、「本は一点ものの芸術品」と思っている神官長と、グーテンベルクの活版印刷以降(というより日本で言えば一九二〇年代の円本ブーム以降)の「本が大量生産できる時代」からやってきた主人公との書物観の違いは、出版文化論/出版産業論的におもしろい。

 冷戦末期、ソ連を崩壊させた原動力のひとつは、不満を持つ民衆によるビラや文書の地下出版を可能にしたコピー機だった、という説がある(ジョージ・ソロスは東欧にコピー機をバラまいて民主化を促進したことを公言している)。

 あるいは中世末期から始まった宗教改革は、グーテンベルクの印刷技術による聖書の出版形態の変化に後押しされたものだったと言われている。

 本の力、情報伝播力は権力構造を変える。第二部後半からはそうした側面が描かれていくことも興味深いのだが……アニメは放映されたばかりなのでこれくらいにして別の話に。

「小説家になろう」では料理や武器防具など「ものづくり」の純粋な悦びを描いた人気作品が少なくない。

 何か達成すべき目的や目標があって何かをする「仕事」というより、それ自体が楽しいからやるという「趣味」。

 それは、昼間は働き、夜や休日に趣味でウェブ小説を書いていることの多い兼業クリエイターの似姿でもあるのかもしれない。

 なかでも本作が特異なのは、ウェブ上に書いている小説で物語への愛を謳う、なんていうものではなく、ウェブ小説で物体/物質としての書籍に対する愛着を語り、制作過程をつぶさに描いていくことにある。

 そして読者はそれをウェブ上で読む(もちろん物理書籍化もされているし、アニメにもなったわけだが……)。

 そこに倒錯を感じるし、そこがメディア論的にも興味深い。

 東野圭吾のように電子書籍を断固拒否している作家が書くのではなく、ウェブネイティブな作品で言われるからこそ、むしろ紙の本への憧れがきわだつように思える。

 スマホやタブレット全盛時代にアナログレコードやカセットテープが復権したのとパラレルな現象なのかもしれない。

 デジタルデータでテキストを読み書きする時代になったからこそ、匂いと手ざわりのある本が、想像の世界でも価値あるものとされる。

 かつて本はそこに記された情報も、物体としても貴重で、危険だった。

 本作はただの古書好き、本好きものではなく、そうした本質を、本や情報があふれかえる今、思い返させてくれる作品である。