JTサンダーズ初優勝に思う「スポーツの持つ力」

ブレイクを重視しトータルディフェンスを強化

4月5日、東京体育館で行われたVプレミアリーグ男子優勝決定戦にてJTサンダーズがサントリーサンバーズを破り優勝を果たした。創部84年の長い歴史の中で日本リーグ時代も含めて初めての頂点。悲願の初優勝である。

2013年にヴェセリン・ヴコビッチ監督が就任して以来2013/14年Vプレミアリーグで準優勝、黒鷲旗でも準優勝、そして昨年の天皇杯では7年ぶりの優勝を果たし着々とチーム成績を上げてきた。ヴコビッチ監督は言う。

「監督就任の記者会見で『わたしはツーリストではない。JTを優勝させるために来た』と言いましたが有言実行できてうれしいです」

就任2年目にして、長い間、優勝から遠ざかっていたチームの悲願を叶えたのである。

ヴコビッチ監督のチーム戦略は明確だ。ブレイクと呼ばれる自軍にサーブ権がある状況での得点率を挙げることを重視し、サーブとブロック、レシーブまでをトータルディフェンスととらえて強化を図った。サントリーとの決勝戦でも相手のエース、エバンドロのスパイクに対し、クロスが得意であることを踏まえてディフェンス指示を徹底した。序盤「思いのほかクイックを使ってきたので戸惑った」とミドルブロッカーの町野仁志は反省したが、徐々にエバンドロに集まり出したトスを見据え、ブロックでプレッシャーをかけた。決定率こそ64%台と高いものの、要所でワンタッチを取ったり、ミスを誘うなど「効果」という点では機能したといえる。

サーブに関しても徹底している。決勝戦では「とにかくフルパワー」(ヴコビッチ監督)で、ヴィソットと越川優に関しては相手のゾーン1と6をねらうよう指示。2人も含めて11得点、16%の高いサーブ効果率を残した。対するサントリーのサーブポイントは1、効果率は7.1%だったことを考えるとサーブの差が勝敗を分けたといっても過言ではない。

試合後、サントリーの金子隆行は言った。

「越川のサーブのコースは分析していて、もちろん対策もとっていました。でも、これまでの試合では打ってきたことがない、7割くらいの力で前に落としてくるサーブを打たれて対応できませんでした」

監督の指示ももちろんだが、試合巧者の越川による咄嗟の駆け引きも相手にダメージを与えた。

「バレーボールをしようじゃないか」

JTの創部は大正時代までさかのぼる。第二次世界大戦のときに広島に原子力爆弾が投下された。もちろん当時のことは映像や写真でしか知らないが、原爆によって多くの人命が失われ、町は廃墟となった。

被爆地から2キロの場所にあったJT(当時の社名は広島専売支局)の工場も被害を受けた。社員40名が亡くなりその中には1名のバレーボール部員も含まれていた。

JTサンダーズの80年史の制作に携わらせてもらったことがあるのだが、創部当時の記録は原爆によって起きた火災により消滅していて当然、この世に存在しない。終戦後に発行された社内報や、当時を知る人物の証言などを頼りに歴史をたどっていく作業をしているとき、わたしが最も驚いたのは原爆投下の1年後にはバレーボールを持ち出して、一緒にやろうと声をかける社員が現れたという記述だった。当時、絶望の真っただ中にあり、荒廃した広島で、スポーツが数少ない楽しみのひとつであり、希望だったのではないかと思いを馳せた。

スポーツには人の心を動かす力がある。傷を癒す力があると常々思っているのだが、それを言葉にしてしまうと、どうしても薄っぺらく感じてしまう。だから、わたしはあまりこの表現を使わない。実際には自分自身もスポーツによって救われたことが数多くあるのだが、それをメディアが全面に押し出すことで演出感が漂ってしまい、素直に受け止めることができない場合があまりにも多いからだ。(わたしがひねくれた性格なせいもあるかもしれない)

そのため、なるたけ自分はそういう言葉を使わずに、見たまま、聞いたままを伝えるのにとどまろうと考えてきたのだが、これはぜひとも知っていただきたいと思うことがあって今回、あえて題名に「スポーツの持つ力」という表現を使った。

「福島はまだ時間が止まっている」

JTサンダーズのリベロ、酒井大祐は福島県相馬市出身だ。シャイな東北人の気質なのか普段は口下手で、自分の思いを言葉にするのが得意ではないらしい。インタビューでもじっくり表現を選び、言葉を紡ぐために、答えが戻ってくるまでに時間がかかる選手だ。

そんな酒井は2011年の3月11日に発生した東日本大震災のあと、オフを利用して出身地である福島や宮城、岩手などに出向き子供たちや高校生とバレーボールをしている。シーズン中は時間に制限があるため、足を運ぶのは黒鷲旗が終わったあとのオフシーズンや夏季休暇中だ。7日間かけて移動しながら7か所の町でバレーボールを指導している。

「復興、復興と言われますけど、実際に行ってみるとまだまだだと毎回、感じます。特に福島は、他の県とはちょっと違う。人がいないし、なんというか…そこだけまだ時間が止まっている感じです」

町の整備が進み、表向きは徐々に震災前の姿を取り戻している他県と比較すると、原発事故のあった福島は「違う」のだと酒井は話す。

「まずバレーボール教室に来る子供の数が少ない。それは学校単位で他の県に移ってしまった子や、ひとつの学校の中でも親戚を頼ったり、家族で違う土地に引っ越した子どもが多いからだと思いますね。いつも仙台を通って福島に移動しているんですが、町の賑わい方とか、人や車の多さも、福島だけは違う。ひっそりしていて寂しいんですよ」

震災の傷の深さを地元に戻るたびに肌で感じるという。

「年に一回、行って僕がバレーボールをしたくらいで、どうなるのかと思うときもありますけど、たとえ人数は少なくても、がんばってバレーをしている子がいるし、わざわざ離れたところから来てくれる子もいる。何よりそういう状況でもバレーボールを続けてくれている子たちだから、その気持ちがうれしいし、会いに行きたくなるんです」

震災から4年が経ち、わたしも含め他の土地に住んでいると被災地の受けた傷や現在もなお、闘っている人がいることをつい忘れがちになる。実際に足を運び、町や人と触れ合っている酒井の言葉はズシリと重い。

JTサンダーズの優勝を見て、酒井がバレーボール教室で出会った東北の子供たちは何を思うだろうか。

「元気になってほしいと思いますけど、実際はそんなに簡単なことではないということもよくわかっています」

現実を見ている酒井だからこそ、安易な表現は使えないし、使わないのだろう。実直な彼らしいと思う。

しかしこれだけは言える。スポーツは人を笑顔にするし、スポーツを見ている瞬間や、プレーをしているその瞬間だけは、どんなに悲しい出来事も忘れさせてくれる。うまくなりたい、勝ちたいという欲は明日への希望になる。

そして、諦めずに続けていれば、それがいつか実を結ぶことを、同じように原爆投下という絶望の中から立ち上がって歩みを進めてきたJTの優勝が示してくれたのではないか。

JTサンダーズ84年目の優勝と酒井の思いが東北の人に少しでも届くことを願っている。