メジャー史上初の”本格両投げ投手誕生”を支えた日本の技術。

ミズノ社のグラブを手にするアスレチックスの両手投げベンディット投手。

メジャー史上初の快挙を支えた日本の企業

米国時間6月5日(日本時間6日)、レッドソックスの本拠地フェンウェイパークで行われたアスレチックス戦で、ア軍の両投げ投手、パット・ベンディット(29)がメジャー初昇格即登板を果たした。2-4で迎えた七回から2イニングを投げて1被安打無失点と好投した同投手は、打者によって右腕、左腕を使い分ける稀有な両投げ投手。1900年以降の近代メジャー史では1995年9月にエクスポスの右腕グレッグ・ハリスが1試合だけ打者2人に左手で投げて以来、20年ぶりに左右で投げた投手となった。ハリスが1試合限定の登板だったのに対して、ベンディットは常時左右で投げ分けるため、事実上、史上初の“本格的両投げ投手”の誕生といえるだろう。

この快挙を陰で支えたのが、『モノづくりとサービス』に定評ある日本の企業だ。ベンディットが使用した特注グラブは日本の総合スポーツメーカー「ミズノ社」のものである。デビュー戦から一夜明けた6日(日本時間7日)、ベンディットはフェンウェイパークの三塁側ベンチで「この長い旅をサポートしてくれた愛用のグラブ。22年間ずっとミズノ社のグラブを使っている」と左右対称で真ん中にポケットがあり、両端に親指が入る6本指の特注グラブをみせてくれた。グラブ内側のタグにはミズノ社のグラブマイスター(製作技術者)で、マーリンズ・イチロー外野手のグラブも手掛ける名人・岸本耕作氏の刻印が押されている。幼少期に左右同等に優れた身体能力を持つことに着目した父の影響で3歳の頃から左でボールを投げ始めたベンディット。リトルリーグに入った7歳の時、父が日本のミズノにファックスで彼の手形を送り、特注グラブを発注した。「今でこそ、スイッチ投手用のグラブをつくっている用具メーカーはあるけれど、当時はミズノしかなかった。今でも最高のグラブをつくってくれる。他のグラブも色々試したけど、ミズノのクオリティがダントツだよ」

右投げの場合
右投げの場合
左投げの場合
左投げの場合

両投げ用グラブの歴史を遡る

なぜ、ミズノが両投げ用グラブを製作していることを、海を越えたベンディットは知っていたのか。実は20年前にメジャー史上初の左右投げを記録したハリスが、ミズノ社のグラブを使っていた。ベンディット同様左右等しい身体能力を備えていたハリスは1981年にメジャーデビュー。長年試合で両投げを披露することを夢見ていたが、実現したのは引退最終年の95年。89年から94年まで在籍したレッドソックスでは、「野球への冒涜」と当時のゴーマンGMが猛反対。当時もレ軍を担当し、5日の公式記録員を務めたマイク・シャリン記者は「6本指グラブを覚えているよ。毎日左右でキャッチボールをして、ブルペン投球練習もしていたね。野球への冒涜とまで言われたけれど、20年の歳月を経てフェンウェイパークでベンディットが実現したことは因縁めいているし、感慨深いよね」と語った。ちなみに、ハリスはその時試合で使用したグラブをクーパーズタウンにある野球殿堂博物館に寄付。メジャー初登板の後、ベンディットの携帯にはハリスから「おめでとう」の祝福メッセージが届いたそうである。

前人未到のチャレンジを支えたミズノの情熱

ではなぜ、ハリスがミズノ社のグラブを使っていたのか。バンディットが言うように当事、両投げ用グラブを開発していたのは、世界でもミズノ社だけだった。ハリスが両投げをメジャーの歴史に刻んだ1995年より遡ること7年、日本プロ野球史上、唯一のスイッチ投手だった南海・近田豊年投手が1988年4月に公式戦初登板し、左投手として1回1失点している。その近田投手が使っていたのもミズノ社のものだった。ハリスと近田両投手が使った両投げグラブを設計、開発したのは、グラブ作りの名人として名高い元ミズノ・坪田信義氏である。1970年代から80年代にかけて、まだ日本のメーカーがメジャーリーガーと契約を結ぶのが困難だった時代に、坪田氏は道具の修理やメンテナンスを請け負う「ワークショップ」としてキャンピングカーで大リーグのキャンプ地をまわり、選手の要望に応え、提案するサービスを行っている。恐らくその時にハリスが坪田氏の存在を知ったのだろう。地道なカスタマーケアと、卓越した技術開発が、両投げ投手用グラブ製作の下地となった。

今回、ベンディットの快挙によって両投げ投手の存在が世間に知られ、両投げ用グラブが注目を浴びたが、もし、ベンディットがメジャー昇格を果たさなければ、それは歴史の中に埋もれてしまったかもしれない。用具メーカーがサポートするのはイチロー外野手(マーリンズ)や松井秀喜氏(元ヤンキース)らトップアスリートだけではない。ミズノ社は、例えば、指にハンディキャップを負った人の用具作りにも力を注いできた。販売市場では保証のない分野にも変わらぬ情熱を注いできた日本の用具メーカーの真摯な取り組み、そして、手厚いがサポートが実を結んだ格好だ。「トップアスリートの要望に応えるクオリティを追求することも大切な任務ですが、野球を愛する全ての人々に最高の品質を提供することも我々の使命なのです。ベンディット選手の快挙は用具メーカーとして本当に嬉しいこと。昔からミズノが持っていた技術で、選手の要望に可能な限りお応えすることが、我々の喜びです」と、ミズノ・広報宣伝部の木水啓之課長は語った。

ベンディットの快挙でグレッツ・ハリス、近田豊年という過去の名前が浮上した。それらは単独の物語のようにみえて、実は日本製の特注グラブという接点で繋がっていた。近田ーハリスーベンディットという洋の東西を隔てた両投げの系譜が1本の線になったのである。