Yahoo!ニュース

又吉フィーバーと表裏で増える「原稿を雑誌には載せても本にしない」出版社

飯田一史ライター
(写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ)

■出版社はもはや自前で新しい書き手を発掘し、育て、売り出すことが難しくなっている

R&Dとプロモーションがネットとテレビ頼みになっていることのひとつの象徴が、今回の芥川賞の結果でした。

どういうことでしょうか?

又吉さんのように芸能人としてのネームバリューを活かして単行本が出版される作家がいる一方で、いくつもの小説誌(とくに純文学を掲載する文芸誌)では、

「え? 御社の新人賞を受賞した書き手なのに、雑誌に載せるだけで、御社から単行本化できないんですか?」

「え? 御社から依頼を受けて雑誌に連載した企画なのに以下略」

「え? そもそも雑誌にも載せてもらえないんですか?」

といったことが、少なからず起こっています。

(もちろん、すべての出版社がそうなっているわけではありませんが)

マンガ雑誌は単行本になる原稿を取る媒体であって、雑誌が売れなくてももはやしょうがない、という状態になっていることはよく知られている事実ですが、文芸の世界もほぼほぼ同じような構造になっています。

(いや、本当は雑誌も売れたほうがいいに決まっているし、雑誌が売れないから起こっている問題についてこれから書くんですけどね)

ですがもはや「ポッと出のやつ、たいして売れるにおいもしないやつが書いたものは雑誌に載せるだけで本にしなくていい」という判断までされている、ということです。

純文学の単行本はとくに過去に売れた実績がなければ初版2、3000部かと思いますが、それでも刷りすらされないものもある。

ここでは具体的な数字は引きませんが、出版不況と言われるなかでも単行本と雑誌であれば雑誌のほうがより深刻な落ち込みであり、

単行本のなかでは文芸(小説)は落ち込みがとくにひどいジャンルです。

そうして売上が落ち込んで余裕がなくなっているので、以前よりリスクが取れなくなっているわけです。

■月間ユニークユーザー1万の媒体に魅力があるか?

純文学にかぎらず小説の雑誌の実売はおおむね数千部から多くて1万部代くらいだと思いますが、

ウェブメディアで考えてみてください。

ユニークユーザーが月間1万くらいで上限がキャップされているサイトにメディアとしての拡散力がありますか?

はい、皆無です。

もちろん、有料メディアで月額1000円くらいで会員数が数千人いたらウェブではアリなケースもありますが、

その媒体が掲載コンテンツを世に広く売り出してくれる、認知させてくれるものであることを意味しません。

賞をあげても本にしない、雑誌に載せても本にしない、そもそも賞をあげた書き手の原稿を雑誌に載せもしない、

というのは、ようするに

「うちの新人賞、うちの雑誌には告知効果はありません」(だから連載しても誰にも知られることはありません)

「宣伝は書き手がしてください、売れる見込みがありそうな数字持ってるひとの本だけ出します」

「うちには本を作る機能しかありません」

と言っているに等しいわけです。

もちろん、おおっぴらに認めるひとはほとんどいませんけど。

■では出版社が失いつつあるR&Dやプロモーション機能はどこが担っているか?

アウトソース先は、ネットとテレビです。

テレビは又吉さんの例を引くまでもなく、芸能人・有名人に本を書かせる、テレビ番組を書籍化する、テレビに出演している文化人の本は出す、映像化される作品・作家には宣伝費の大半をつぎこんで全力で売り伸ばす、ということです。

マス向けの媒体としてはやはりテレビは今でも大きい。

ネットはどうか。日本の小説界でほとんど唯一伸び調子と言えるジャンルは、ウェブ上の小説投稿・閲覧プラットフォーム「小説家になろう」「E★エブリスタ」「アルカディア」などで人気の作品を書籍化したものです。

いまTVアニメを放映している『ゲート』や『オーバーロード』はウェブ小説を書籍化したところヒットしたのでアニメになりました。

ネットで人気の作品は、アクセス数やお気に入り数が可視化されています。ネット発は数字が見える。

部数を決めるときに参考にできる数字がある。

すでに人気があるということは、企画として力があるという仮説も立つ。

紙発で企画を立てた場合、参考になる数字は取れないか? 取れます。

取次や一部書店はPOSデータを提供していますから、過去に出た本の実売の数字は取れます。

しかしこれはもちろん、過去に本を出したひとの数字、あるいは類似の作品がある場合にしか、使えません。

■マーケットがシュリンクしているなかで、データドリヴンに判断しろと言われた平均的な日本人はどうなるか?

みなさん、わかりますよね。

これ、お役所的な「前例踏襲主義」がエスカレートするだけです。

当たりそうかどうかもわからない案件でも「リスク取ってやろう」と言うひとは、減りこそすれ、増えはしません。

参考にできる数字があり、いけそうなくらい過去の実績が大きかった企画はOK。

でも過去に類例がない企画、過去に失敗したタイプの企画、過去に出した本が売れなかった書き手の本は、世に出ません。

よくも、わるくも。

「テレビで人気」「ネットで人気」「過去に出た類似の本で売れたものがある」「過去に売れた作家」に該当する場合のみ、

本が出せるようになりつつあり、この流れはおそらく覆らない。

有名人の本は出すけれども、本を出すことで今は無名のこいつを知名度ある存在にしてやるのだ、みたいな気概や自負はほとんど失われている。

私は「売れない本でもガンガン作った方がいい」とか言いたいわけではありません。

むしろ本もちゃんとマーケティングしたほうがいいと基本的には思っていますが、

マーケティングって、取次や書店の過去の売上の数字を見る、

Twitterや各種SNSのフォロワー数はじめネットでわかる数字を確認する、

みたいなことだけを意味してるんでしたっけ? という疑問はあります。

この調子でいくと、だれもやっていない新しいものが、既成出版社発で生み出され、育てられることはもうないでしょう。

いや、マーケットが大きく、電子も合わせればシュリンクしているとは必ずしも言えないマンガの世界でだけは可能性がありますが、

縮小する一方の文芸では、ムリです。

今売れているものに似ているものか、ネットやテレビで動向が確認されたものだけが本になります。

そうでないルートでどうにか本になったものでも、ネットとテレビでブーストされないと、むかしよりは伸びにくい。

出版社が自前で持っている雑誌メディアを通じて宣伝して売り伸ばす、育てる、というかつては有効だった施策は、

やっても効果が薄いものになってしまいました。

……もっとも、

「紙の単行本」にこだわらなければいいのでは? なんでこだわるの? という話でしょうし、

ネットからなんかおもしろいものが出てくるならそれで何の問題もないのでは? という話でもありますが。

ライター

出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験した後、独立。マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャー、出版産業、子どもの本、マンガ等について取材&調査してわかりやすく解説・分析。単著に『いま、子どもの本が売れる理由』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの?』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』、中野信子『サイコパス』他。青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒、グロービス経営大学院経営学修士(MBA)。息子4歳、猫2匹 ichiiida@gmail.com

飯田一史の最近の記事